花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

フォトエッセイインド・ガンジス河~その1:カップヌードルを食べてサルナートへ

2018年05月04日 09時42分19秒 | 旅エッセイ⑳~インド・ガンジス河

                

                                                 

 

 今回の旅は、旅エッセイ⑳という節目にあたる。

 旅先で合った友達から、ガンジス河の人間模様を見ると人生観が変わる。お勧めすると言われ、今回の旅はそこに行先を決めた。

 クラブツーリズムのツアー「聖地ガンジス河と白亜のタージマハル 北インド世界遺産紀行6日間」2018年2月5日(月)発で、ビザ取得費用を含み総額190520円を支払った。

 家を出るときには、フリースの上にダウンジャケットを羽織り冬さながらの服装で空港に行った。飛行機は上海経由でデリーに深夜に着いた。降りた途端、南国特有なムッとする空気が漂い、ダウンジャケットは折りたたんでリュックにしまった。インドにとっては2月は雨も少なく過ごしやすい季節である。

 バスに乗る前に、マリーゴールドの花のレイを首かけてもらった。マリーゴールドの花は、「歓迎」とか「縁起がいい」とか「神にささげる花」のようだ。深夜に泊まったホテルの前には、毎朝枯れ木にその花で装飾している。大変な作業である。以前、ある国ではジャスミンの花のレイを首かけていただいたことがある。その時はその花の香りでたいへん気持ち良かった。マリーゴールドの花は全く香りがしなく、花のみずみずしさが時間とともになくなってくる。

 翌朝、LCCでヴァラナシへ飛んだ。機内でパンフレットを見たら、そこにカップヌードルが載っていた。それは珍しいと思い早速食べた。カレー味で少し辛いが、美味しかった。日清製粉は、各国でその国民が好む味に変えているらしい。私は、いつもお土産をどうしようかと悩む。今回は、日本のメーカーで安全じゃないかとカップヌードルに決めた。後日、スーパーでそれを10個以上買い、ガラガラのスーツケースに収めた。

 サルナートは、悟りを開いたブッダが初めて説法を唱えた聖地として有名らしい。私たちが葬式でお世話になる仏教もそこから始まると思うと、こころのルーツをたどった思いだ。ムルガンダ・クティ寺院の壁画は、日本人画家のフレスコだ。釈迦の一生を壁一面に描かれており、見て理解できた。それと同時にインドと日本とのかかわりに触れて嬉しかった。

 観光を終えて遅めの昼食をした。メインはビリヤニ(炒飯のような物)。辛くて食べれなかった。全員が同じ意見である。ネットで調べるとおいしいという評価」もある。作り方しだいかも?初ラッシーを飲んだ。甘めの飲むヨーグルトである。口当たりがよかった。


フォトエッセイインド・ガンジス河~その2:ガンジス河で沐浴体験?

2018年05月04日 09時42分03秒 | 旅エッセイ⑳~インド・ガンジス河

                                                                         

                                                     

 

 午前中の観光を終えてホテルで一休み。夕方、ガンジス河に向かった。途中、壁一面に牛糞をおわんの形にして乾かしている光景を見た。牛は草食系のためなのか匂いは全然しなかった。インドでは牛は大切に飼われていると言うが、私が見た限りではほとんどの牛は痩せこけていた。

 ガンジス河へ向かう交通としてオートリクシャーを利用した。4人乗りの簡易な電気自動車である。交通量の多い昔ながらの道ではスリルがある。走りながら牛と平列になることも。人力車のようなサイクルリクシャーにも出くわした。それに乗った東京発のクラブツーリズムの若い女性とすれ違う。私は思わずハイタッチをしてしまった。海外の旅は、気持ちがついつい高ぶってしまう。 サイクルリクシャーの3人乗りや子供を含めた4人の乗りの物にもすれ違った。漕ぎ手は立ちながら必死にペダルを回していた。 

 ヒンドゥー教の聖地を流れるガンジス河(ガンガー)のガート(祈りをささげ沐浴しやすいようになっている階段上の施設)で、一番大きなダシャ―シュワメード・ガートから小船に乗り、 すぐ近くのマニカルニカー・ガートの沖合で見学した。燃え滾る中に遺体を入れた。死体を白い布で覆い火の下に運ぶ時、少し死体の重みで沈む光景は、生々しかった。そして、その灰を河に流すことが、ヒンドゥー教徒の願いであるという。その後、洋上からガンガーで行われいる、夜の祈りをささげるアルティーを見学した。大音響で燃え上がるような光の儀式である。

 次の日、闇夜の朝5時がら再度ガートへ行った。途中、ガイドさんのお勧めのチャイの店によった。甘くしたミルクティーでおいしかった。

 私は、今日の行事のために気合を入れていた。と言うのもヴァラナシに向かう機内で、私は、たまたまガイドさんと添乗員さんの席が隣り合わせになり、沐浴について話が弾んだ。ガイドブックには、現地の人と違って日本人は免疫力がないから感染の恐れがあり、沐浴しないように書いてあった。そのことをガイドさんに伝えると、「だいじょうぶ。だいじょうぶ。そんなことないよぉ。水は高い山から流れてくるきれいなもので、その水がガートの岸辺で逆流するからきれいそのものだ。」その力説に私は沐浴することに決めた。男性の添乗員さんも何回も来ているが沐浴したことがなく大乗り気であった。

 少し肌寒かったが、私はパンツ一枚になりガートに設置してあるクサリをたどって、中に入った。思ったより急に深くなっていた。信仰心のない私でも水の中に入れば神の力なのか気持ち良く、心が癒された。でも、日の出前で水の色は確認できず、しかも足はヌルッとして滑りそうでいやな気になった。果たして水がきれいなのかは定かではないが、よい体験ができた。私は、その出来事を今でも自慢げに友達に言いふらしている。                    


フォトエッセイインド・ガンジス河~その3:アグラの早朝風景

2018年05月04日 09時41分42秒 | 旅エッセイ⑳~インド・ガンジス河
                  

                  

                     


 デリーに戻って昼食をとった。有名なカレー専門店であろうか外国人で部屋の中はにぎあっていた。時折見かける現地の人は着飾っていて、その店の格調の高さがうかがえる。ガイドさんは、その一角に座っていた彼女を自慢げに照会した。現在付き合っている彼女だと言う。かわいい人で子供さんと一緒に来ていた。私は早速カメラを手にした。テーブルに置かれた4種類のカレーを味わった。とてもおいしく私はすべてをたいらげた。飲み物は、今日もマンゴーラッシー。

 アグラに向かう途中、クトゥブ・ミナールに寄った。インドで一番大きな塔は、細かい彫刻が施してあり、その時代の繁栄を物語る。また、日本では神仏一体の祠(ほこら)があるように、クトゥブ・ミナールはヒンドゥー教とイスラム教の融合する美しい遺跡でもある。現在ではデートスポットかも?

 アグラの早朝はすがすがしい。ホテルの前の道路は、朝早くから人の往来で見ているだけで楽しい。簡易な店で慌ただしく朝食をしている人、野菜を買っている人、荷車で野菜や穀物を運ぶ人などの光景も。その時の空気感は、未だに脳裏に残っている。 

            

フォトエッセイインド・ガンジス河~その4:キター!悪寒・嘔吐・下痢

2018年05月04日 09時41分24秒 | 旅エッセイ⑳~インド・ガンジス河
                              

                              

            



                         

 白い大理石で造られた霊廟(れいびょう)タージ・マハールへは、途中でシャトルバスに乗り換えなけれはならない。そのバスは、いつ故障してもおかしくないような古いものである。なおかつほこりまみれであった。これ程の状態のバスは将来見かけないだろうと思い、私は、記念にそれを写真に収めた。
 タージ・マハールの白の壁にはめ込められたモザイクタイルは,白いブラウスに花がらの刺繍を施したような、清らかできれいな女性のようだ。

 アグラ城から望む タージ・マハールは、霞にかかって幻想的あった。
 なにせ2か所とも広く、どういうわけか私の体力がなくなってきた。歩くのがやっとである。昼食のレストランでは、何も食べれず、持ち合わせの風邪薬を飲み、バスの中で横になった。汗が出る。その店のオーナーがホテルまで送ってくれた。ホテルのベットで横になったが、寒気がし震えが止まらない。かけ布団をもう一枚貸してもらった。嘔吐や下痢もした。
 午後からのツアーとタージ・マハールショーは遠慮した。
 何が原因なのか?いろいろ走馬灯のようによぎった。確かツアー客のなかで胃腸風邪をおして参加した人もいたためか?インドに到着した日のホテルが寒かった事か?マンゴーラッシー(マンゴーヨーグルト)?、フルーツ?、サラダ?はたまたガンジス河での沐浴体験?あるいは面白半分で体験した神のたたり?結局解らない。
 次の朝までぐっすり寝た。それが効したのか体調が戻ってきた。昼食、夕食そして念のため朝食の3食をパスした。今すぐにでも大腸カメラができるような状態である。

 デリーにあるフマユーン廟は、地元の人が多かった。その中でひときわきれいな人に声をかけた。快く写真を撮らせていただいた。家族連れで来ていて、その人の姉もしくは母が一緒に並んだ。私は、彼女だけでいいんだと心の中で叫んだ。もう一枚お願いと言ってカメラを構えたら、その子供まで入ってきた。

 デリーの空港免税店でレトルトカレーをいくつか買った。その時は何も思わなかったが、乗り継ぎのために立ち寄った上海空港で検問に引っかかった。レトルトカレーだ。どうしてなのかとっさには解らなかった。一般的に名税店で使われている透明の密封容器での梱包はなくただの紙袋に入れただけで渡してくれたため起こった。再度、上海で入国と出国手続きをした。時間的に余裕があってほっとした。

 今回の旅で、約10年間の年月を経て、旅エッセイ20回を迎えることができ大変うれしく思います。ひとえに読者の皆さんの応援があったためと感謝しています。 
 このシリーズは、今回をもちまして終了さていただきます。また、新しいシリーズに取り組んでいきたいと思っています。
 今後とも、よろしくお願いします。