ふるさとは誰にもある。そこには先人の足跡、伝承されたものがある。つくばには ガマの油売り口上がある。

つくば市認定地域民俗無形文化財がまの油売り口上及び筑波山地域ジオパーク構想に関連した出来事や歴史を紹介する記事です。

あんパンを始めて作ったのは茨城県牛久の人・木村安兵衛

2018-04-15 | 茨城県南 歴史と風俗
                     木村屋とあんパン 銀座木村屋の創業者木村安兵衛は牛久出身の武士です。明治維新によって失業したため江戸に出て当時の職業訓練学校に通い始め、そこでパン作りに出会う。 「この国の食卓にパンを並べて見せる」との信念のもと、息子の栄三郎と日本人の嗜好に合うパン生地の開発に研究を重ね、1869(明治2)年、安兵衛は木村屋の前身でもある日本で初めてのパン屋「文英堂」を . . . 本文を読む

筑波山神社の歴史 

2018-04-15 | 茨城県南 歴史と風俗
             筑波山知足院中善寺があった筑波山神社         筑波山     筑波山は江戸城の北東の奇門にあたることから、将軍家の信仰と保護を受けた。  筑波山神社の由来   筑波山神社は坂東無双の名嶽とうたわれた筑波山を境内とし、万葉集に「二神の貴き御山と神代より人の言い継ぎ . . . 本文を読む

水戸天狗党の筑波山挙兵と挫折

2017-12-31 | 茨城県南 歴史と風俗
       名山として知られる筑波山            挙兵を印象づける上では格好の山、守るのは難しい 筑波山挙兵に至った背景   徳川斉昭の死後、水戸藩では尊撰改革派は、攘夷の即時決行を求める激派と慎重論をとる鎮派とに分裂した。激派は玉造の郷校などにより、領内の豪農などを組織した。 1860(万延元)年8月,長州藩の軍船「丙辰丸」の船上で,水戸・長州両藩の尊攘派有志の間に「成破の盟約」とい . . . 本文を読む

江戸時代の信仰 千社詣と筑波山神社の千社札

2017-12-31 | 茨城県南 歴史と風俗
江戸時代の信仰 千社詣と千社札講の結成  江戸の人々は、現世利益を願って、それぞれの信仰に応じて社寺や霊場などに出かけた。富士講、えびす講などが江戸の庶民たちの間で広く参拝されていた。  特に職人たちの間では、元禄期(1688~1703)の終わり頃から以降、同職の者同士で、講の結成が盛んに行われた。講とは、もともと僧侶が仏典の講読や説法を行った仏教集会のことであったが、転じて、仏事や神事を行うため . . . 本文を読む

ガマの油売り口上 江戸は大道芸の街だった

2017-12-30 | 茨城県南 歴史と風俗
江戸は大道芸の街、やし(香具師)が活躍した   やし・香具師とは?   江戸時代は失業など無かった 江戸では働く気さえあれば失業することはなかった。江戸の住民は長屋に暮らしていたが、仕事をせずにぶらぶらしていればれば、大家が放っておかなかった。町内の人とのつながりで何らかの仕事に就くことが出来た。ところで江戸にはどんな職業があったのだろうか。 それこそ千差万別で名前の付けようもない仕事もあった。 . . . 本文を読む

ガマの油の値段、藩財政が厳しかった水戸藩も贋金を造った「天保通宝」なら1枚が100文で2500円 

2017-12-20 | 茨城県南 歴史と風俗
  ガマの油売り口上の「第7段 値下げ販売」で  「さあて、お立ち会い。お立ち会いの中には、    そんなに 効き目のあらたかなそのガマの油、   一つ欲しいけれども、ガマの油ってさぞ高けいだろうなんて   思っている方がおりまするけれども、  此のガマの油、本来は一貝が二百文、  二百文ではござりまするけれども、  今日は、はるばる、出張ってのお披露目。  男度胸で、女は愛嬌、坊さんお経で、 . . . 本文を読む

江戸時代 水戸藩は百姓一揆に強硬な姿勢で臨み刑は過酷であった

2017-12-19 | 茨城県南 歴史と風俗
                    百姓一揆 (平凡社『世界大百科事典18』初版 740頁)   “水戸黄門”さんの水戸藩は農民に厳しかった  ふだんは何事もごもっともと聞いている一見卑屈なような農民が、自分たちの生活を守るため、支配者に抗して立ち上がるのが、一揆である。最も古いものは,慶長14年(1609)の久慈郡 生瀬村の一揆である。この一揆は水戸藩の成立直前に起こったもので、農民たちが貢 . . . 本文を読む

筑波山神社と姉妹の関係にある神郡の蚕影(こかげ)神社

2017-09-04 | 茨城県南 歴史と風俗
          蚕影神社の絵馬蚕影神社の道標   1881年(明治13年)建立。蚕の字が旧字体。  蚕影神社  道標より約1㎞東。養蚕発祥の地として「金色姫(こんじきひめ)伝説」がある。天竺から桑の舟で流された姫が、この地で権太夫(ごんだゆう)夫妻に助けられたが、いつしか病で亡くなった。死後、姫は棺の中で蚕となり養蚕を伝え、恩返しをした。 舘地区には「権太夫の宮」、逆川上流には「舟の宮」の石祠 . . . 本文を読む
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筑波山信仰と物見遊山 昔も今も変らぬ男女の仲

2017-07-19 | 茨城県南 歴史と風俗
                           遊郭風景                  客は張見世にいる遊女を見て入った。               (原田伴彦・遠藤武・百瀬明治著『絵で見る 江戸の女たち』柏書房株式会社 2006年)筑波山信仰の起こり  関東では富士山につぐ霊場、筑波山。険しい峰は多くの修験者を集め、人々を救済してた。一方はるか上代から祀られた男と女の神は時に仏とされ . . . 本文を読む

水戸天狗党 筑波勢・田中愿藏隊の戦いと末路、天狗塚の話

2017-04-17 | 茨城県南 歴史と風俗
 水戸天狗党筑波勢の戦いの経過と末期ついて、明治時代に作家・横瀬夜雨(よこせやう)が『雪明り』(書物展望社)で描写している。 横瀬夜雨は1878(明治11年)1月1日、茨城県真壁郡横根村(現・下妻市)に生まれた。本名・虎寿(とらじゅ)。別号に利根丸、宝湖。幼時、くる病に冒されて生涯苦しんだ。 『文庫』に民謡調の詩を発表し、1905年詩集『花守』を刊行して、浪漫的な色彩で人気を博し、1907年河井酔 . . . 本文を読む

水戸黄門こと水戸光圀の治世、文化事業では“名君”だったが領民にとってはどんな藩主様?

2017-04-16 | 茨城県南 歴史と風俗
水戸光圀    光圀は1661(寛文元)年8月、初代頼房のあとを継いで2代藩主となり、1690(元禄3)年10月、養子綱條(つなえだ)に職を譲って退くまでの約30年 藩主として勤め、その後も1700(元禄13)年12月に死去するまで太田の西山荘で「大日本史」の編纂にあたった。 光圀は「大日本史」を編纂をはじめに各種の文化事業にかかわり、日本の学問の発展に大きな貢献をした。また水戸城は石垣 . . . 本文を読む

水戸学の尊王攘夷思想と天狗党の乱及び勤皇志士の動向 (1)

2017-03-26 | 茨城県南 歴史と風俗
153年前の今頃、天狗党は京を目指して進軍中だった  天狗党の筑波山挙兵 今年は水戸藩の尊王攘夷派による天狗党の乱が起こってから153年である。筑波山は名山として知られ、挙兵を各地に印象づけるたには、棉好の場所である上、事前に出張所を置くことができたので計画は容易に進むと考えられたのであろう。           藤田小四郎の像 (筑波山神社)         藤田小四郎の書 (石岡市歴史資料館蔵 . . . 本文を読む

水戸学の尊王攘夷思想と天狗党の乱及び勤皇志士の動向 (2)

2017-03-26 | 茨城県南 歴史と風俗
水戸学の尊王攘夷思想と天狗党の乱及び勤皇志士の動向 (1) の続き江戸幕府の衰亡   江戸幕府は、3代将軍家光に至って、あらゆる機構が整い、武家政治は完成された形を示したが、5代将軍綱吉に至って、幕府の太平が謳歌される傍ら、綱吉の偏執的な性格や、生類憐愍令や、悪貨鋳造などからの影響もあって、太平の余弊たる享楽主義が天下を風靡した。 もっとも、そのために学問、文芸、演劇、美術、商 . . . 本文を読む

筑波挙兵の天狗党 名前の由来と気質

2017-03-24 | 茨城県南 歴史と風俗
天狗党の由来  〔天狗の乱〕 桜田門外の変以来、文久年間にわたって、いっそう活発になった水戸浪士らの尊擦運動は、元治元年(1864)3月27日、藤田小四郎らによる筑波山挙兵でその頂点に達した。この挙兵にはじまる数ヵ月にわたる常総地方ばかりでなく、下野にもおよぶ大争乱は、世に “天狗党の乱”と呼ばれ、いろいろの意味で、多くの人びとの注目を浴びてきた。 この争乱を“天狗党の乱”というのは、小四郎らその . . . 本文を読む

島崎藤村の「夜明け前」に描かれた水戸天狗党 (1)

2017-03-23 | 茨城県南 歴史と風俗
島崎藤村「夜明け前」に描かれた水戸天狗党  島崎藤村「夜明け前」は日本の近代文学を代表する小説である。米国ペリー来航の1853年前後から1886年までの幕末・明治維新の激動期を、中山道の宿場町であった信州木曾谷の馬籠宿(現在の岐阜県中津川市馬篭)を舞台に、主人公青山半蔵をめぐる人間群像を描き出した藤村晩年の大作である。  幕府倒壊という巨大な政治変革を引きおこした政治の前面に登場するのは支配階級で . . . 本文を読む