→⑮の1より続く
平成15年3月9日、私の願い望みに対しての御言葉がありました。
「あ
なたの嘆きがわたしの前に届いた。わたしの腕の力にふさわしく、あなたと共に住む『死に定められている人々』を生き長らえさせよう。主なるわたしは、近隣
の民のふところに、わたしを辱めた彼らの辱めを、七倍にして返そう。あなたたちはわたしの民、わたしに養われる羊の群れ。とこしえに、歓喜してわたしの道
を歩み、代々に、あなたの主なる神の栄誉を語り伝えよ。床につくときにもわたしに語りかけ、わたしへの祈りを口ずさんで夜を過ごしなさい。わたしは必ずあ
なたを助けよう。わたしのふところの中であなたは喜び歌う。あなたの魂がわたしに付き従うならば、わたしは右の手であなたを支える。あなたの命を奪おうと
する者は必ず滅ぼされ、陰府の深みに追いやられる。剣にかかり、山犬の餌食となる。わたしによって、あなたたちは喜び祝い、誓いを立てた者は誇るようにな
る。偽って語る口は必ず閉ざされる。あなたはこう伝えなさい。『わたしは、神が全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。罪の数々がわ
たしを圧倒しましたが、神に背いたわたしたちを、神は贖ってくださいます。いかに幸いなことでしょう、神に選ばれ、近づけられ、神の庭に宿る人は。恵みの
溢れる神の家、聖なる神殿によって、わたしたちが満ち足りています。わたしたちの救いの神、神の恐るべき御業が、わたしたちへのふさわしい答えです。遠い
国、地の果てに至るまで、すべてのものが神に依り頼みます。御力をもって山々を固く据え、雄々しさを身に帯びておられる方。 大海のどよめき、波のどよめ
き、諸国の民の騒ぎを静める方。お与えになる多くのしるしを見て、地の果てに住む民は畏れ敬い、朝とゆうべの出で立つ所には、喜びの歌が響きます。神は、
眠りから覚めた人のように、酔いから覚めた勇士のように奮い立ち、御自ら油を注がれた人の敵を撃って退かせ、とこしえに嘲られるものとされました。』」
神は私に、人々に伝えるべきことを教えてくださいました。
平成15年3月10日にも御言葉がありました。
「わ
たしの祭司よ、あなたに、わたしへの願い望み方を教えよう。あなたがいま、わたしに願い望むべきことは、こうである。『主よ、呼び求めるわたしの声を聞
き、憐れんで、わたしに答えてください。心よ、主はおまえに言われる“わたしの顔を尋ね求めよ”と。主よ、私は御顔を尋ね求めます。御顔を隠すことなく、
怒ることなく、わたしを退けないでください。あなたはわたしの助け。救いの神よ、わたしを離れないでください、見捨てないで下さい。父母はわたしを見捨て
ようとも、主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。主よ、あなたの道を示し、平らな道に、導いてください。わたしを陥れようとする者がいるので
す。』」
『神に御言葉を願い望みなさい』
そういうことだったのです。そして「告白」からすべては始まることもやっとわかりました。
私は、偶像崇拝していた自分を、神が御心に留めてくださったのだと思っていましたが、そうではありませんでした。
平成15年4月16日の御言葉。
「私は偶像崇拝していたあなたを心に留めたのではない。サタンは理由もなくあなたを偶像によって破滅させようとしたが、あなたはどこまでも無垢であったので、あなたの唇の叫び(祈り)はわたしの耳に届いた。
あなたの叫びを聞き、あなたをサタンの唆しから救い出すだめに、あなたに心を留め、あなたを救い出した。あなたと、あなたの子は、わたしの霊によって新しく生まれた。」
私は、「そうだったのか、そうだったんだ」と思いました。
私
が神を選んだのではなく、神の一方的な憐れみによって私を導き出してくださったことをはっきりと知りました。また私は、息子も神によって新しく生まれるの
だということも知りました。人は、神に「命」の息吹を吹き込んで頂いて初めて、真に「生きる者」となることができるのです。ただ、この時の理解はまだ漠然
としたものでした。
<平成15年の過越祭と七週祭>
私は、平成15年4月20日、過越祭の祭礼を祝うために、夫に頼んで主の神殿に行かせてもらいました。その過越の前から、私の信仰の軌跡、そして与えてくださった神の慈しみを記し始めました。神が私に、それを記すようにと言ってくださったのでした。
一つ一つをよく思い出し記すことが、私自身のためでもあり、世に伝えるためでもあったのです。
平成15年6月、主の神殿で七週祭がありました。私は、主の聖所で三大祭礼(過越祭、七週祭、仮庵祭)が執り行われるようになってから、まだ一度も七週祭
に参詣したことがありませんでした。なぜなら、過越祭から七週祭までの期間が短く、夫に、「また大阪まで行かせて欲しい」と頼みづらかったからです。自分
勝手な都合からでした。
私は、夫にあらためて「1年に3回、主の神殿に行かせて欲しい」と頼みました。夫は、何も言わず承知してくれました。
神が、ちゃんと計らってくださっていました。また、「主の神殿」に行くことをいつも承知してくれる夫に、感謝を忘れてはならないと思いました。私はこの時から優先順位が逆転したのです。
平成15年8月17日、私は神がこれからも色々なことを私に教えてくださるように、また御言葉に聞き従っていくことができるようにと、主なる神に願い望みを献げました。
平成15年8月18日、まだ主の神殿に私の願い望みが届いていないのに、神は私に、「『エレミヤ書17章19節』を読むように伝えなさい」と御言葉をくだ
さいました。この願い望みを主なる神に献げる少し前、あいかわらず安息日がよくわからない私に大祭司は、「聖書をよく読んで、答えをみつけるように」と
言ってくださいました。それでも私はまだ、なぜ「安息日に荷物の出し入れをしてはいけない」と神が言われるのか、わからずにいました。そのことを具体的に
教えてくださるように願い望みを献げてはいませんでした。自分でもっと捜さなければいけないと思っていました。
でも、神は私が今何を一番教えていただきたいと思っているか、よく御存知だったのです。
私は、すぐに『エレミヤ書』を読みました。
平成15年8月18日13時50分、祭司である私に伝えよと言われた御言葉。
「祭司であるあなたは天の御使いたちが見守る中で、その書(エレミヤ書)を開いた。彼女が書を開くと天の御使いたちは皆、立ち上がった。」
私は、そういう状況の中で読んだなんて夢にも思いませんでした。でも以前、神は私に「御使いをつかわす」と言ってくださっていました。魂が潤うって、こう
いうことなんだなぁ・・・そう思いました。そもそも、神は、神の憐れみのゆえに、私が安息日を守れるようにしてくださっているのです。世の中の状況では、
安息日に色々なことがあります。でも、それを思い煩うのではなく、どうやったら守ることができるか知恵を求めればいい、神の言われることを守るのに、人の
顔色を気にしてビクビクすることはない、やっとそう思えるようになりました。以前から神は、「たとえ敵に包囲されても、必ずそこから救い出す」と、私に
言ってくださっているのですから。神が与えてくださった安息日は、私たちの喜びなのです。本当に、今まで何一つとして神の言われたことが実現しないことな
どないのです。「御使いをつかわす」と言ってくださったことも「わたしがあなたに教える」と言ってくださったことも。
平成16年2月4
日、主なる神は、預言者を通して私にこう言われました。「わたしがいったん定めたなら、だれも翻すことはできない。わたしは望むままに行う。あなたのため
に定めたことを実行し、ほかに多くのことも定めている。あなたのことも、あなたの夫のことも、あなたの子や子孫のことも、あなたの父のことも」
これから先、神が私に一体どんなことを定めてくださっているのか、私にはわかりません。でも、それは必ず神が私の喜びとして定めてくださっていることと確信しています。
なぜなら、神は私に子供を授けてくださり、神は私を偶像崇拝の中から救い出してくださり(そのまま偶像崇拝を続けていたら大変なことになっていた)、私はこうして神を知ることができたのですから、
この年の仮庵祭のあとから、私は個人としてではなく、祭司として新月祭のお祈りを神にお尋ねしながら献げさせていただくようになりました。
神は、本当に忍耐強く一つ一つ丁寧に教えてくださいます。
私は、いつも「これからも私に教えてくださるように。そして、いつも素直に神に従う私であるように。」と神に祈っていました。
平成18年(2006年)2月10日昼、私に御言葉がありました。
「『主なる神は生きておられる。』ことを、もしあなたが告知し始めなかったら、追う者たちが『夜明けのとき』までその兄弟を追い続けたことだろう。」
平成18年9月、私は新年祭と仮庵祭を祝うため、息子と神殿に参詣しました。
その少し前から、私のなかにモヤモヤとした疑問がありましたが、それをまだ口にしたことはありませんでした。
でも、神は本当に何もかも全て御存知で、預言者に「シムラトが来たらイザヤ書の56章6節~7節を教えるように」と言ってくださっていました。そこにはこうありました。
主のもとに集って来た異邦人が、主に仕え、主の名を愛し、その僕となり、安息日を守り、それを汚すことなく私の契約を固く守るなら、わたしは彼らを聖なる私の山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。
神は「わたしが教える」と私に言ってくださった。
その御言葉通り、神は私に惜しみなく教え、育て導き続けてくださっています。
神のくださる御言葉は、何一つとして虚しいものはなく、何一として成就しないものはありません。【転載続く】