ふるさとは誰にもある。そこには先人の足跡、伝承されたものがある。つくばには ガマの油売り口上がある。

つくば市認定地域民俗無形文化財がまの油売り口上及び筑波山地域ジオパーク構想に関連した出来事や歴史を紹介する記事です。

2023年6月25日(日)筑波山神社の風景 コロナ禍前より登山客が多くなった

2023-06-26 | 筑波山 四季
2023年6月25日(日)筑波山神社の風景梅雨期の時期としてはコロナ禍前より登山客が多くなった。また外国人も多くなった。 コロナ禍前であったらスリランカ、チモール、ネパール等どちらかと言うと後進国のイメージがあるこれらの国からの観光客客は見かけなかったが、この頃はこのような国の人と話す機会が多くなった。スリランカの技能実習生が「円安は困る」と言っていた。技能実習生はドル高のオーストラリアへ行く人が . . . 本文を読む

水戸黄門漫遊記 「葵の御紋」を振りかざすイメージが形成された背景 「天下の副将軍」

2023-06-23 | 茨城県南 歴史と風俗
“名君”水戸光圀の仁政   藩主としての光圀の活動が本格化するのは、父頼房の3年の喪があけた寛文3年頃からである。 「頼房卿後逝去の後三年の間、頼房卿の御仕置きを御用ひ、少も御改被成候」(桃源遺事)。 定府制により、江戸常駐を義務づけられていた光圀であるが、30年間の藩主在任中、前後11回にわたり就藩帰国して水戸城に滞在し(歴代水戸藩主のなかで最も滞在日数が多く約 . . . 本文を読む

水戸黄門漫遊記 ”水戸黄門”像の形成と水戸藩「御三家」の弊害 

2023-06-21 | 茨城県南 歴史と風俗
 「御三家」の威光と弊害〔御三家としての権威〕 副将軍説がたとえ確かなものではなかったとしても、御三家としての権威は諸大名とは格段の違いがあり、水戸藩の武士や領民までも、他家に対して御三家の威光を振りまわす気風が強かった。たとえば、御三家の通行のときは、先払いの者が、「シタニロ、シタニロ」(下に居ろ、下に居ろ)と制止声を掛け、往来の士民は道脇に土下座する習わしであった。    そのため . . . 本文を読む

水戸黄門こと水戸光圀の治世、文化事業では“名君”だったが領民にとってはどんな藩主様?

2023-06-21 | 茨城県南 歴史と風俗
水戸光圀    光圀は1661(寛文元)年8月、初代頼房のあとを継いで2代藩主となり、1690(元禄3)年10月、養子綱條(つなえだ)に職を譲って退くまでの約30年 藩主として勤め、その後も1700(元禄13)年12月に死去するまで太田の西山荘で「大日本史」の編纂にあたった。  光圀は「大日本史」を編纂をはじめに各種の文化事業にかかわり、日本の学問の発展に大きな貢献をした。また水戸城は石 . . . 本文を読む

記紀にみる国名「常陸国」、地名「茨城」の由来

2023-06-13 | 筑波山地域ジオパーク
記紀・風土記等の説話にみる 国名「常陸国」、地名「茨城」の由来   記紀   記紀とは古事記と日本書紀をいう。たとえば「応神記」とあれば『古事記』の応神天皇の記述,「応神紀」とあれば『日本書紀』のそれを表す。古事記は、日本の日本神話を含む歴史書で、現存する日本最古の書物である。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上されたことで成立する。上中下の3巻。内容 . . . 本文を読む

2023年6月4日(日)筑波山神社の風景 暑くもなし寒くもない登山日和   

2023-06-05 | 筑波山 四季
2023年6月4日(日)筑波山神社の風景   6月2日(金)、大名目の中、大相撲の高安関が演歌歌手のこのみさんと結婚式を挙げた。 式には両家の親族のほか、師匠の田子の浦親方ら後援会の人が参加した。 観光客にこの話をすると、エーとか、そーだったのと談笑していた。  朝から登山愛は山頂を目指すのはこの時期の光景である。 見物人の中に、男の子を連れたインド系の家族が居たので、インドの方ですかと声を掛けた . . . 本文を読む