将軍様の手記

道の先へ

原付西遊記 6日目

2005-08-09 22:18:32 | 原付ツーリング
原付ツーリング6日目。広島→松山→フェリーで船中泊→神戸。
走行距離:222.6km(陸上部分)
ルート:広島→(R2)→尾道→(しまなみ海道)→今治→(R169)→松山→(フェリー)→神戸

今日はいろいろと考えさせられることになりました。

広島ではどこも訪れることなく出発。4年前の修学旅行で一通り原爆関連の資料は見ているので今回はスルー。
その後R2を東へ。
ひどい渋滞を抜けて、4年ぶりのしまなみ海道。しまなみ海道のメインルートは自動車専用道路のため、原付は基本的にサイクリングルート、つまり自転車と同じ道をたどることになります。
しまなみ海道は、四国と本州の間を結ぶ何本かの橋の総称です。

最初の尾道大橋を渡って、まず向島。普通にスルーする予定だったんですが、なんとここで『男たちのYAMATO ロケセット こちら→』みたいな看板を発見。実物大の戦艦大和のセットが組まれたのは聞いていましたがまさかこんなところにあるとは。船ヲタな私が、これを見逃すわけにはいきません。というわけでセットを訪問。



戦後60年の時を経て、造船所の一角に蘇った戦艦大和(ベニヤ製)。大和の各兵装の配置は大体記憶していますが、実物大にするとその巨大さに一瞬戸惑います。



大和と共に海の底に消えた幾千の若い命を想いながら、大和を後にしました。

次の因島大橋と因島を抜けると、そこは高校の修学旅行の時に歩いた生口橋。


(*注意* 上の写真、よく似た別の橋かもしれません。たぶんこれであってる)

あの時はこの橋とその次の多々羅大橋、そしてその間の生口島を歩くという企画がありました。このコースをいつか再び・・・。その思いは、4年目という早い時間に巡ってきました。
正直あまり覚えてないと思っていたんですが、記憶は自分で思うよりもしっかりしていたようです。瓢箪(ひょうたん)島も、あの時のままありました。



逆光なので分かりにくいですが、中央の黒い島がそれです。

炎天下の中で何時間も歩いたウォーキングコースも、記憶とともに原付の速さで通過。そして多々羅大橋へ。



やはりこの橋はこの角度から撮るのが一番のようです。

その後、村上水軍の伝説が残る大島などを通り抜け、4日ぶりに四国本土へ再上陸。進路を西に取り、松山へ。

市内では、先に松山入りしていた某ハソ氏と合流。同じ場所を出た人が、長い旅路の果てに異郷の地で出会う・・・ 大げさに過ぎますが、こんな出来事もあっていいんです。
彼と情報を交換しながら松山市内を散策。『坊ちゃん』の道後温泉にも足を伸ばし、そのまま一緒に夕食を食べました。



いろいろ語りました。彼が飲んでたビールの旨そうなこと。普段自分から酒を飲むことはないんですが、このときほど酒をあおりたいと思ったことはありませんでした。

21:30、彼と分かれて私は松山観光港へ。そこでは関西汽船のフェリー『さんふらわあ にしき』、2等寝台A室へ搭乗。2段ベッドが6つ、計12人が一つの部屋で寝るタイプの船室。もう一つ安いプランに、大部屋で雑魚寝というものもあったんですが個人的好みにより却下。やっぱり客船は2段ベッドでしょう。そして部屋に冷たい北大西洋の水が・・・いやここれは別のお話ですね。
デッキに出てみると正面には四国の灯、そして頭上には満点の星空。この20年間の中で2回目となる天の川に感動。白鳥座ってこんなに大きかったっけ?修学旅行中らしい高校生達の喧騒もまた一興。いい気分で就寝。

ところで、本来なら今日は広島から松江へ行く予定でした。しかしどうも夏の日本海側というものに魅力を感じられなかったので四国に行ってみたわけですが、正解でしたね。日本海へ抜けるともう一泊余分にかかる、というのも瀬戸内海を選んだ理由にありました。
再び四国へ行くと決めたのは別府でした。その頃には、少し旅に疲れを感じ始めていたのです。某ハソ氏も言っていましたが(沢木耕太郎も同じようなことを言っていた気がするが)、そろそろ旅の終わりを考えるべき時にきていたのかもしれません。当初の『原付で九州へ行く』という目的を達成してしまったとき、もはや旅の終わりは始まっていたのかもしれません。