平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

新潟方面の行動(11.22~26)

2006-11-26 22:03:53 | Weblog
先週22日、水曜日会社での仕事を終え、帰宅し21時ごろ横浜の自宅を出発、環八経由関越道を北上、一路十日町市の親戚宅に向かう。平日の夜ということもありスムーズに流れて24時前には到着した。そこは家内の親戚で若い頃から大変御世話になったご老人夫妻(子なし)のお宅である。到着して一杯軽くやる。ご主人は認知症、奥様は糖尿病にG手術の後で十分なご主人の世話の出来ない体調である。
ご主人は23日までは近所の介護施設でホームステイとのことだった。翌23日は奥様と一緒に高柳のじょんのび村~寺泊の「鮮魚センター」をドライブする。
夕方帰宅。24日はご主人様のご帰宅である。半年前までのお元気な覇気のある目つきとはうらはらにトロ~ンとした目に認知症という症状の怖さを実感した。 それでも瞬間瞬間は結構しっかりとした会話が出来るのだが、少し経つとさっき食べた食事のことも忘れ、思い出せないようである。それでも気分一新になると思い、野沢温泉へドライブする。(私たち夫婦は共同浴場に入る)温泉タマゴ作りを楽しむ。25日は越後湯沢に行く。家内の遠縁のテル子さんを迎えに行くことと温泉を楽しむことを目的で、17号線沿いの「街道の湯」に入る。一緒に帰宅する。
26日、散歩をしていたら干し柿がタワワになっており家人ももぐような気がない
渋柿の木があったのでもいでよいか伺ったらぜ~~んぶもいでいいよとおっしゃられたので。バケツ2杯分くらい頂戴した。 寒いの何のって驚きである。
10時半ごろ親戚を出発する。帰りは在来道路を使用し「道の駅」を散策しながら楽しんだ。行きは約3時間、帰りは寄り道こそしたが約7時間くらいかかり到着した。 楽しくもあり、いろいろと考えさせられる病状です。元気が一番!!
写真は寺泊の「鮮魚センター」

2006自衛隊音楽まつり

2006-11-19 08:44:48 | Weblog
昨夕、妻と日本武道館で行われた「自衛隊音楽まつり」を観に行った。往復はがき15枚のうちの1枚だった。いつもながらマーチング、奏楽の素晴らしさは勿論、隊員のキリッとした面構え、キビキビした集団演技、スムーズな進行等で爽やかな気分に浸ることができた。隣の席の男性、元自衛官だったようで、その都度その都度同伴者に説明するのが耳障りだったが、それほど親切な人なんだろうなと思った次第。 たまたま双眼鏡を持参していたので、演技者の一人一人までも見ることが出来た。防衛大学校学生のドリル演技の時のことを帰りに妻が「みんなキリッ利口そうな顔をしている学生さんだけど、ややひ弱な感じがした。・・」と話していた。案外当たっているのかもしれない。これからの不透明、課題の山積している時代を乗り越えるためには、青ざめた顔した頭でっかち人間でなく、文武両道が大切なのであり、それを体現できるのは防衛大学校しかないのだと思った。今日の参加者が将来にわたって敵に引き金を引くことがないように・・と祈りつつ
ブログ-写真編に何枚か紹介しています。

今日は息子の誕生日

2006-11-15 06:20:56 | Weblog
息子の30歳の誕生日だ「子どもの頃は可愛かった」というと、オヤジはいつも過去形だ・・と言われる。 今も可愛いとは心に思ってはいるがもう30歳、どこから見ても可愛いという表現は似合わない。 健康にたくましく育ってくれたと思っている。 「出藍の誉れ」という言葉がある。何事もオヤジを追い越すくらい健康に明るくこれからの人生も送って欲しいものだ。 「健、誕生日おめでとう」と言ったら、照れていた。可愛い息子だ。

六合(くに)温泉郷(花敷温泉)

2006-11-15 06:15:42 | Weblog
先週の土日に会社の同僚5家族12人の大所帯で群馬県草津近くの花敷温泉に行ってきた。 中央道の藤野PAにて合流-清里高原(萌木の村)-関晴館着 内湯、かけ流しは気持ちよかった。 翌12日近くにある野反湖に行こうと思いきや。一面の銀世界、スリップ事故が起きては大変であわてて引き返した。その後草津温泉街散策、軽井沢のアウトレット散策等で楽しむ。気のおけない職場の仲間とその家族での温泉ドライブは最高だ。 写真は寒波の襲来で一面銀世界の野反湖への道路、風景である。草津温泉も雪が降っていた。

還暦同窓会に参加

2006-11-06 09:25:11 | Weblog
8年ぶりの郷里での「還暦同窓会」に参加した。男の同級生は会った途端にすぐに分かったが女性は40数年ぶり、卒業後一度も会ったことがない者も何名かいた。男同士の会話で「おい、あの女の先生は何年の担任だった・・?」・隣の男子「う~ん、分からん・・」・その隣の男子「馬鹿言うな、あいつは同級のYさんだよ」というような始末。男子も若く見える先生と並べばどちらが年配かもう見分けがつかない状態だった。神社にてお祓いをし、角島方面の変貌をバスで見学、その後祝宴、二次会、三次会と昼の1時ごろから夜の10時近くまで頑張った。自分を元気だとつくづく感じた。世話人のMさんから、NとF3人を自宅まで送ってもらった。実家では妹たちも帰ってきておりまたまた最後の宴が始まった。その後は3人で大いびきの合唱、実家のおふくろも負けてはいなかった。結構往復の交通費なども馬鹿にならなかったが還暦という節目の年の有意義な同窓会だった。今度は定年後に郷里定住予定の私がまた幹事をし、これまでのお返しをしなきゃと思っている。企画、実施に携わった世話人の皆さんには本当に感謝している。健康第一またの再会が楽しみだ。(写真は郷里のシンボル「白滝山」をバックにN・F両君と)

「いじめ」の功罪

2006-11-03 07:09:36 | Weblog
今全国で中・高校生の「いじめ」による自殺が連鎖的に発生している。教育現場もPTA・生徒も「いじめ」の撲滅に躍起になっているがいじめは撲滅するわけがないしそれほど神経質になぜならなければならないかと思うのは間違いだろうか?
なぜならこの世の中を生き抜いていくためには表面に現れない「いじめ」行為など山積しているからだ。人間の成長過程には何かにつまづいたとき、それを解決するための能力が必要なわけで、事なかれ、いじめのない社会など画餅に過ぎないと思う。 我々の子供の頃を思い出すと「いじめとえこひいきと不平等・・・」と今の生徒たちから考えればみんな自殺しなければならないくらいの環境だったような気がする。 色が黒ければクロンボ・頭が少し大きければ「デッカン」・チンバやツンボなど当たり前・・・・だった。(こんなことを考えるのは不謹慎かもしれないが、それを表示できるのはblogの良さであり、決して強要、賛同を求めるものではありません)。 小さければチビ・背が高ければノッポ・太っていればデブ・痩せていれば骸骨・・・顔が青ければ青大将 結構あだ名を付けるのもうまいもんだ。 あだ名なども付けられた本人が「嫌だと不快感を感じる」のもいじめだろう。国として一喜一憂するよりも、子供たちにいじめを撲滅しようと声をかけるより、それらを理解させ、乗り越えるだけの能力を子供のときに身に付けなければ、この世の中いいことばかりではないのだ。元気に心身ともに健康に育って欲しいものだ。 今の子供たちは「もやし」ではなく「かいわれ」と言われているほど、みんな非常に軟弱・平等に育っているようだ。昔は皆んな個性豊かであって楽しかった。 明日は郷里での「還暦同窓会」だ。楽しもッと