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スパイ学校

2018-02-24 17:18:46 | 歴史


◆陸軍中野学校 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/陸軍中野学校
陸軍中野学校 (りくぐんなかのがっこう)
諜報や防諜、宣伝など秘密戦に関する教育や訓練を目的とした大日本帝国陸軍の軍学校(実施学校)で情報機関。
かつての所在地は東京都中野区中野4丁目付近で、校名の中野は地名に由来する。
偽装用の通称号は東部第33部隊。

沿革
創設の動きは1937年(昭和12年)、戦争形態の加速度的進化で謀略の重要性が増し、日本が世界的な潮流からの停滞を余儀なくされることを怖れた岩畔豪雄中佐が、参謀本部に「諜報謀略の科学化」という意見書を提出したことに始まる。同年末、陸軍省が中心となってその創設を決定。岩畔、秋草俊、福本亀治各中佐を中心として1938年(昭和13年)3月に「防諜研究所」として新設。同年7月より特種勤務要員(第一期学生19名)の教育を開始した。1939年(昭和14年)5月に同研究所は「後方勤務要員養成所」に改編、7月には第一期学生の卒業を迎える。1940年(昭和15年)には「陸軍中野学校」と改名し、1941年(昭和16年)には参謀本部直轄の軍学校へ転身する。その存在は陸軍内でも極秘とされていた[1]。

創立当初は東京・九段(現在の東京都千代田区・九段)の愛国婦人会本部の別棟が仮校舎であったが、1939年(昭和14年)4月に旧電信隊跡地の中野区囲町に移転。1945年(昭和20年)4月、空襲の激化に伴い群馬県富岡町に疎開、富岡中学校などの施設を利用して講義が行われた。当初は純粋なスパイ技術養成機関であったが、大東亜戦争(太平洋戦争)の開戦を機にゲリラ戦術教育機関(アメリカ陸軍の特殊戦スクールに相当)へと変貌する。1938年の開校まで統合された教育機関がなかった為、日本軍にとっては有意義であったが、遅きに失した感はある。.....
 
◆陸軍中野学校 (映画) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/陸軍中野学校_(映画)
陸軍中野学校』(りくぐんなかのがっこう)は、1966年の日本映画。
主演 : 市川雷蔵、監督 : 増村保造、製作 : 大映。上
映時間96分、モノクロ。
解説
戦前から戦中にかけて実在した大日本帝国陸軍のスパイ養成機関である陸軍中野学校に所属することになった一青年将校と、彼を追う内に彼らと戦うスパイになっていく恋人を主人公に戦争の悲劇を描く。
それまで時代劇を中心に活躍していた市川雷蔵が、時代劇以外のジャンルに主演として出演した異色作である。興業的にも成功し、その後シリーズ化された。日本では1966年6月4日に公開され、同時上映は『酔いどれ博士』。

ストーリー
1938年10月、三好次郎陸軍少尉は所属する連隊で草薙中佐と名乗る男の訪問を受け、次々と質問を浴びせられる。1週間後、三好は陸軍省に出頭せよとの極秘命令を受け、母と許嫁の雪子には出張と偽って東京に向かう。翌朝、靖国神社近くのバラックには三好をはじめ18人の若い陸軍少尉が集められていた。彼らの前に現れた草薙は、1年間のスパイ教育と軍服の着用や軍隊用語の使用の禁止を命じる。草薙は陸軍士官学校出身の純軍人で構成された参謀本部とは違う世間離れしていない優秀なスパイを養成すべく、陸軍予備士官学校出身者である彼らを集めたのである。変名を与えられた三好らは、柔道や航空機の操縦、さらに大学教授を招いての政治学の講義にいそしんでいった。 しばらくして、彼らは九段から中野電信隊跡に移動した。ここでは、諜報において必要な技術 - 変装、ダンス、更に名の知れた金庫破りによる窃盗術や生理学者による女の肉体を喜ばせる方法までもが教授され、サラリーマンの団体を装った遊郭での実習まで行なわれた。一方、音信不通の三好を探していた雪子は、消息不明の三好をさがす手がかりをもとめて、参謀本部の暗号班にタイピストとしてつとめはじめる。

過酷な訓練で自殺者を出しながらも1年間の訓練を終えた彼らに卒業試験として与えられたのは、英国領事館の外交電信暗号コードブックの内容入手であった。三好は、アメリカ帰りの洋服屋に成りすまし、ポーカー仲間として領事館の暗号係のデビットソンに接近する。さらに、出入りの中国人コックを買収して領事館に侵入し、コードブックを撮影して見事内容入手に成功した彼らであったが、コードブックの内容はすぐに変更されてしまった。参謀本部の前田大尉は、作戦に失敗した中野学校の存在に苦言を呈する。

三好らは、参謀本部から情報が漏れたのではないかと感じ、参謀本部を訪れるが、そこで雪子の姿を見る。雪子が参謀本部にいることを不審に思った三好は、雪子がラルフと紙片のやりとりをしているのを目撃する。引ったくりを装って雪子から鞄を奪った三好は、その紙片から雪子が英国諜報機関の手先であることを知り、前田大尉から機密が漏れたことを確信する。ある晩、三好は雪子の元を訪れ、ホテルに誘うが・・・

出演
市川雷蔵 - 三好(椎名)次郎
小川真由美 - 布引雪子(次郎の恋人)
加東大介(東宝) - 草薙中佐
E・H・エリック - オスカー・デビットソン
待田京介 - 前田大尉(陸軍参謀本部)
ピーター・ウィリアムス - ラルフ・ベントリイ
早川雄三 - 岩倉大佐(陸軍参謀本部)
村瀬幸子 - 三好菊乃(次郎の母)
仁木多鶴子 - はつ恵(バーのホステス)
三夏伸 - 手塚(中野学校生)

◆北朝鮮スパイと「陸軍中野学校」を結ぶ点と線
日本は貴重な歴史の教訓に目を向けるべきだ
http://toyokeizai.net/articles/-/161968
かつて日本が戦争をしていた時代――
 その存在を歴史から消した男たちがいた。
 後世、彼らの功績が語られることはない。

日米開戦前の世界を舞台にした亀梨和也主演の人気スパイ映画『ジョーカー・ゲーム』の幕は、こんな言葉で切って落とされる。この映画は、旧日本軍内に秘密裏に設立された実在のスパイ養成組織「陸軍中野学校」をモデルにしている。
 
◆『証言 陸軍中野学校 卒業生たちの追想』背広を着たスパイたち - HONZ
http://honz.jp/30940
2013/08/16 - 本書は日本陸軍において「諜報、謀略、宣伝、防諜」のノウハウを教えていた「陸軍中野学校」の卒業生たちの証言集である。
存在したのは日中戦争期から太平洋終結までのわずか7年余り。
当時は一般には知らざれておらず、隣にあった憲兵学校の生徒ですらそこがどんな施設か知らなかったという。
彼らは戦時中であっても、外出時に背広姿を崩さなかった。
 戦後68年を経て、生存者は少なくなるばかりである。
ほとんどは90歳をこえ、病を抱えたり認知症によって何もわからなくなっていたりする。

◆情報に命を賭けた戦士たち。現代日本をも操る諜報の水脈。
http://www.shinchosha.co.jp/book/115521/
秘録 陸軍中野学校
畠山清行/著、保阪正康/編


秘録 陸軍中野学校
畠山清行/著、保阪正康/編

961円(税込)

発売日:2003/08/01

「謀略は『誠』なり」──欧米諸国に対して情報戦に出遅れた日本は、昭和十三年、秘密裏に工作員養成機関「陸軍中野学校」を誕生させた。軍部の因習から離れた合理的、開明的な教育は、敗戦までの僅かな間に驚嘆すべき成果を挙げるが……。諜報とは何か、謀略とは何か。出身者たちの活躍と失敗を徹底的に追いながら、戦争の裏面と工作員の実態に迫った傑作ノンフィクション作品。
 
◆陸軍中野学校の勝利と敗北を体現した男/『たった一人の30年戦争』小野田寛郎
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20100403/p5
2010/04/03 - 私はこの“戦後30年”、必死で、人の2倍のスピードで人生を生きてきた。
帰還の記者会見で「30年のジャングル生活で、人生を損したと思うか」と聞かれ、「若い、意気盛んな時期に、全身を打ち込んでやれたことは幸福だったと思う」と答えた。
【『たった一人の30年戦争』小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(東京新聞出版局、1995年)以下同】.
二十歳(はたち)の小野田は中国語に堪能であったことから、陸軍中野学校二俣分校で訓練を受けることとなる。
当時、陸軍には校名を見ても内容がわからない学校が二つ ...

 
◆Nakano Spy School (1966)
https://youtu.be/RTyfaL9z2mA



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