へびのように賢く、はとのように素直であれ

いつの頃か、偽善が世の中に満ちている。偽善は見破らなければならない。へびのように賢く、はとのように素直でありたい。

『終わりの日の預言』の周辺情報!!⑰

2008-05-16 07:40:35 | Weblog

『終わりの日の預言』の周辺情報!!⑰

シムトラの よい知らせ!! Ⅷ

<神の呼び声>

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<写真は記事に無関係>

 これをどう捉えるか。それはまさに自由意思である。自由と言うことは、まさしくこう言うときに、使うべきである。それは自己責任に委ねられているからである。何故か、各個性を尊重すれば、自ずとそうなる。
  何でもかんでも自由奔放と言うことは、本当の自由ではない。悪魔のささやきである。考えてみれば分かる。生まれ落ちて、この方、自由などあり得ない。自由 にどうぞと言うことであれば、とっくに死んでいる。親の献身に従ってこそ、現在がある。自然と社会の規律に従ってこそ現在がある。その上に、自己責任によ る、選択の自由が許されているにすぎない。
 それが、主のもとに許された自由というものである。創られたものは、創り主のもとに従順でなくては、存在し得ない。総じて、自由というものは、許されていると言うことの別名であると考えるべきである。

 いま、人類は選択の自由を迫られている。正しい選択とは何か。生の選択か、滅びの選択かである。

【転載開始】

神の呼び声

何故神はこの国に警告されたのでしょう。

それは、神御自らが御自分の民としてくださった民の子孫がいるからです。

その民の先祖達は、愚かにも神に背き、神がしてはいけないと言われていたことを行い神から離れてしまいました。

神が罪から離れ立ち帰るよう言われても、その行いを悔い改めることがありませんでした。

そのために民は強国に捕囚され、時の移り変りの中で世界中に離散してしまいました。それは、神が前もって言われていたことが実現したのです。

そして、年月が経つにつれ、この国の偶像崇拝や武力闘争の歴史の中で、神の教えは変質していき、子孫に神のことを語り継ぐことさえもなくなりました。

神は、ありとあらゆる全てをお造りになりました。私たちは、神が造られた世界にいながら、しかも私たちも神が造ってくださったにもかかわらず、神から遠く離れ、神ではなく人間の都合で決められたことに従っています。

今も神に背き続けているのです。罪を犯し続けているのです。

現代において、何が神に背いていることなのか、何が罪なのかさえ分からない有様です。

民が離散してしまってから人間にとっては長い長い月が過ぎました。しかし、どれだけの年月が過ぎようと、全てを造られた神は何一つとして変わらず存在し、今も私たちに生きて働かれるのです。

神が定められた「終わりの時」を目前に、神は離散してしまったその子孫達に罪から離れ神のもとへ立ち帰るよう呼びかけておられます。【転載続く】