先々週実家の母の交通事故で1週間帰省した。 自分自身も腰痛などを抱えているにも拘わらず家内の母への献身的な介護にとても感謝した。 嫁と姑の関係はなかなかうまくいかないところが多いようだが、わたしはとても感謝している。母が素晴らしいのか、妻がそうなのか・・・。 両方そうだからうまくいっているのだろう。 実の母子である私の妹たちの関係よりも仲が良いので、ハザマに立つ私はとても助かる。 最後のオチとしてはそういういい嫁を探した私が素晴らしいのだろう。 この関係がいつまでも続くことを願っている。
堀江貴文のライブドアーが陥落した。 誰が考えてもおかしい太り方だった。 それにしても東京地検の急襲捜査はさすがだ。 100億単位がごく当たり前のように増減する。それを毎日パソコンとにらみっ子している若者も多いようだ。額に汗することなくマウス操作だけで大損したり、大儲けしたりのまるでバーチャルの世界である。 勤労、勤勉だった日本人の心はどこに行ったのだろう。 それにしてもこれまで泳がせていたのか、本当に気付かなかったのか・・。
昨年8月義姉の墓参で駐車中の車にアクセルとブレーキを間違えて激突(修理金額約60万円)した80歳のご老人から年賀状を頂戴した。 ご丁重なお詫びの内容、それまでは良かったが後段で「早速川崎大師にお参りして護摩を頂戴して足元に備え安全運転に心がけます」とあったのには驚いた。 事故当日もお孫さんから
「お爺ちゃんは運転は下手だからやめたほうがいい」と言われた矢先だったそうである。高齢者の誤操作による事故は後を絶たないことを考えると積極的に免許証は返納したほうがいいのかもしれない。一方身近に大正13年生まれの母は、事故で転倒、入院したにもかかわらずまだ50ccバイクを運転したいと言って聞かない。困ったものだ。
「お爺ちゃんは運転は下手だからやめたほうがいい」と言われた矢先だったそうである。高齢者の誤操作による事故は後を絶たないことを考えると積極的に免許証は返納したほうがいいのかもしれない。一方身近に大正13年生まれの母は、事故で転倒、入院したにもかかわらずまだ50ccバイクを運転したいと言って聞かない。困ったものだ。
12日に私が最初で最後の仲人をした、K君が50歳の若さで突然亡くなった。 K君は昭和56年当時海上自衛隊の艦艇勤務で私の部下だった。結婚するので是非是非とのことで光栄の仲人役を引き受けた。June Brideの美男美女でとても素敵なカップルだった。 その後夫婦は一太郎二姫に恵まれ、息子さんは大学生、お嬢さんも高校生でありとても幸せな家庭だった。その幸せ過ぎるほどの家庭と奥様の突然パートナーを失った心境を察するとまさに痛恨の極みである。 やはり我々は生きているのではなく、「生かされている」のか。 もう仲人をやることもあるまい。 大切な宝物を失ったような気がする。 合掌
先週の日曜日、山口の実家に戻り約10軒の夫婦、親子などが集まり「お日待ち」という行事に参加した。いつ頃から始まったのかは定かではないが江戸時代からの伝統行事で「庚申信仰」の一つである。昔は一晩中飲み、語り明かして翌日の日の出を拝むのである。今は高齢化となり、10軒の殆どの家庭がご老人の独居生活である。 それでもその日は外に出ている長男などが戻り参加している。男はしめ縄造り、女は料理をこしらえて、地元の宮司さんから祝詞をあげてもらう。現在は夜を明かすということはないが、それでも日頃疎遠になっている個々の家同士のコミニュケーションの場である。 わたくしもしめ縄造りのお手伝いをしたが、その時「縄をなう」という行為が、子孫へのつながり、近所同士のつながりなどを意味しているのではないかと感じた次第である。 それにしても我々ももう少ししめ縄造りもマスターしなくてはいけないと思うが、お年よりの作業はさすがきれいだった。
6日の夜行バスで7日朝下関駅に着いた。 過去に放火歴のあるホームレスの放火によるもので、スピード逮捕だそうだ。 そう表現すればいかにも警察のお手柄に聞こえるが、よくよく調べてみるとそのホームレスは昨年末に長期の刑期に服し、出所した74歳の男だそうだ。その男は放火の前から「確実に長期間刑に服するにはどうしたらよいか」と何度も警察に相談したそうだ。高齢だしホームレスだし、病弱(風邪気味)だそうで、安定した住環境は刑務所が一番だそうで、何度も何度も放火について相談したそうだ。コンビニのパンなど盗んでも注意されて1,2日留置所に入れられればすぐさま出所させられるそうなので高齢受刑者にとってはとても不安だそうだ。 一体この世の中どうなっているんだと怒鳴りたくなるが、決して笑えない現実がそこにある。 泥棒したら警察に捕まり牢屋に入れらる・・・と思っていたのが、頭がどうにかなりそうなおかしな時代になったものだ。
(写真は下関駅:昭和20年の木造建築である)
(写真は下関駅:昭和20年の木造建築である)
今の仕事は賠償主事と言って交通事故の加害者(契約者)と被害者・医療機関の間に、任意保険加入者(加害者)の代行の立場で事故の損害賠償の仕事をするのだが
いつも疑問に感じることがある。 一つは負傷した者が被害者意識が強すぎること、つまり自分自身の不注意での自損事故(階段を踏み外して怪我をした等)であれば「ウ~ン 痛い 痛い でも我慢しよう」というわけであるが、他人との事故の場合、自分が悪くても、怪我をしたほうは「怪我を負わされた」と思いがちであることである。 たいした怪我ではないのに、毎日毎日通院して、行けば行った分
慰謝料などが多く貰える仕組みになっているからである。 「あんた、自分で転んでその程度の怪我だったら病院に行くの?そんなに何ヶ月も通院するの??」と怒りたくなるような事故で何日も通院している者が多い。 これらの医療費、慰謝料などは殆ど内容を分かっていない善良な車保有者の「自賠責保険(=強制保険)」でまかなわれているのである。 イタイイタイと言えば担当者としても、そんな筈がないと心には思っていても、腫れ物に触る気持ちで対応せざるを得ない。
それで、長すぎて何度か終了予告をしても、被害者からは「言葉が横柄だ」とか「突然治療費の中止を宣告された」などとクレームとして訴え、担当者を変えろとか、色々無理難題を投げかけてくる。 不思議と暇そうなフリーターやニートと言われる若者の怪我が治りにくいのが事実である。 まあ病院(接骨院)も保険治療
は通常の2倍(200%)の医療費が稼げるのだから、早く治療をやめろなど言おうものなら烈火のごとく保険会社の担当に怒鳴ってくる。 そんな日本に誰がしたのかと言いたくなるくらい、おかしなことがまだまだ山積している。 今回は長くなったのでこれで止める。
いつも疑問に感じることがある。 一つは負傷した者が被害者意識が強すぎること、つまり自分自身の不注意での自損事故(階段を踏み外して怪我をした等)であれば「ウ~ン 痛い 痛い でも我慢しよう」というわけであるが、他人との事故の場合、自分が悪くても、怪我をしたほうは「怪我を負わされた」と思いがちであることである。 たいした怪我ではないのに、毎日毎日通院して、行けば行った分
慰謝料などが多く貰える仕組みになっているからである。 「あんた、自分で転んでその程度の怪我だったら病院に行くの?そんなに何ヶ月も通院するの??」と怒りたくなるような事故で何日も通院している者が多い。 これらの医療費、慰謝料などは殆ど内容を分かっていない善良な車保有者の「自賠責保険(=強制保険)」でまかなわれているのである。 イタイイタイと言えば担当者としても、そんな筈がないと心には思っていても、腫れ物に触る気持ちで対応せざるを得ない。
それで、長すぎて何度か終了予告をしても、被害者からは「言葉が横柄だ」とか「突然治療費の中止を宣告された」などとクレームとして訴え、担当者を変えろとか、色々無理難題を投げかけてくる。 不思議と暇そうなフリーターやニートと言われる若者の怪我が治りにくいのが事実である。 まあ病院(接骨院)も保険治療
は通常の2倍(200%)の医療費が稼げるのだから、早く治療をやめろなど言おうものなら烈火のごとく保険会社の担当に怒鳴ってくる。 そんな日本に誰がしたのかと言いたくなるくらい、おかしなことがまだまだ山積している。 今回は長くなったのでこれで止める。
元旦・本日と多くの旧知の方からの年賀状を頂戴した。 お元気な証拠であり、とても嬉しい。 私は年賀状について2つの考えを持っている。年に一度の健康の証であるご挨拶なのでなるべく多くの方に出すべき、一方はそろそろ年金暮らしの準備として最小限、或いは年賀の挨拶を止めるという考えである。 どちらかというと私は前者を選びたいのだが、これから高齢となり先立つものの制限があれば自ずとそれ相応の生き方をしなければならない。となると必要最低の方に差し出すのがよいかとも思うが、結局出さなければ元旦以後の作業(出さなくて頂いた人へのお礼の賀状)が忙しくなる。 いただいて嬉しい賀状は、他人に差し上げてもその人が喜んでいただければ年に一度だけなので出すべきか。 結論としては従来どおり出すほうがいいだろう。 それにしても喪中ご挨拶を年末に沢山いただいたが、丁度それくらいの歳になったのだろう。写真は近所の獅子舞である。
今年も健康にて静かな正月を迎えることが出来た。 大過なく、息災なのが一番であろう。 この歳で何かをしでかそうとすると大体ろくなことはない。 私は昭和21年生まれの5回目の年男=還暦である。 今年は中学・高校と田舎での還暦同窓会も計画されているようである。 担当者は大変だろうが一人でも多くの同級生と会いたいものだ。 第一、第二の人生いずれも楽しく過ごさせてもらっていることに感謝しなければならないと思う。 そして今まで殆ど体を壊したことがない体に産んでくれた母に、またこれまで苦楽をともに過ごした家内にも一杯一杯感謝しなければと思う。 0歳に戻った今年も淡々と自分に正直に人生を過ごしたいものだ。 実家の母も退院したそうだが、高齢者はちょっとしたことが引き金となって
寿命を縮めることとなるので用心して欲しいものだ。 今年も大過なく過ぎて欲しい。 嫁いだ娘も、未婚の長男も健康だし・・・。長男は今年30歳、早く結婚して欲しいなあ・・・。
寿命を縮めることとなるので用心して欲しいものだ。 今年も大過なく過ぎて欲しい。 嫁いだ娘も、未婚の長男も健康だし・・・。長男は今年30歳、早く結婚して欲しいなあ・・・。