ねこブログなのでね、ねこなんですよー。
でも、時々BGMならぬ、BGI(Back Ground Image)で、一人語りをしたいなーと思いまして、過去、何度か失敗しております

ま、人生長けりゃそういうこともございます。今更、失敗にめげない強い心

を持ちたいと思っている訳ではありませんが、懲りずにやってみます
お嫌でなければ、お付き合いください。
ねこ目的でお越しくださった皆様は、文字はさぁ~っと飛ばして、2010年、1歳のポンちゃんをご覧頂ければ幸いです。
勿論、コメントもスルーで大丈夫です

今日は離婚の決意についてお話したいなぁなんて思いまして。え?どっちの離婚?あ、はい、1回目の離婚でございます。高校時代から付き合って、互いに20歳で結婚しました。24歳で娘を儲け、1年半後に息子を授かりました。

今思えば子供でした。私自身が。でも、子供ながら、夫のことが好きで堪らないという妻でした。結婚7年目を迎えようとしたある日「好きな人が出来たから別れて欲しい」と言われました。

少し前から夫の様子がおかしかったので、予感が無かったかと聞かれれば、あったのだと思います。でも信じたくは無かった。ただの浮気だと、そう思っていたから。今はこんなだけど、きっと私のところに戻ってきてくれる。(ヤバい。相当キモい女だー)

「男の浮気は甲斐性だ」と豪語する父の下で大きくなりましたから、自然とそんな風に考えるようになっていました。だから、夫の浮気は妻が我慢しなければいけないのだと。
(約30年位前の話だとしても時代錯誤・・・甚だしい)

でも、浮気ではなかった。私のバカを上回るバカだったんですねぇ、惚れて夫となった男は。おまけに相手は同じ高校の同級生、夫も子供もいる人でした。ダブル不倫というやつです。

許せないと思いました。家族ぐるみで付き合っていたのに、そんなことになるなんて。

「離婚はしない。子供たちの父親はあなただから。子供たちの父親に、代りはいないから」それからは地獄のような日々でした。離婚するまでの丸3年、全身湿疹だらけになってしまったり、円形脱毛症で、ひっきりなしにハゲが出来てしまったり。

夫は、私がそこまで頑なに離婚に同意しないと思っていなかったようです。だから、最後には根負けして「分かったよ、オレは彼女のこと、一番愛しているけど、お前と夫婦やってくよ、それでいいんだろ、愛の無い夫婦なんて、世の中にたくさんいるじゃないか。別れなければ、それでお前の気は済むんだろ」

私が好きだった人は、こんな人だったのか。私は一体、この人のどこを見て好きだと思っていたんだろう。
でもいい、私さえ我慢すれば、子供たちは本当の父親の下で暮らせる。教育だって、ちゃんと受けさせてあげられる。

書いていて、だんだん恥ずかしくなってきました。ここまでのバカだったのかと。でも、当時は大真面目にそう思っていたんです。

当時娘の幼稚園で、役員をしていました。園の行事で講演会を開催することになり、同じ役員をしていたママ友さんが、大学教授で作家でもある先生が、お友達のお父様なので、頼んでみましょうということになりました。
若い頃から本が好きで、お願いする講師が「アリスの穴の中で」の著者上野瞭先生だと知り、嬉しかったことを覚えています。

テーマは、幼稚園の講演会に相応しい「良い子を育てるには」というような内容だったと思います。

「私は、口下手なので、普段講演会は引き受けません。しかし、今日は娘のたっての願いということで、この講演会を引き受けました。難しいことも分かりません。子育てのプロでもありません。ですが、ただ一つ、子供たちを幸せにしようと思ったら、お母さん、お母さん自身が幸せでなければ、それは叶わないと思います。これだけは間違い無いと思うのです。」

気付けば、嗚咽していました。講演会の最前列で、先生の話を聞きながら、声を出して泣いていました。私は何という勘違いをしていたのだろうかと。そして、私は幸せになっていいのか・・・と。

笑顔を見せなくなってしまった私に、娘が「どうしたの?まま、どうして笑わないの?」と何度も聞いてきました。私さえ我慢すれば・・・なんて、私は何という傲慢なことを考えていたのか。

子供たちが大きくなって、不良にでもなれば「私は自分を犠牲にして、あなたたちのために生きてきたのに」なんて、きっと思うのです。自分が好きで勝手にやったことなのに、そうやって、誰かを巻き込んで、誰かのせいにして、生きていくに違いない。

そんなことを子供たちに背負わせようとしていたのか、私は。

長く苦しかった3年の月日に、ようやく終止符が打てました。今は亡き上野瞭先生のお陰で、私は人生の軌道修正が出来ました。

若いから愚かだということではありません。私がバカだっただけでしょう。でも、どんな時でも、誰かの言葉に耳を傾ける気持ちさえ持っていれば、道は開けるのだと、私は思っています。
こんな私を親にしてくれたのは、子供たちです。
今、子供たちには感謝しかありません。
人のせいにしない人生って、結構、気持ち良いぞ

でも、時々BGMならぬ、BGI(Back Ground Image)で、一人語りをしたいなーと思いまして、過去、何度か失敗しております


ま、人生長けりゃそういうこともございます。今更、失敗にめげない強い心




ねこ目的でお越しくださった皆様は、文字はさぁ~っと飛ばして、2010年、1歳のポンちゃんをご覧頂ければ幸いです。
勿論、コメントもスルーで大丈夫です


今日は離婚の決意についてお話したいなぁなんて思いまして。え?どっちの離婚?あ、はい、1回目の離婚でございます。高校時代から付き合って、互いに20歳で結婚しました。24歳で娘を儲け、1年半後に息子を授かりました。

今思えば子供でした。私自身が。でも、子供ながら、夫のことが好きで堪らないという妻でした。結婚7年目を迎えようとしたある日「好きな人が出来たから別れて欲しい」と言われました。

少し前から夫の様子がおかしかったので、予感が無かったかと聞かれれば、あったのだと思います。でも信じたくは無かった。ただの浮気だと、そう思っていたから。今はこんなだけど、きっと私のところに戻ってきてくれる。(ヤバい。相当キモい女だー)

「男の浮気は甲斐性だ」と豪語する父の下で大きくなりましたから、自然とそんな風に考えるようになっていました。だから、夫の浮気は妻が我慢しなければいけないのだと。
(約30年位前の話だとしても時代錯誤・・・甚だしい)

でも、浮気ではなかった。私のバカを上回るバカだったんですねぇ、惚れて夫となった男は。おまけに相手は同じ高校の同級生、夫も子供もいる人でした。ダブル不倫というやつです。

許せないと思いました。家族ぐるみで付き合っていたのに、そんなことになるなんて。

「離婚はしない。子供たちの父親はあなただから。子供たちの父親に、代りはいないから」それからは地獄のような日々でした。離婚するまでの丸3年、全身湿疹だらけになってしまったり、円形脱毛症で、ひっきりなしにハゲが出来てしまったり。

夫は、私がそこまで頑なに離婚に同意しないと思っていなかったようです。だから、最後には根負けして「分かったよ、オレは彼女のこと、一番愛しているけど、お前と夫婦やってくよ、それでいいんだろ、愛の無い夫婦なんて、世の中にたくさんいるじゃないか。別れなければ、それでお前の気は済むんだろ」

私が好きだった人は、こんな人だったのか。私は一体、この人のどこを見て好きだと思っていたんだろう。
でもいい、私さえ我慢すれば、子供たちは本当の父親の下で暮らせる。教育だって、ちゃんと受けさせてあげられる。

書いていて、だんだん恥ずかしくなってきました。ここまでのバカだったのかと。でも、当時は大真面目にそう思っていたんです。

当時娘の幼稚園で、役員をしていました。園の行事で講演会を開催することになり、同じ役員をしていたママ友さんが、大学教授で作家でもある先生が、お友達のお父様なので、頼んでみましょうということになりました。
若い頃から本が好きで、お願いする講師が「アリスの穴の中で」の著者上野瞭先生だと知り、嬉しかったことを覚えています。

テーマは、幼稚園の講演会に相応しい「良い子を育てるには」というような内容だったと思います。

「私は、口下手なので、普段講演会は引き受けません。しかし、今日は娘のたっての願いということで、この講演会を引き受けました。難しいことも分かりません。子育てのプロでもありません。ですが、ただ一つ、子供たちを幸せにしようと思ったら、お母さん、お母さん自身が幸せでなければ、それは叶わないと思います。これだけは間違い無いと思うのです。」

気付けば、嗚咽していました。講演会の最前列で、先生の話を聞きながら、声を出して泣いていました。私は何という勘違いをしていたのだろうかと。そして、私は幸せになっていいのか・・・と。

笑顔を見せなくなってしまった私に、娘が「どうしたの?まま、どうして笑わないの?」と何度も聞いてきました。私さえ我慢すれば・・・なんて、私は何という傲慢なことを考えていたのか。

子供たちが大きくなって、不良にでもなれば「私は自分を犠牲にして、あなたたちのために生きてきたのに」なんて、きっと思うのです。自分が好きで勝手にやったことなのに、そうやって、誰かを巻き込んで、誰かのせいにして、生きていくに違いない。

そんなことを子供たちに背負わせようとしていたのか、私は。

長く苦しかった3年の月日に、ようやく終止符が打てました。今は亡き上野瞭先生のお陰で、私は人生の軌道修正が出来ました。

若いから愚かだということではありません。私がバカだっただけでしょう。でも、どんな時でも、誰かの言葉に耳を傾ける気持ちさえ持っていれば、道は開けるのだと、私は思っています。
こんな私を親にしてくれたのは、子供たちです。
今、子供たちには感謝しかありません。
人のせいにしない人生って、結構、気持ち良いぞ


ポチ、ありがとうございました~
