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●陰陽師

2018-01-10 16:32:23 | 歴史

◆陰陽師
おんようじ
陰陽道に基づいて卜筮 (ぼくぜい) ,天文,暦数を司り,疾病治療などの知識ももった者。大宝令では,陰陽寮に6人,大宰府に1人がおかれたが,のち鎮守府や武蔵,下総などにも陰陽師がおかれている。平安時代中期以後,朝廷の陰陽のことは賀茂,安倍両家の管掌となった。武家でも,鎌倉幕府は陰陽師を用いて,卜筮,祈祷を行わせた。中世以後,日の吉凶,星占い,物忌などが世間に広く流布するに及び,陰陽師はその予知だけでなく,神道の祓 (はらい) を行なったり,仏教の加持祈祷を修して業とする者,さらには家相,人相見,口寄せなどや,きつね,たぬきなどを使って怪奇を告げ,人をたぶらかして金銭を奪う者まで現れるにいたり,江戸時代には,陰陽師の横行を禁止した。明治維新後,陰陽師のような業を厳重に規制したため,その跡を絶った。

陰陽師
飛鳥時代以降の日本で設けられた官職の一つ。中国を起源とする陰陽五行思想に基づいて陰陽道があり、それを活用して律令規定を維持・運営するために「陰陽師」という専門職があった。後には政治の領域にとどまらず、占術や呪術、祭祀(さいし)をつかさどるようになった。律令制下において陰陽師は、中務省の中にある「陰陽寮」という部署に所属し、占い・天文・時・暦の編纂(へんさん)を担当した。
実在した陰陽師としては、平安時代に活躍した安部清明(あべのせいめい)が有名。陰陽寮を統括した安倍氏の祖先とされる。
SF作家の夢枕獏は1986年、清明を主人公とした小説『陰陽師』を「オール讀物」(文藝春秋)9月号に発表、88年に小説の第1作『陰陽師』を刊行。以後シリーズ化され、累計発行部数は500万部を超えている。作品は単行本・文庫、絵本などがあり、関連書も発刊されている。
小説『陰陽師』は、マンガ化、テレビドラマ化、映画化されており、それぞれの分野で人気を集めている。マンガ化は岡野玲子によるもので、単行本は全13巻が白泉社から発行している。独自のキャラクターが登場したり、小説にはないストーリーも盛り込まれたりしており、このことについて夢枕は「より完成度の高い作品にしてくれた」と高く評価している。2001年にはNHKで初めてテレビドラマ化され、主演はSMAPの稲垣吾郎が務めた。15年にはテレビ朝日系でスペシャルドラマとして放送、市川染五郎(7代目)が清明を演じた。映画は01年に「陰陽師」が、03年に「陰陽師II」が製作された(共に滝田洋二郎監督)。2作とも清明を能楽師・野村萬斎、清明の友人・源博雅(みなもとのひろまさ)を伊藤英明が演じた。萬斎の古典芸能で鍛えた所作や舞の美しさが高く評価され、萬斎は第44回ブルーリボン賞主演男優賞、第25回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。
また、フィギュアスケーターで、14年ソチオリンピック男子シングル金メダリストの羽生結弦(ANA)が、15~16シーズンのフリースケーティングで、映画「陰陽師」のサウンドトラックを使い、「SEIMEI」というプログラムを演じたことでも話題になった。萬斎が映画で着用した白い狩衣を模した衣装で、呪(しゅ)を唱えるポーズや、日本の伝統芸能に基づく動きなどを盛り込んでいる。
 
◆いんよう【陰陽】
①  陰と陽。中国の易学でいう、宇宙の万物に働く相反する性格のもの。天・男・日・昼・動・明などは陽、地・女・月・夜・静・暗などは陰であるという。おんよう。
②  陰陽師おんようじ。 「『そなたは-か』『いかにも-でござる』/狂言・居杭 虎寛本」
③  電気の陰極と陽極や、磁石の S 極と N 極。
④  生け花で、植物の枝・茎・葉の裏側(陰)と表側(陽)。また、生け花の空間に定められた陰と陽の側。植物の陰陽を空間の陰陽に合わせて生ける。
 
◆【陰陽五行説】より
中国思想において,陰陽論と五行説とを組みあわせ,宇宙の生成,自然のめぐり,統治のあり方,人体のしくみなど,宇宙から人事にいたるあらゆる現象を説明するのに用いられた理論。さまざまな占いにも応用された。

【中国哲学】より
前漢の初期には,秦の弾圧政策の反動として,自由放任の政治を説く道家思想が流行したが,やがて武帝の代になって儒学が官学として採用され,以後2000年にわたる儒教支配の基礎を固めることになった。漢代儒学の特色の一つは,陰陽五行説を取り入れたことにある。陰陽説とは万物が陽気と陰気の2要素から成ると説くもので,その典型的な例は《易経》に見られる。
 
◆いん‐よう〔‐ヤウ〕【陰陽】
1 中国古代の思想で、天地間にあり、互いに対立し依存し合いながら万物を形成している陰・陽2種の気。日・春・南・男などは陽、月・秋・北・女などは陰にあたる。おんよう。
2 「陰陽師(おんようじ)」に同じ。
3 電気などの正と負。
4 漢方で、病気の経過・状態・部位などを示す、陰証と陽証。
5 生け花の用語。
㋐葉の裏面(陰)と表面(陽)。
㋑花の客位(陰)と主位(陽)。
おん‐みょう〔‐ヤウ〕【▽陰陽】

「おんよう」の連声(れんじょう)。

おん‐よう〔‐ヤウ〕【▽陰陽】
《連声(れんじょう)で「おんみょう」とも》
1 易で、相対する概念。陰(いん)と陽。いんよう。
2 「陰陽道(おんようどう)」の略。
3 「陰陽師(おんようじ)」の略。
 
◆おんよう‐どう〔オンヤウダウ〕【▽陰陽道】

中国伝来の陰陽五行説に基づき、天文・暦数・卜筮(ぼくぜい)などの知識を用いて吉凶・禍福を占う方術。朝廷は早くからこれを採用、陰陽寮を設け、平安時代には全盛を極めた。おんみょうどう。
 
◆しき【式】
1 ある定まったやり方やかたち。方式。形式。型。「式に従う」
2 一定の作法にのっとって行う、あらたまった行事。儀式。「式を挙げる」
3 数学その他の科学で、文字や数を演算記号で結びつけ、ある関係や法則を表したもの。数式・方程式・化学式など。「式を立てる」
4 論理学で、三段論法を構成している命題の質や量の違いによって生じる諸種の形式。論式。
5 平安時代、律令および、その追加法令である格(きゃく)の施行細則。延喜式など。
6 「式神(しきがみ)」の略。
「陰陽師(おんやうじ)を語らひて、―を伏せたりけるなり」〈宇治拾遺・二〉
7 事情。事柄。
「此の程の―をば身に替へても申し宥(なだ)むべく候」〈太平記・一〇〉
8 名詞に付いて、型・様式・方法・種類などの意を表す。「日本式のあいさつ」「電動式」

しき【式】[漢字項目]
[音]シキ(呉) ショク(漢)
[学習漢字]3年
1 一定のやり方。作法。きまり。「格式・旧式・形式・書式・正式・定式・複式・方式・洋式・様式・略式」
2 型をふんだ行事。「式典/儀式・挙式・葬式・上棟式・卒業式」
3 記号・数字を連ねて事物の関係などを表したもの。「数式・等式・化学式」
4 律令の施行に関する細目。「格式(きゃくしき)・延喜式」
5 ひとそろい。「一式」
[名のり]つね・のり・もち
 
◆式
しき
律令や,その追加,改正法令である格 (きゃく) の施行細則をいい,またそれらを編集した書をいう。平安時代に入ると,社会情勢の変化に伴い,盛んに格や式が発布され,それらの編集も行われ,『弘仁式』 (→弘仁格式 ) ,『貞観式』 (→貞観格式 ) ,『延喜式』などが作られた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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式の関連情報
 
◆しき‐がみ【式神/識神】

陰陽道(おんようどう)で、陰陽師が使役するという鬼神。変幻自在な姿で、人の善悪を監視するという。しきのかみ。しきじん。しき。
 
◆式神
陰陽師の命令で自在に動く霊的存在のこと。和紙で出来た札に陰陽師が術をかけると、自在に姿を変えたといわれている。陰陽師・安倍晴明が使役したという式神に十二神将(十二天将)があり、六壬の「青龍・朱雀・白虎・玄武・勾陳・六合・騰蛇・天后・貴人・大陰・大裳・天空」に由来される。
 
◆安倍晴明
あべのせいめい
[生]?
[没]寛弘2(1005).9.26. 京都
平安時代中期の陰陽家。安倍益材の子。賀茂忠行,保憲父子から陰陽道を学び,保憲から天文道の奥義を授かった。大膳大夫,左京権大夫,天文博士などを歴任。その家が土御門の北,西洞院の東にあったため,その子孫は土御門家と呼ばれ,長く陰陽家として栄えた。彼は吉凶を占ったり,陰陽道の祭祀 (泰山府君祭など) を行うなど宮廷で活躍した。また藤原道長,行成ら公家の求めに応じて,多武峯の鳴動を占ったり,病気,物怪 (もののけ) の調伏なども行なった。『栄花物語』では,彼を「神さびたりし物」という,陰陽道の達人として伝えており,彼の伝記には,早くから説話的要素が濃厚であった。『今昔物語』には,忠行の知遇を得たこと,彼が師の忠行と外出して鬼にあったとき,忠行の術法によって難を免れたこと,よく職神 (精霊の一種) を使ったことなどの話を載せ,『古事談』には,道長が飼い犬によって身の危険を知り,晴明に占わせると,彼は,道長を呪咀する者がいることを見破り,白さぎを飛ばして,これを見つけ出した話などを載せている。室町時代の『臥雲日件録』では,彼を「化生のもの」としている。そのため人々は彼の居宅跡に安倍晴明社を創建して彼を霊神として,あがめるようになった。著書に『占事略決』『金烏玉兎集』がある。
 
◆あべ‐の‐せいめい【安倍晴明】
[921~1005]平安中期の陰陽家(おんようけ)。土御門(つちみかど)家の祖。彼の占いや予言をたたえた説話は今昔物語集・宇治拾遺物語などにみられる。著「占事略決」。
 
◆安倍晴明の言及
【蘆屋道満】より
道摩ともいう。安倍晴明と術くらべする人物として登場することが多い。《古事談》《宇治拾遺物語》《十訓抄》に,道摩法師が藤原顕光の命で藤原道長に妖術をしかけるが,道長の犬と晴明に見破られ,本国播磨国に追放されたと伝える。

【蘆屋道満大内鑑】より
異類婚姻譚として著名な信田妻(しのだづま)の伝承は17世紀後半からしばしば人形浄瑠璃や歌舞伎に取り上げられていたが,本作はそれらを集大成した作品。秘伝書《金烏玉兎集(きんうぎよくとしゆう)》をめぐる安倍保名(やすな)と蘆屋道満との対立を主筋とし,保名に助けられた白狐が許婚葛の葉姫の姿を借りて契りを交わし一子を儲けるという安倍晴明の出生譚を絡めたもの。竹本大和掾の風を伝える四段目口の〈葛の葉子別れの段〉がもっぱら上演されてきた。

【鉄輪】より
赤い着物を着て顔には朱を塗り,鉄輪を頭にいただき,その三つの脚にろうそくを付けて火をともせば,生きながら鬼となって恨みを果たせるというのである。一方,夫(ワキヅレ)は夢見が悪いので陰陽師の安倍晴明(ワキ)を訪れて祈禱を頼む。晴明が夫と新妻の人形(ひとがた)を作って祈禱をすると,先妻の生霊(いきりよう)(後ジテ)が現れる。

【信田妻】より
五説経(説経節の五つの代表作)の一つに数えられるが,説経節正本の所在不明。陰陽師安倍晴明の出生にまつわる話と,蘆屋道満(あしやどうまん)との術くらべの話からなる。命を助けられた狐が人に姿を変えて安倍保名と契り子を生む。

【髑髏】より
落語《野晒》もこの類である。また,花山天皇の頭痛は前世の時のどくろが岩の間にあって雨でふくらむ岩に圧迫されるためと陰陽師安倍晴明が占い,それを探し出して岩から取り除いたら頭痛は治った(《古事談》)。平清盛は内庭に多数のされこうべが集まって14,15丈もある巨大などくろと化したものとにらみ合い,これを退散させている(《平家物語》)。
 
◆安倍晴明【あべのせいめい】
平安中期の陰陽(おんみょう)家。天文博士。天文を見てあらゆることを予知し,識神(しきがみ)(陰陽師(おんみょうじ)が術を用いて駆使する神)を駆使したと《今昔(こんじゃく)物語集》などで伝える。
→関連項目阿倍氏|信田妻|【ほ】【き】内伝
https://kotobank.jp/image/dictionary/daijisen/media/103189L.jpg
 
◆あべのせいめい【安倍晴明】
921‐1005(延喜21‐寛弘2)
平安中期の陰陽家。系図類によれば,8世紀はじめの右大臣阿倍御主人(あべのみうし)の系譜を引き,益材の子とされる。960年(天徳4)に天文得業生として歴史に姿をあらわし,以後,天文博士・主計権助などを歴任して,大膳大夫・左京権大夫となる。極位は従四位下。賀茂忠行・賀茂保憲父子を師として天文道・陰陽道を学び,名声きわめて高く,天文密奏(天文の変化をいちはやく察してその吉凶を占いこれを天皇に奏すること)をはじめ,天皇・貴族の陰陽道諸祭や占いに従事した。
 
◆安倍晴明
没年:寛弘2(1005)
生年:延喜21(921)
平安時代の陰陽道の大家,超能力者また占いの神様として神秘的に扱われた人物で『今昔物語』に「古にも恥ぢず,やむごとなかりける者なり」とあるのを初め『古今著聞集 』『宇治拾遺物語』その他にその逸話が語られている。阿倍倉梯麻呂の裔の大膳大夫益材の子で,賀茂忠行・保憲の親子に陰陽道を学び,保憲より天文道を伝えられた。保憲は自分の子光栄には暦道を伝え,そののちはこの2家で陰陽道を支配するようになったが,やがて安倍家が賀茂家を圧倒し,晴明より19世の孫有脩の代から土御門とも称するようになった。9月26日(1005.10.31)没との説もあり,安倍晴明社ではその日を例祭日としている。<著作>『占事略決』
(内田正男)
 
◆【ほ】【き】内伝【ほきないでん】
南北朝〜室町時代の初期陰陽道の天文暦数の書。5巻。《金烏玉兎集》とも。安倍晴明に仮託されるが祇園社(八坂神社)に関連する者の偽作らしい。中天竺の吉祥天源王舎城の牛頭天王が,巨旦大王の妨害に苦しみながらも,蘇民将来の助力を得て,后をめとるという筋を源流に,天文暦数の百科辞書的な項目をそれに関係づけている。
 
◆つちみかど【土御門】
姓氏の一。平安時代以来、天文道・陰陽道(おんようどう)をもって朝廷に仕えた家系。阿倍倉梯麻呂(くらはしまろ)の子孫安倍晴明を祖とし、代々その業を世襲した。
[補説]「土御門」姓の人物
土御門通親(つちみかどみちちか)

つち‐みかど【土御門】
平安京大内裏外郭東面の上東門の異称。また、西面の上西門を西の土御門と称した。築地(ついじ)を切り抜いただけで、屋根のないところからいう。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
大辞林 第三版の解説

つちみかど【土御門】
①  平安京大内裏の上東門じようとうもんと上西門の異名。築地ついじを切り抜いた屋根のない門であることからいう。
②  ◇ 平安京の大路の一。一条大路の南を東西に走る道。

つちみかど【土御門】
姓氏の一。平安中期の安倍晴明に始まる流が有名。天文・陰陽道おんようどうの家業をもって朝廷に仕え、代々天文博士・陰陽頭を出した。戦国時代の有脩の代以後は、暦術博士を兼ねた。
 
◆土御門の言及
【暦】より
977年(貞元2)没したが,その際家学のうち天文道を弟子の安倍晴明に,暦道を子の光栄(みつよし)に伝えた。以後,天文道は安倍家が代々つかさどることになり,のちには土御門(つちみかど)とも称し,全国の陰陽師(おんみようじ)を支配するようになった。賀茂家はのちには幸徳井と名のり江戸時代の終りまで作暦に携わっていた。
 
◆〔福井県〕名田庄納田終(なたしょうのたおい)
福井県大飯郡おおい町にある地名。
頭巾(とうきん)山、野鹿(のか)の滝、陰陽師・安倍家(土御門家)の資料を展示する暦会館、道の駅 名田庄がある。
 



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