ここ数日、毎日のように大阪市立の桜宮高校の顧問の体罰と生徒の自殺問題から始まりマスコミが微に入り細に入り報道している。今日は日本女子柔道強化監督の園田監督の記者会見《辞任表明》が報道されていた。私たちの少年期から青年期にも今から思えば体罰とも言える行為は日常茶飯事に行われ、それを指導を受ける我々も当然と思っていた。儒教の名残の残る当時としては指導する側も受ける側も今ほど敏感に受け取っていなかったのではないかと思う。特に体育会系の部活では相手、他校に勝つためには教師もキャプテンも相当な声《今の報道では暴言》や気合《今の報道では体罰》もせざるを得ない場合もあったと思う。それでも歯を食いしばって練習には頑張ったものだ。今思い出しても、暴言や体罰を受けた経験はあるが、竹刀で叩かれても、平手で叩かれても、顔が腫れたことはない。竹刀で叩くのが体罰とか暴力とかで表現されているが、竹刀は大きなバシッという音はするがさほど痛くはなかったし、跡も残らなかった。当時の教師も先輩も気合の入れ方のイロハを知っていたのだと思う。最近のニュースのみでの信憑性は定かではないが、唇が切れ、顔に打撲と腫れが残っていたとかとなると、指導する側も指導の限度や方法を全く分かっていないし、指導する側、される側の気持ちが全く伝わっていないことが考えられる。子供の頃から《喧嘩はしない、させない》とか《話せば分かる》という過程で成長したのだから指導する側に立ってもまともな指導はできないのだろう。個人的な意見ではあるが、今回の園田日本女子柔道強化監督の潔い、正直な記者会見には感激すら覚える。今のような考え方だと、現役の教師や監督などの指導すべき立場にある者の熱意は失せてしまい、強い絆や団結力などを育成することはできないだろう。【写真yahooニュースから拝借】
昨日のニュースで昭和の大横綱《大鵬》が亡くなったことを報じていた。丁度私が中学生から高校時代が大鵬の全盛期だったような記憶がある。当時は並みの関取よりも大型であったため、小兵力士の好きだった私は個人的には大ファンではなかった。(それでも今の巨漢力士に比較すると均整のとれた逸材であると思う)。当時は右上がりの高度成長期であり、何をやっても努力すれば報われる時代だったような気がする。大鵬は北海道弟子屈近くで、16歳当時家庭が裕福でなく、家計のために営林署に勤務していたところを角界にスカウトされたそうだ。当時はこどもの好物として、「巨人・大鵬・卵焼き」と言われたほど人気があったし、若くして相撲界の記録もどんどん塗り替えたことを記憶している。思い起こせば、小学校当時は巨人の背番号16川上哲治、相撲では初代若乃花に憧れていた。不思議と今でも懇意の竹馬の友のH・T君は西鉄ライオンズと相撲でも栃錦だった。当時は田舎の公民館などで映画を催し、子供はたしか30円くらいだった。現実に目を向けると韓国ドラマのファンには失礼だが、深夜のNHK、民放・地デジ、BS・・・とどこを回しても韓国ドラマとテレビ通販が多くまったくうんざりしてしまう。視聴率を高める必要もあろうが、特にNHKなどはもう少し視聴者の気持を沈静、安静させるような健全なドラマや記録映画などの放映をして欲しいものだ。それにしても昭和の大横綱の他界でまた昭和という時代が遠ざかっていくような気がした。【写真は産経ニュースから拝借】
昨日は《爆弾低気圧》の影響で関東地方は大雪に見舞われた。ちょうど姪の結婚式が東京タワー近くの超高層ホテルであり、行きはよいよい、帰りはまともに影響を受けた。33階の披露宴会場からの眺めは絶景のはずが真っ白な銀世界だった。帰りの駅からのタクシーは長蛇の列、バスは運休で、吹雪の中の《雪中行軍》だった。往復の車中では今年成人になった若者たちが晴れ着で大雪のことなどを話題に談笑していた。若者にとって、この大雪がこれからの山あり谷ありの人生を祝福しているように感じた。【本朝の読売新聞から拝借】
我が国及び近隣諸国、米国などのリーダーが大幅に変わった直後の2013年は一体どうなるだろうか? ある人が《政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治》と言っている。尖閣諸島は昨年秋頃から、中国漁船や海監(日本の海保相当)の船は堂々と尖閣海域を遊弋し、海監所轄の固定翼機がついに領空侵犯までやってのけた。我が国はこれまでどおりの《疑いなく日本固有の領土で、実効支配している》《誠に遺憾である、毅然として対応する》等々子供でも分かるような詭弁で対応している。中国は相変わらずの70年近く前の戦前の日本の対中行為を金科玉条にしたたかな脅し外交で尖閣諸島を行動している。情報では海域には海自の艦艇が監視に当たっているようであるが、日本政府は監視艦艇には《中国船を監視できる可能な限り遠距離での行動》を指示しているとのことである。至近距離では予期しない事態が生起することを恐れての指示なのだろう。年末の中国の領空侵犯は、現在の我が国の防衛態勢の盲点を突くものであり、容易に【空挺降下による強襲】ができることを証明している。沖縄から空自戦闘機がスクランブルをかけて領空侵犯に対応したようであるが、到着時はあとの祭りであるし、小型セスナ機にF15戦闘機では帯に短し、襷に長しである。中国共産党の部隊が空挺降下をしても、自衛隊が奪還などの対応は現状ではできない、つまり、正当防衛や緊急避難という誰しもが有する行為しか法律で定められていない現状なのだ。起こって欲しくないのだが、今の状態であれば半年か1年以内くらいには【尖閣海域】での、日中のトラブルは100%正規するであろう。もし、そのような事態が起きた場合、政府は自衛隊にどのような命令を出すのだろうか?はなはだ疑問である。日本は何故《血を流さない戦争である政治、外交面で真剣な取り組みができない》のだろうか?新聞誌上やテレビ報道では《東京へのオリンピック招致運動》や国内の事件等と同じ程度しか報じていないのが全く理解できない。
5日、新宿勤務の夜勤明け、梶が谷にお住まいのWさん宅での新年会にお呼ばれした。7名の気のおけない皆さんとの会話に話が弾む。私も美酒とおだてについついその気になっておしゃべりは止まらない。Wさんのお宅は迷路のようであっちこっちにパソコンやオーデイオ、麻雀室やホームシアター等々、一人では迷子になるようなお屋敷だった。皆さん紳士、淑女の方ばかりで私の無法ぶりもお許しいただいた。どうにか帰宅はしたものの自分自身はしっかりしていたつもりだが、久し振りに酩酊状態だった。雰囲気やお酒が美味しくとも、少しは反省しなくちゃいけないな。この次に呑む時はもう少し自制心を持って臨むつもりである。【写真なし】
関東地方の元旦、2日とお天気は快晴(今日は強風)で、静かな新年を迎えた。昨日は夕方から、高熱の息子が久しぶりに戻り、話もせずに寝込んでいた。年賀状を拝見し、高齢のため今年で賀詞の交換を終わりたい旨の賀状が数名あった。年に一度の賀詞交換と思えば、年賀状を差し上げるのも、《健康生存証明書》とも言うべきか。今日は町田に住む娘夫婦が挨拶に来て、家内手作りのおせち料理に舌鼓を打つ。母は下関市内の病院での越年だが、これもいかんともしがたく、時の流れを痛切に感じる。今年も大過なく、穏やかに過ぎることを念願している。