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何を書くかわからない

重慶爆撃(じゅうけいばくげき)

2018-01-18 16:04:39 | 政治

◆重慶爆撃 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/重慶爆撃
重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から 1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略 爆撃。

背景
1937年の 第二次上海事変の結果、日本軍は中華民国の首都南京を攻略し占領した(南京攻略戦 )。これに対して、蒋介石の中国国民党政府は首都機能を南京から漢口に移転した。
 
◆東京大空襲と重慶爆撃の違い – アゴラ
http://agora-web.jp/archives/1651303.html
東京大空襲と重慶爆撃の違い / 過去の歴史を書くとき、自国(自分)の美点は過大 評価し、汚点は極力小さく扱いがちだ。逆に敵(だった)国家の残虐性や犯罪性は誇張し たり歪曲し、美点は黙殺するか、小さく扱う。 なぜか。それは現在の自国家の活力と 繁栄を助長する一.

◆正統史観年表 東京大空襲と重慶爆撃を同列にする愚
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-430.html
『教科書が教えない歴史』 より引用
http://www.jiyuushikan.org/rekishi/rekishi187.html

アメリカの戦争犯罪を問う。

茂木弘道(史実を世界に発信する会事務局長)

東京大空襲と重慶爆撃を同列にする愚 東京大空襲は「無差別爆撃」として非難されるの が普通であるが、 しかしこの言葉は実態を覆い隠す極めて不適切な表現である。 昭和 12年8月13日、中国国民政府正規軍による一方的な全面攻撃が上海在留邦人を守備し ていた日本海軍陸戦隊に対して開始された。 上海全面戦争の勃発である。 ○日本海軍 は敵の根拠地を攻撃すべく首都南京の「軍事政治経済の諸機関」 に対する空爆を計画 し、各国総領事にこれを予告し、 非戦闘員に対する避難勧告を行った。
 
◆日本軍の 重慶爆撃/無差別空襲の 始まり・その結果は 東京大空襲 NNN ドキュメント’17
https://youtu.be/tSYRitTgieM
日本 ありのままの現実 20170331
2017/05/24 に公開
NNN ドキュメント’17 戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか
日中戦争から今年で80年。その中でもあまり語られることがない日本軍による「重慶爆撃」。当時の中国の首都の戦禍とは。そしてその空爆は、いったい何を招いたのか…。
番組内容
日中戦争から今年で80年。その中でもあまり語られることがない日本軍による「重慶爆撃」。当時の中国の首都の戦禍とは。今も存命の中国人被害者は何を語るのか?そしてその空爆の結果、いったい何を招いたのか…。取材班は、防衛省に残る当時の日本軍の戦闘記録にあたった。そして中国の重慶で海外のメディアとしては初めて、空襲の様子を記録した一次史料にたどり着いた。取材から見えてきた「重慶爆撃」の真相を探る。
 
◆NHKは今だにこんなプロパガンダ映像を基に、捏造報道を繰返して居るんですね。完全なイメージ操作の歪曲報道番組です。公平な目で評価して見ましょうか。当時、重慶上空は、海軍の零戦が投入されて一年近くなろうかと言う頃で、その間、抜群の戦闘性能により搭乗員の被害も無く、完全なる制空権の下での余裕の空爆でした。怖いのは高射砲のみで、敵は其れを平気で市街地に設置したので目標に入れざるを得なかったでしょう。戦闘詳報では、高雄海軍航空隊による市内重要施設への爆撃となっています。台湾には、戦前から大陸出身者も多く居住して居て、彼らとも非常に良い関係を築いて居ましたよね。その彼らと同じ様な民衆に対して、少数の上海陸戦隊員を除いては、今だ全く被害を知らない日本海軍が、突然、無差別虐殺を行ったと言うんですか?ハハハハハハハ。日本人の皆さんが其れを信じますかね、NHKさん! アメリカでさえ、プレリューや硫黄島戦の人的大損害の後ですよ。更には英米の大使・領事にご覧あれとばかりに、民間人大虐殺をやったと仰りたい訳ですか。彼らを安全地帯に非難させて居るんですから、彼らを通してでも爆撃区域は事前通告されて居るに決まっているじゃないですか。それとも自分らだけ安全で、民衆の犠牲は許したとでも? 事前通告の為の区分けであり、それが出来る程余裕の戦いであった事は、蒋介石が安全域にずっと隠れていた事でも、明白じゃないですか。ですから、重慶爆撃の事は東京裁判でも問題にされて居りませんし、蒋介石も戦後何も触れていません。自分は安全地帯に隠れて居たなんて、言えますか? もっと触れられない理由は、住民に爆撃予定地区からの事前避難を禁止、と言うよりは恐らく教えず、消化活動を強要し、避難場所を、無責任にも民衆の数を無視して近くの防空洞に指定した罪悪感からでしょう。その為に大惨事が起きましたからね。日本の新聞も「防空壕窒息事件」として犯人の国民党を暗に批判し、「一般民衆の反戦気分がとみに濃化しつつある。」と締め括って居ます。額面道理に受取れば、私の前記判断に合致します。「~事件」の表記は暗に日本軍の犯行を示唆して居る、とか、「反戦気分」は「反日の怒り」と書きたい所を軍を恐れて、とか反論されるのは自由です。当時を知らない訳ですから。だからこそ知って頂きたい。当時の大陸に国家と呼べるものは無く、軍閥の群雄割拠の状態で、党と党の軍隊があるのみで、民衆を守る軍隊など無く、民衆は彼らの盾や資金源として利用されるだけでした。日本軍を加えた三つ巴、四つ巴の間を逃げ惑う存在でした。今だに党軍で国軍は在りませんよね。ですから、当時の「塗炭の苦しみに喘ぐ五億の民を救う」という日本軍のスローガンは、嘘とは言えないんです。実際、戦後三千万人も殺されましたから。南京に入城した彼らは、逃げようとする民を殺し、日本軍が近付くと、今度は彼らの一部を鎖に繋ぎ銃を持たせ、彼らを置き去りにして逃走。逃走用列車に彼らが殺到すると皆殺し。逃走用船舶に殺到すると又々皆殺し。そして重慶へと逃げて来た訳です。同市民は殺気に震え上がったことでしょうね。洞で窒息死した民衆を階段まで運び出した写真ですか? パニックで乱闘の末窒息死という事で、血は流れて居ますが、確かに爆撃や銃撃の様な大きな外傷は無い様です。所で、遺体を運び出すのに、子供の片足を持って放り投げたのでしょうか? 頭が下は有り得ないでしょう。流石は南京の鬼畜。しかし、百歩譲って、泣く赤子の捏造写真で有名なライフ誌の、同じくプロパガンダ写真と見る事も可能でしょう。「無差別爆撃」の見出しで写真を見れば、皆爆撃で其の場で殺された無残な写真と思い込む事でしょう。しかし、本文を読み、写真を能々見れば、避難洞から運び出して、一番手前に、頭を下に四肢を投出した人と、抱き庇う様な男女を配し、中央にメインキャラクターの子供の、同じく無残な姿を配置した、意図的に演出された写真という事が容易に分かります。悲惨さの演出に於いて完璧な構図と言えます。詰まり以上の理由から、NHKの取材内容に無差別爆撃の証拠となる物は全く無いと断言します。同年の終戦記念日にも、NHKは性懲りも無く同様の番組を流しました。ルメイの大虐殺と広島・長崎の原爆投下を、通常の戦闘行為の重慶爆撃一つと天秤に掛けて、完全に釣り合わせて居りました。本当に嘆かわしい公共放送局です。日本人が其処まで残虐だったら、NHK本社はもうとっくに無差別爆破されて居ますよ。

戦争だ。だからなんだ。東京その他の都市への大空襲、原爆投下を行ったアメリカの行為が問題視されず、このように、日本の内部から日本に非道な行為があったなどと言い出す連中がいるということが、この国の病巣だ。
 
◆感情的史観で歴史を観るのはよくないかと思うのですか...どうでしょう? 残酷なことは戦争につきものです。そもそも中国軍の挑発によって日中戦争は始まったのですから... でも、悲しいことには変わりないですね。

いくら戦勝国だといえ、アメリカが非難されないのはオカシイ。 全ての黄色人種を殺せと言ったのはルーズベルトだったよな? 原爆も実験だったしな。
 
◆日本もこういうアメリカが行った東京大空襲のような非道なことしていたという事実を日本人はしっかりと理解し受け止めてほしいな~ 特にネトウヨには

重慶爆撃は 事前に日本軍が いつの何時頃 爆撃するから 民間人は 避難せよと 空からビラを毎回撒いていたはず 要は 防空壕の換気がお粗末で 避難民に犠牲者が出たって事でしょうね こんな深い広い防空壕が中国に有ったって事が凄い でも 何で 遺体のズボンが無かったり 頭から血を流した遺体が写真に写ってるの? 防空壕の中で 喧嘩が起こり 巻き込まれた人に見える!
 
◆大和心を語るねずさんのひとりごと 重慶空爆について考える
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-551.html
広島・長崎に落とされた原爆、東京大空襲や、太平洋沿岸の各市町村への米国の艦砲射撃等の無差別爆撃は、これより先に日本軍が、中国の“重慶”を爆撃し、無差別に市民を殺戮したことがきっかけになっている、という説があります。

『重慶抗戦紀事』によると、日本軍の重慶への爆撃は、1938年12月4日より1943年8月23日にかけて、断続的に218回行われたとされており、中国側の死者は計11,800人、家屋の損壊は17,600棟となっているとか。。

一般市民への無差別爆撃は、1899年のハーグ陸戦条約での禁止事項です。

そのジュネーブ条約を先に破り、一般市民への虐殺を日本が先にしたのだ、というのが彼らの主張のようです。

都市部への爆撃は、それが軍事施設であれば、正当な軍事行為です。
そしてその軍事施設(飛行場、兵器庫、兵舎、対空設備、艦船等)への攻撃を受けた際、一般市民が巻き込まれないように、配慮するのは、むしろ攻撃を受ける(可能性を含む)側の軍に課せられた使命です。

つまり、軍は、一般市民に対して、避難命令を出さなければならない。
もし、その避難命令が出されず、避難措置が採られていなかったのなら、それが戦闘中のことであれば、爆撃してきた側の国の責任ではなく、むしろ攻撃を受けた側の責任です。

そこで重慶爆撃についてみてみると、どうも不思議なことがある。

まず、責任追及というものは、責任を追及する側と、される側の特定が必要となります。

この場合、責任を追及される側は、もちろん日本です。

では、責任を追及する側は、誰でしょうか。

1938年~1943年当時、重慶にいたのは、蒋介石率いる国民党です。

国民党は、南京を追われた後、重慶を首都と定めた。

ただし、この時点で、国民党は中国の正当な政府ではなく、単なる中国エリアの軍閥にすぎません。
なぜなら、国民党が中華民国をうちたてて、蒋介石が初代総統に就任するのは、1948年のことだからです。

そして毛沢東率いる中国共産党が中華人民共和国を打ち立てるのは、1949年10月1日(中華人民共和国建国記念日)です。
 



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