頭山満述『英雄ヲ語ル』「藤田東湖」(3)
東湖の國體觀と皇道論
東湖は、所調「文武の全才を抱いて、尊攘の大義を明にし、誓って國に狥(な)れて家を忘れ」たのである。これが、東湖の生命であった。皇道を擴張する爲の攘夷である。
皇道主義こそ東湖の主生命である。
神を敬し、武を尚ぶの心が、東湖の政治となり、敎育となったのも當然である。
東湖も自ら詩史に、
「謹んで惟ふに、天租天孫の盛徳大業と、八百萬神の鴻動、偉績、今詳にす可らす、然れども載せて古典にあり、昭然として誣ゆ可らざる也。
神武天皇を敬し、武を敬ひ、天業を弘恢し、都を奠め、祀を秩り萬世の基を開く」と述べ、吾が肇國の精神を宣明してをる。
斯くの如き大観の下に、東湖は、しばしば、神武帝陵を始め山陵の修築を幕府に建言した。
天保十年は恰も、神武天皇即位紀元二千五百年に相當するを以て、此機會を以て、山陵を修築し、忠孝を天下に明かにせよと勸めた。
當時、幕府府不明の徒は、天朝を尊べば、幕載を失ふの故を以て反對論があった。
東湖は、山の荒廃、若し現状の如くならば、天下忠義の人、之を痛憤し、國恩を報ぜんとするであらう。若しも亦、不軌の民が、之を機會に山陵を修め、天下に義を唱へたならば、これこそ幕府の耻辱ではないか。
天朝を尊び、忠孝を明にするは、非望の念を絶つ所以で、決して幕府の權威を失墜する所以でないと説いてをる。
實に山陵の修築は、東湖が、皇道の本源を正し、國體の根本を明にせんが爲である。
斯くして、
「夫れ日出の郷、陽気の發する處、地靈人傑、食饒に、兵足り、上の人生を好み、民を愛すを以て徳となす、下の人上に奉ずるを以て心と爲す、共勇武に至っては則ち、皆諸れを天性に根ざす。
是れ、國體の尊嚴なる所以なり。一意奉上の心と、上人愛民の心が、國體の根本なり」と教へ「赫赫たる神州、天祖之天孫に命じてより以来、皇統綿々として、諸れを無窮に傳へ、天位の尊き事意、猶日月の踰ゆ可らざるが如し。
則ち萬世の下、徳神禹に匹し、智湯武に侔しき者あり。と雖も、亦唯一意上を奉じ、以て天功を亮くるあるのみ。
萬一其禪譲説を唱る者あるも、凡そ大八洲の臣民は、鼓を鳴らして之を攻めて可也。況や口籍りて名を託するの徒、豈種を神州に遺す可けんや。
又況や、腥膻、犬羊の類(外夷の事) 豈邊海に垂涎せしむべヘけんや。故に曰く、資を以て皇獣を賛し、若し彼れの長ずる所を資れば、其の短き所に及び、遂に我が萬國に冠絶する所以を失ふ」と述べてをる。
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