平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

海自のいじめ

2014-09-15 15:58:59 | Weblog
10数年前に護衛艦でのいじめによる自殺があり、アンケートの秘匿云々で遺族からの訴訟に敗れた事件があったが、最近になってまた似たような艦内でのいじめによる自殺が生起した。発生率としては国内全体に比較し極めて低いかもしれないが、あってはならない事件である。新聞記事の内容でしか知りえないことではあるが、それが事実とすれば絶対に許されないことである。昭和46年12月に遠洋航海を終え、それぞれ新任地に配置された時のことを思い出す。練習艦隊での実習幹部(当時の我々の配置)は約5ヵ月間、その後の部隊勤務で必要な術科等を外国に寄港しながら身につけるため艦内生活を送る。数名の曹士隊員の人事を実習幹部が受け持ちその後のための実習をするのだが、いざ新任地の護衛艦乗組となると、その日から気の遠くなるほどの乗員が自分の部下となり、即、1月の昇任や昇給、学生入校手続、或いは継続任用手続等々で自分のことは後回し状態だった。腰を据えてそればかりを処理するのではなく、艦は行動しているので、その勉強もしなければならない。もたもたしていると書類提出などが後手後手となり、艦長はじめ上司から叱られっぱなしで、自分が何をやっているのかも分からない時期があった。何しろ最近の護衛艦と異なり、大砲や魚雷発射装置などは自動化されておらず、私の所属した1分隊(砲雷科)の乗員は90人近くいたので本当に大変だった。それでも今思えば、どうにか日にちが解決してくれた。当時も今もいじめや艦内での暴力沙汰はあったであろうが、何故か最近の事件は加害者、被害者ともに《陰湿》という言葉が見え隠れしていないだろうか。何処までがいじめで、何処までが指導なのか被害者、加害者ともに理解していないのかもしれない。約35年間のうち半分近く海上勤務を経験してきたが、どこのレベル、つまり司令と艦長、艦長と幹部、また幹部と曹士、職務上の曹士間でも《いじめ》ととられる行為は何度となく経験してきたように思う。ある日突然90人近くの人事書類の作成も見方を変えればいじめかもしれないが、当時の上司は《程度・度》をよく知っていた。度を越すと悲惨な結末になるが、だからといって仲良しクラブでは強い組織、人間形成はなりえない。人間として生きていくための難しい課題である。どこまでも青く澄み切った空、群青の海を舞台とする艦艇乗組み員で二度と悲惨ないじめ事件が起きないことを祈るばかりである。【写真は9月14日読売新聞記事】

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