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平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

《図演装置運用課研修、同窓会》

2014-07-25 09:30:50 | Weblog
昨日は約20年ぶりに、当時勤務していた、図演装置の先輩同僚後輩たちとの集まりに参加した。夜勤明けで少し眠かったが、それ以上に久しぶりに会えという気持ちが昂ぶっていた。1530懐かしい中目黒の海自幹部学校に到着した。約1時間、図演装置の現状や今後についてのブリーフィングがあり、現役隊員の苦労や努力の現状を感じ取ることができた。1730構内の厚生棟で懇親会があり、23名が旧交を暖めあった。徳島小松島から、群馬県から、福島県からと遠方からも参加者がおり有意義なひと時を過ごすことができた。帰り際に激しい夕立となり、糖分やまず、同じ場所での2次会となった。帰宅は2200前であり、品行方正と言ったところだ。【写真は集合写真、倉谷・村中氏欠】

今日は《ふみの日》

2014-07-23 06:40:18 | Weblog
今日は7月23日、《ふみの日》です。旧暦の7月が文月(ふみづき ふづき)と23(ふみ)日に因んで1979年旧郵政省が制定した。最近は万年筆やペンで真新しい便箋に手書きし、封筒に入れ宛名書き、自分の住所名前を書き、切手を貼り投函という習慣がすたれ、殆どがメールでの交換、手紙を出す場合もパソコンのワープロ機能での処理で便利ではあるが味気ないものとなった。若い頃、多くの知人友人への情報交換は今のような携帯電話もなく、電話料も高額だったので殆どが手紙、はがきだった。投函後相手に届き、返信をもらう間は色々と想像し、それも楽しいスローライフだった。高校卒業直後からほんの数年間の交際だった、同級生のTさんとも1週間に1通くらいの手紙の交換で200通以上はたまっていたが結局は実らなかった。現在の携帯やスマホでの情報交換はとても便利ではあるがその反面、人の情感が付いていけないほどの速さで、それが原因で犯罪に至るケースがあるのもいなめない。デジカメが普及しているが従前の銀塩+フィルムカメラの人気が落ちないのも納得できる。 私が会員になっているKSN(川崎シニアネット)でも毎月《ふみの日》が設けられ、投稿を提唱しているがなかなか定着せず、盛り上がりに欠けている。手書きをしなくなってからは、漢字も読むことはできるが書くのが思い出せない、字が下手になったということは痛感している。機会を見つけながら手書きを回復したいものだ。 【今回写真なし】

日本の戦後歴史教育

2014-07-10 09:14:23 | Weblog
最近《youtube》で中部大学の武田邦彦教授の講話を観て感じたことを、自分なりに考えてみた。近現代史の是非については航空幕僚長だった、田母神俊雄氏の《日本は本当はいい国だった》という論文で更迭辞職されたことを契機に国民が考え直すようになった。その件はここでは省略することとし、表記の地図は江戸時代末期~明治維新当時の世界地図とアジアの当時の植民地地図(左)と現在の地図(右)である。一目瞭然と分かることは、当時の世界の【国】は数カ国しかなく、殆ど原地人(原住民族)がある程度の距離をおいてそれなりに過ごしており、どちらかが膨れると部族間の争いとなり、侵略(侵攻)、滅亡などをず~っと繰り返していた。江戸時代末期は英、仏、蘭、西、露あたりが、大航海時代の延長とし、未開の土地を発見し、殖民地としていた。原住民の安い労働とただの土地で莫大な富を国として個人として得ていたのが実情だろう。江戸末期に鎖国中の日本周辺に各国が開国を迫り、2百年以上眠っていた日本は外国の言いなり状態での開国となった。当時のアジアで殖民地ではなかった国は《日本》と《タイ王国》のみであり、中国は眠れる獅子とは名ばかりで植民地に準ずる清朝末期の《ウドの大木》であった。諸外国は最後に残った我が国《黄金のジバング》を殖民地にするのはたやすいことだと考えていたことだろう。なぜなら、それまでの有色人種は白人には絶対に逆らえない、逆らってもかなわないというDNAが白人・有色人相互に染みついていたのだ。ところが、開国後の日本はこれまでのアジア人とは異なり、欧米思想や文化などを巧みに取り入れ即座に欧米諸国に追いつき、追い越すまで成功を遂げた。こうなると諸外国は殖民地どころか、《危険な競争相手》と日本を思うようになり色々と無理難題を要求しそれすらもスムーズにこなしたのだ。
その日本が大東亜共栄圏などという、白人にとっては思いもよらない発想でアジア有色人の共栄圏を作り、白人による植民地政策を阻止しようとしたことが、またまた日本を抑える各種の難題を押し付ける要因となった。こんなことを打破するためにも日本は諸外国とぶつかりながらも貫徹しようとし、それが米英中蘭(ABCD line)なるものにより輸入物資の全面禁止や大陸政策の放棄などにより戦争になってしまう。大東亜戦争が《日本の自衛のための戦争であった》ということは戦後、GHQ司令官のマッカーサー元帥が米国内での軍事委員会で発言しているし、アジアの中国・朝鮮以外の諸国は今の世代でも営々と大東亜戦争を肯定し、日本に賛美を贈っていることは案外日本人は知らないのだ。たしかに、中・高校時代の日本史は習ったが、事実を事実としてどころか、日本(日本軍閥や財閥)が横暴であったので、それを食い止めるため各国が戦い、日本が無条件降伏した・・。(総じて日本が悪かったので、世界各国が懲らしめ、それに屈服した戦争だった・・ような印象しか残っていない)。外交の一手段による戦争も決して肯定はしないが、今一度我が国の歴史を洗いなおしてみることも必要ではないだろうか。

テレビを観て(南米パラグアイでの日本の歌)

2014-07-06 22:24:23 | Weblog
最近のテレビ番組を見ると、NHK、民放競って《韓流ドラマ》、サスペンス、凶悪犯人を捕らえる刑事物、深夜はホラー映画にTVショッピングとわざと低俗番組を放映しているようにしか思えない。FIFAの報道も日本が1次予選リーグで敗退したので狂ったような報道はしないのでホッとする。今夜の12ch(テレビ東京)で外国でどんな人がどんな日本の歌を歌っているかをスペシャルで放映していた。ロシア人が流暢な日本の歌を歌っていたのには驚いた。特に、南米のウルグアイでは20年前、日本に旅行に来た時に、日本の文化習慣や伝統、しつけ等に感動した夫妻が、ウルグアイに帰国し《日本学校》を設立し、現在2歳から?歳まで3,500人が日本の文化や日本語などについて学んでいるということである。子供たちも大学生くらいの者も片言の日本語はみんな話しており、得意の日本の歌を披露していた。その日本語学校では1日に一度は必ず《日本国家君が代》を全員で歌うそうだ。幼稚園くらいの子供たちの口の動きも間違いなく《君が代》の動きには感動した。地球の裏側にある国の人々がすごく日本を愛し、日本の歌をうまく歌っていた。日本人も敗戦からの自虐史観に囚われることなく誇りと自信を持って良き伝統を後世に伝えたいものだ。【写真はテレビ東京放映の一部】 

集団的自衛権容認

2014-07-02 06:04:56 | Weblog

昨日、集団的自衛権容認が閣議決定された。1954年7月1日自衛隊発足からちょうど60年目の注目すべきことである。周辺諸国の理不尽な対応にあきれ返っていた国民の大部分は容認には静かに《やむを得ない賛成》をしたことだろう。相変わらずマスコミは一部の反対行動などを大々的に報道し民心を煽り立てているのが腹立たしい。大東亜戦争の無条件降伏を承認し、GHQのいいなりの戦後処理、戦後教育で日本は力を疲弊し、米国の圧倒的な戦力、経済力に依存せざるを得なかった。その後の血のにじむような戦後復興により今日の繁栄を築くことができた。しかし、《自分(自国)を守る》という動物的本能ともいうべき常識的な行為を日本人のDNAからはずされてしまい、《戦争放棄》というお題目を唱えていれば安全は確保されると思い込むようになった。東西冷戦が終結し、世界の軍事バランス均衡がくずれ各地での紛争や、国際法や条約を無視した行動が蔓延し、わが国周辺諸国でも目にあまる行動が未だに続いているのが現状である。米国の世界の警察官としての圧倒的な力のあった時代では、米国におんぶにだっこしてもらうだけで良かったが、これほど複雑化した国際情勢ではある程度の犠牲を伴う国防はやむを得ないと思う。現実的にはこの集団的自衛権容認がこれまでと今後大幅に変わるということはないと思うし、これにより近隣諸国が日本の《本気度》に気付き変化してくるのではないかと思う。