平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

関門海峡での衝突事故

2009-10-28 06:12:24 | Weblog
昨夜8時ごろ護衛艦くらまと韓国船籍のコンテナ船が最狭部の艦門大橋付近で衝突した。相変わらず経験も、実状もほとんどわからないコメンテーターは面白おかしく報道している。写真を見ると、あの場所で韓国コンテナ船の右舷に損傷があること自体が不可思議である。艦船はすれ違いの場合は右側航行(左舷対左舷)が鉄則であり、接触したとしても双方の左舷に損傷があるはずである。艦船の責任者として何度も関門海峡を通峡したことがあるが、海上自衛隊の艦船は海峡に入る前から十分な態勢(見張りや、緊急時の投錨、舵の故障等)を整え、指揮官、当直士官(実際の操艦者)、レーダーの担当などは事前のイメージトレーニングをやり、通過するのである。私は「くらま」衝突の現状から、今回の事故は艦長の仮眠だとか、海上自衛隊側の大きな過失はほとんどあり得ないし、約7000トンのコンテナを甲板に積み上げ見通しも悪く、おそらく乗員も10数名であろう。「くらま」は関門海峡は何度も通っており、付近の状況や導灯、潮流の状況などは知り尽くしていたと思われる。あの狭い水道で正しい航路を航行し、当然相互に航法を守って航行するであろう相手船が前方を遮るように航行すれば被害局限の衝突が最善策だったのかもしれない。艦船の前部には警戒員など相当数の乗員がいたと思われるが軽傷数名と聞き不幸中のさいわいであった。なんでも海自を悪者にする日本国内のマスコミの国籍は日本人なのか。(拝借写真は韓国船籍の右舷の損傷) 

観艦式事前訓練に行く

2009-10-23 19:48:34 | Weblog
今日は会社を休み「観艦式事前訓練」を見に行った。8時前に横浜新港に横付中の訓練支援艦「てんりゅう」に乗艦する。熱海のKさんご夫妻、川崎の義兄と友人の方も同じ艦に乗る。9時に出港「てんりゅう」は観閲付属部隊であり概ねの行事を見ることができた。装備の近代化には目を見張るものがあり、ヘリ搭載護衛艦「ひゅうが」の巨大さには驚いた。まさに航空母艦である。実際同じような能力を持っていても英国では「対潜巡洋艦」という艦種に区分されている。海上自衛隊は護衛艦で全て通用するから不思議だ。(空母は憲法上から保有することは禁じられている。)、でもどうしても空母としか言いようがない威容さと巨大さであった。いろいろ展示訓練を見て1600ごろに元の岸壁に接岸した。隊司令は影山一海佐であり、いろいろとお話などができた。東部音楽隊の演奏もとてもよかった。乗艦中から船酔いではない後頭部の頭痛が少し気になる。久しぶりの潮風および若い隊員のキビキビした所作に若さをもらった一日だった。

再再就職本格始動

2009-10-23 05:57:55 | Weblog
先週金曜日から本格的に勤務に入った。下丸子1丁目の交差点付近の雨水、汚水工事の交通誘導である。多い時には6名、少ない時は4名で現場付近の歩行者や自動車を安全に誘導する仕事である。午前8時から午後5時(その間お昼を含め約2時間の休憩)の勤務であるが、現場付近の事務所には早めに行くよう心掛けている。最初から残業2時間、残業4時間が続き「こりゃ一体どうなるのか?」と思ったがそれも工事の進捗によっては止むをえないことも理解できた。今週は概ね残業1時間が続いている。今日で6日間勤務したが、忙しく動いている時と、何もないがじっと立っている時の両方が結構きつい勤務である。行き来する歩行者も十人十色で挨拶しても無視して通過、「お疲れ様~ 有難う」と声をかわす人、人・・・。この仕事に就くまでは私自身は少し交通誘導員をさげすんだ目で見ていたが、やってみると大変な仕事だということが分かった。目配り、気配り、思いやりなど自分の持っている経験を発揮し誠実に仕事を続けたいと思う。これまでの勤務とは少し違った新鮮かつ「今日も仕事をしたんだ」という満足感、達成感を感じる昨今である。 今日はお休みを貰って観艦式事前訓練に知人と行く予定である。肉体労働をしていると帰宅後のかみさんのサービスもコミニュケーションもよくなってきた。

神奈川県の「残業ゼロ革命」

2009-10-14 06:55:04 | Weblog
読売新聞の朝刊に神奈川県「残業ゼロ」宣言の記事が掲載されていた。官公庁にしても然り、民間会社など当然実施しなければならないことだと再就職した当初から思っていたことだ。職場を見渡すと自分でワークライフバランスを考え勤務している社員が少ない。定時退社を心掛け、ギネスブックにでも載れそうなくらい「ノー残業」で勤務してきた。残業はすればするほど手当が付きその額は馬鹿にならない。月に5万円~10万円近く残業代を支払っている会社方針が理解できない。
毎週水曜日は「早帰りの日です。・・・」とマンネリ的な社内放送が流れ、そんな日に限りミーテイングや会議などを入れ込む。まじめに考えると自分が馬鹿らしくなる。定時退社で同じ生産性を出しても、給与は全く同じであれば、やる気も減退する。何度か検討を申し入れたが、「残業が欲しければ残業して下さい」などと無茶な回答をもらいあきれて果てたことを思い出す。
以下は今朝の朝刊の記事である。 組織一丸となって見直す大事なことなのだが。
「神奈川県の松沢成文知事は13日の定例記者会見で「仕事と私生活の質を向上させたい」として、全職員の残業ゼロを目指す「残業ゼロ革命」を宣言した。業務を簡略化し、残業ゼロに取り組む職員を評価するなどして、来年度中にも実現する。県によると、残業縮減を目指す自治体はあるが、目標値をゼロにしたのは全国で初めて。現在、全職員の残業時間は月平均約15時間で、月100時間を超える職員もいるという。達成に向け、〈1〉所属長への退庁時間の事前申告〈2〉報告書など内部資料の廃止・簡略化〈3〉残業ゼロに取り組む職員に対する優先的な昇進〈4〉時差出勤の拡大――など18項目を設定。11月から一部の部署で試験的に取り組む。これまでノー残業デーなどは実施してきたが、松沢知事は「今回は運動でなく革命。無駄な仕事をすべて削って実現したい。結果として残業手当が減ることにもつながる」としている。
(2009年10月13日 読売新聞朝刊)」

日光方面のドライブ

2009-10-12 08:54:35 | Weblog
昨11日ご近所の夫妻と日光方面をドライブした。早朝3時に出発し、第三京浜、首都高速、東北自動車道、日光宇都宮線経由、日光に6時半ごろ到着。寒くてガタガタ震える。お天気にもどうにか恵まれ、戦場ヶ原散策、片品村、奥利根、水上経由、沼田インター近く「道の駅 白沢」の望郷の湯に入る。泉質、眺望は抜群だった。帰りは関越道を通り9時ごろ帰着する。自宅近くのファミレスで反省会を兼ねた遅い夕食をとり帰宅する。 全般的に渋滞にもさほど巻き込まれず、早起きは三文の得だ。(写真は日光中禅寺湖の「龍頭の滝」)

警備会社へ再再就職(交通誘導業務)

2009-10-10 15:30:21 | Weblog
前の会社を退職し、早くも10日が経った。先月末から求職をインターネットで検索していたが、ようやく1社が面接に応じてくれた。退職翌日の1日に営業所所長による面接を受けた。今度の会社は建設現場近くでの交通誘導業務である。まさに額に汗して、寒い日も暑い日も首から下で稼ぐ仕事なのだ。「あなたの職歴でこの仕事を選んだ理由は?」とか「これまでのプライドを捨てることができるかか」・・いろいろ聞かれた。ま、そんなことはどうでもいい、心身ともに元気であれば、やはり働くことが必要だと思うし、その内容は首から上でも、首から下でも関係ない。家でゴロゴロ、年金生活という生活こそが健康を害するのではと思っている。5日付で正式採用され、9日までが研修期間だった。いよいよ連休明けから実勤務に就くわけであるが、誠心誠意勤務を全うしたい。何といっても健康第一だ。(画像なし)

定年退職

2009-10-03 02:40:19 | Weblog
9月30日付で現在の損保会社を定年退職した。 未練も悔いも全くない。健康に8年間が過ごせたことに満足している。この間はまさに有言実行の8年間といっても過言ではない。上司、同僚、部下(はいなかった)に愚痴も含めて言いたいことを言い、やりたいことをやった8年間だった。自衛隊と大きく異なったのはon・offが極めて明確であったこと、ハッキリわかったことは努力しても結果を出しても殆ど自分に反映されることはない(結果を出さなくても遅い時間まで残り残業しているほうが結果的に報酬が多い)ことがよくわかった。ま、それもこれも自分の生きザマであり、ある時期のバカ上司から「悔しかったら残業しろ」と言われたことが一番心に残る。私をその程度しか見ていなかったのかと・・・・・。会社組織も巨大化すればするほど老朽化とマンネリ化が蔓延してくる。いくら建設的なことを言っても「検討する」といって検討したことがない。面倒臭いのだろう。10月1日には早速再再就職の面接に行った。昨日採用の連絡があったが、これからは
文字どおり「首から下」での勤務だ。それもいいだろう。これまでやるべきことは自分の能力以上やってきたのだから・・・・・。来週から研修が始まる。

義姉1年祭と千葉勝浦行動

2009-10-03 02:17:56 | Weblog
9月下旬から10月初頭は目の回るような忙しさだった。23日から26日までは熱海の義姉の1年祭を身内だけでささやかに行った。来宮神社の宮司さんの送迎や何かと雑用で走り回る。26日帰宅し、27日は東京湾アクアラインを利用し千葉県勝浦市にある高校時代の同級生I君の奥さまの実家に夫婦でお邪魔する。夕方から防波堤で釣りをするも「ふぐ」から餌ばかりとられていたが、薄暗くなってアジやサバの形のいいやつが数匹釣れた。夕食をご馳走になり夜遅くまでトランプをして楽しむ。28日早朝は奥さまの従妹の方と網あげの様子を散歩がてら見に行く。さくらという気の弱いワンちゃんも一緒だった。10時過ぎにお宅を失礼し、同市内(といっても相当田舎)の海自同期のH君の別荘を訪問する。200坪の広い敷地にこじんまりとした別荘、広い庭園と菜園でご夫婦楽しんでいた。お昼をご馳走になり沢山の野菜をお土産に帰途につく。川崎駅近くでふと数年間お会いしていないKさんのマンションを訪ね、お土産のお裾わけをし、お抹茶をご馳走になる。超長期有給休暇もそろそろ終わりに近づいてきた。(少しさかのぼっての記述)