花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

バリ島フォトエッセイ~その1:バリ舞踊に魅せられて

2012年08月09日 10時05分18秒 | 旅エッセイ⑧~バリ島
      


      

 今回のスケッチ旅行は、絵描きがよく訪れるというバリ島に決めた。

 私は、趣味で日本画を描いているが、気持ちの上では画家そのものである。

 HISが毎年おこなっている初夢フェア「バリ島6日間燃油サーチャージ込74800円」2012年3月6日から3月11日のコースを選んだ。

 日本画サークルの7名の参加となった。

 一番の難題は、バリ舞踊のダンサーのモデルを現地で調達しなければならないことだ。日本からでは、なかなかうまくできなかった。

 とりあえず、現地ツアー会社(BALITRAVELAND)で、1日目の観光とチャーターカーの予約だけはした。有名な会社の半値近くで、ワゴン車:1日100ドルぐらいで可能であった。当然、日本語ガイド付きである。探せばいろいろあるものである。

 飛行機の乗り継ぎは、仁川空港で6時間待ちであった。ソウル市内に行くには、ちょっと時間が足りないし中途半端であった。私達のような時間をもてあそぶ人のために、空港内に韓国文化体験コーナーがある。そこで、韓国の昔ながらの糸巻きに絵付けを体験した。色にはそれぞれ意味があるようで、係の人が色についてその意味を説明していたが、私は、絵付けに夢中で聞く耳を持たなかった。

 昼は、700円のビビンバを食べた。当然突き出しもあった。韓国では、寿がきやのようなラーメン屋でも何種類かの突き出しが用意してある。お客にとっては、お得感がある。

 深夜、バリの空港に降り立った。湿った熱風で汗が噴き出てきた。からだはベトベトになった。時計は、0時を過ぎていた。それにしても、気だるさとビールの飲み疲れの長~い1日であった。

バリ島フォトエッセイ~その2:てんこ盛りツアー

2012年08月09日 10時04分56秒 | 旅エッセイ⑧~バリ島
                                                   


 到着1日目は、まずはバリの有名ポイントをいっきにめぐるツアーに参加した。6名様以上の参加で、一人49ドル、約13時間のハードなコースを選んだ。

 そのスケジュールは、バロンダンス鑑賞→更紗工場→ゴアガジャ遺跡→キンタマーニ高原(洋風ランチ)→コーヒー園→ティルタウンプル→テガラランの棚田→銀細工店→ケチャックファイヤーダンス鑑賞→レゴンダンスディナーショーと盛りだくさんである。

 ツアー客は、私達のみで貸切である。早速、ガイドのヤサさんに明日、何が何でも、バリダンサーをモデルにして、絵を描きたいとお願いした。ヤサさんは、苦労して願いに応えてくれた。明日がまた楽しみである。

 本日は、見どころがいっぱいで時間的にスケッチをする余裕はなかった。

 雨模様の天気であったが、じょじょに天気は回復していった。曇り空ながらキンタマーニ高原からの眺望は、電線などなく、延々と樹林におおわれていた。肌にふれる風もさわやかで、海岸通りのベトつく暑さとは大違いである。キンタマーニ高原は、バリ島を旅行する人が良く訪れる名所である。それにしてもレストランは、外人客でいっぱいであった。

 バロンダンス、ケチャックダンス、レゴンダンスは、本来祭礼時に行われる民族舞踊である。それを観光客にアレンジをしている。いずれも、悪魔を退治したり、神々を崇拝する踊りで表現する物語である。でも、私は、若い女性の手のひらの動きやからだのひねりが気になって、その動きばかりに目がいった。
 ケチャックファイヤーダンスは、日が暮れはじめるころにはじまった。ファイヤーの光に虫や蚊が集まって、私は、蚊に刺されまくった。ガイドブックに、虫よけスプレーなど蚊に対する対策が書かれていたが、現実のものになった。踊り子は、上半身露出しているが、そんな心配はないのだろうかと、ふと思った。

 ティルタウンプルは、心身を清める聖なる泉の寺と言われ、ヒンドゥー教徒がひっきりなしに沐浴に訪れる場所である。帰り道に出会った娘さんに写真を撮らせてもらった。沐浴で清められたのか、彼女たちは、子供のように無邪気な微笑みで美しかった。久しぶりに見た満面な笑顔であった。

 

 

バリ島フォトエッセイ~その3:バリダンサーをモデルに

2012年08月09日 10時04分41秒 | 旅エッセイ⑧~バリ島
        

              

 ここでホテルで起きたハプニングを紹介しょう。シャワーを浴びようと、蛇口をひねっても、お湯どころか水もチョロチョロとしか出てこない。シャワーを浴びた爽快感は得られなかった。

 私達の泊まったホテルは、別館の3階で宿泊客は他にはいなかった。それでも、水はチョロチョロ。朝食時にそのことを話すと、浴槽にお湯をためていた部屋があったと聞く。そのためかと思ったが、次の日も同様であった。そもそも水圧が低いのだ。半年前に泊まった釧路プリンスホテルは、あっという間に浴槽にお湯がいっぱいになった。外国では、水や湯のトラブルはたえない。お湯の出具合で、その国の文化度がはかれるかも。

 待ちに待ったダンサーをモデルにしてスケッチをする日が来た。料金は、こちらから100ドルと指定した。ガイドさんは、ウブド地区の田舎の出身と言うことで、急な要件にもかかわらず、各方面に電話をし、モデルの手配をしていただいた。その地区に住んでいる人々は、当たり前のように小さい時から踊り続けているようだ。日本でいう盆踊り感覚かもしれない。

 ウブドの繁華街からかれこれ車で1時間ぐらいは走っただろうか、田んぼの中に立つ一軒家に到着した。高雅な作りの家である。ダンサーは2人もきた。ひとりは既婚者で幼子をつれていた。もうひとりは、かわいい少女であった。

 私たちは、キャンパスに汗がしたたり落ちるのもかまわず、必至に筆をとった。彼女等は、化粧と衣装をまとい、バリダンスの決めポーズをした。彼女等は、やはり腰をひねったり手のひらの独特なポーズは、さぞきつかったに違いない。我々以上に汗をかいていた。

 
 天気とはうらはらに、旅の目的が達成でき、心の中はハイテンションになった。

 
 帰り道、祭礼に向かう大集団に出くわした。正装した、男女が、トラックの荷台の乗ったり、車、バイク、徒歩で頭にお供え物を持参した姿である。宗教心を持たない私にとっては、異様である。日本なら即、職務質問を受けるだろう。

バリ島フォトエッセイ~その4:先住民の村トゥガナンへ

2012年08月09日 10時04分29秒 | 旅エッセイ⑧~バリ島
                              

      

 トゥガナン村は、バリ島の東部に位置しており、、今もって「バリ・アガ」という先住民が暮らし続けている。私たちの泊まっているレギャン地区のホテルから約2時間で行けるところにある。

 ベトナムのハノイに行った時にも、井戸のある風景や鳥のはなしがいにしている素朴な村を訪れたことがある。そこには、昔懐かしい郷愁を誘う生活感がただよっていた。
 私は、どちらかといえばハイテクを競う博覧会よりも、路地裏通りの生活感や、ちょっと危うげな界隈が好きだ。ひょっとすると昔懐かしい時代のあこがれと日常出会わない世界に身を寄せたいのかも知れない。

 村人は、入村料などの観光と独特の織物などで生計をたてている。村には、小学校、集会場や共同の炊事場などがあり、石畳の道路や水路など古代ローマ遺跡のようである。大きな違いは、いまだにそこに住み続けていることだ。

 村人は、私があいさつすると微笑み返してくれる。特に写真を撮ることをお願いしたと時、娘さんは満面な笑いで応えてくれた。バリ島の人たちは、親日家である。

 その村でゆっくりスケッチをした。途中からスコールにあった。軒下をかりてスケッチは、続行できた。学校帰りの子供たちが寄ってきた。何を描いているのだろうかと、不思議そうに覗き込んできた。絵は、子供から大人まで世界共通の言語のようだ。子供に、絵を描くように画用紙と絵具をさしだしたが、はにかんでその場から離れていく。でも、しばらくすると、絵に関心があるのかまた覗き込む。

 夕食は、ホテルの近くにある大衆食堂にした。ガイドブックに載っていたワルン・ジョグジャという名の店で、外国人も多く利用していて、店の人も英語でしゃべってきた。聞き役の私は、しゃべれないけど・・・。
 日本でいう焼きそば(ミーゴレン)、炒めし(ナシゴレン)や野菜炒め(ガドガド)とビールを頼んだ。ガイドブックには「インドネシア版おふくろの味」と書いてあった。どれもたいへんおいしく、暑い中でのビールと一緒ににぎやかに会食した。支払いは、ひとり500円未満と安い。次の日もその店を利用した.

 バリ島は、オーストラリアから近いこともあって、オーストラリア人の観光客が多かった。3月は、地球の南に住む人にとっては、バカンスシーズンかも・・・。

バリ島フォトエッセイ~その5:ちょっとだけマリンスポーツ

2012年08月09日 10時04分01秒 | 旅エッセイ⑧~バリ島
                              

 せっかく南の島に来たのだから、ひと目、熱帯魚を見たくバリ島の南にあるヌサドゥア地区でシュノーケリングすることに決めた。

 途中、昼食の調達のため、ジンバラン市場に寄った。地元の人が利用するようなこじんまりとした店が道路沿いに露店を出していた。売り手のお母さんの笑顔がいい。やはり、市場は活気がある。

 そこで、腹持ちをするようなお菓子と果物を買った。果物は、果物の女王といわれるマンゴスチンと真っ赤な色にトゲがたくさん生えた独特の外観を要するランプータンを選んだ。その味は、あっさりとした甘味にわずかな酸味があり食べやすかった。店には、大きなざるにいろいろな果物が陳列していた。日本に帰ってから、もっといろいろな未知なる果物を試してみたかったと悔やんだ。

 海は、波が少し荒く沖合に出る子船が大きく揺れた。私は、少し乗っただけで、船酔いをした。足ひれをを着けることは、初めての経験で自分の腹がじゃまして装着するのに一苦労した。海に飛び込み、泳ぎを忘れたトドのように船のいかりの先に繋がったロープを握りしめないと、波にさらわれそうで不安であった。海の世界は、ど近眼の私はにとって、普通に見ることもままならないのに、今日は、水は濁って、おぼろげに数匹の熱帯魚をみただけだ。日本に帰ってから、「せっかくバリ島に行ってマリンスポーツしなかったの?」と言われるのがしゃくだから、経験したことに意義があると言い聞かせた。その上、足ひれを着けて船に戻ることの大変さを味わった。私は、運動不足を実感した。

 帰り道、エステサロンに寄った。これでバリ島のフルコースメニューを味わうことになった。部屋は、きれいで落ち着ける雰囲気であった。
 私達男性は、3人部屋で、あまりにも心地よかったのか他のふたりは、途中で寝てしまったとのこと。もったいない。
 その部屋に設置してあるシャワーは、お湯が豊富にでて、感動した。久しぶりに頭をきちんと洗うことができた。爽快である。

 4日間、同じワンボックスカーを利用した。その運転席のフロントパネルには、チャナンというヤシの葉の上に花が飾られたお供え物がおいてあった。チャナン作りは、バリ人女性の毎日のたしなみのひとつだそうで、色々な場所で見かけた。また、祭礼が毎日どこかでおこなわれおり、お供え物を頭に乗せて歩いている姿を頻繁に見かけた。
 
 いくつかの国を旅行して、私は、初めて宗教心の強い人々の暮らしを垣間見た思いがする。
 この最近、ブータン王国の幸福度が高いことが話題になっている。私は、バリの人々も、それと共通するものを感じた。