花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

ハノイフォトエッセイ~その1:スケッチ旅行8人衆

2011年06月01日 10時47分59秒 | 旅エッセイ⑥~ハノイ
          


 私が所属する岡田四季彩会という日本画クラブの有志8人で、海外スケッチ旅行に行こうとトントン拍子に話がまとまった。
 言いだしっぺの私が中心になってベトナムの北部に位置するハノイをベースに計画を立てた。
とは言っても、私は、気ままな一人旅の経験しかなく、しかも皆さんを引っ張っていく積極性もなく戸惑いも多かった。

 まず日程と飛行機とホテルの手配を決めた。
 2011年3月15日から19日の4泊5日の旅にした。
 飛行機は、直行便のフライトもあるが、①料金が安い(ひとり48000円) ②乗り継ぎでの待ち時間が短いものから台北経由でハノイに行くチャイナエアラインに決めた。しかし、台北からハノイへは、ベトナム航空の機体であった?
 ホテルの選択は、①旧市街(夜もにぎやか)②安い ③きれい を参考にガイドブックや口コミ情報よりクォック ホア ホテルハノイ(ひとり約2900円)に決めた。
 
 2月下旬にハロン湾で帆船の転覆事故があり、日本人男性が一人なくなったというニュースが流れた。そのためハロン湾観光は、現地に着いてから決定することになった。しかも、3月11日には、東日本巨大地震が起こり、日本全土が震災の影響で暗い影におおわれていた。前途多難である。
 
 私もうきうき気分を80%にぐっと抑えた。とは言っても、一端飛行機に乗れば、昼から酒びたりである。しかも、スケッチ旅行のはずが、雨季前なのにじゃじゃぶりの毎日でスケッチをするどころではなく、それが酒びたりに拍車をかけた。どうも雨男がいたことが、帰ってきてから判った。

ハノイフォトエッセイ~その2:旧市街地を巡る

2011年06月01日 10時47分46秒 | 旅エッセイ⑥~ハノイ
                      


 ハノイのノンバイ国際空港に着いた私たちは、インフォメーションカウンターで、ミニバスの手配を頼んだ。
 タクシーも考えたが、スーツケース持参だと1台に3人ぐらいしか乗れないし、それぞれの運転手に行き先を地図をみせながら手ぶり身振りで伝えなければならない。というわけで、全員揃って乗れるミニバスの方を選んだ。

 結構スピードをだし、しかも旧市街地に入ると道が細く、人や路上に置いてある物をよけながら運転をする。乗っている我々の周りからは、遠慮しがちな悲鳴とも思える声があちこちから聞こえた。ベトナムでは、クラクショオンを鳴らし、人が最優先するとはいいがたい交通マナーである。狭い路地での運転は、実にうまい。私は、ここでは車の運転はできないと思った。

 ホテルの間口は狭く、よく確認しないと通りすぎそうなところである。白いアオザイを着た受付嬢が迎えてくれた。脚の側面がスリットになっており、ほんの少し腰の部分の肌が露出していた。そんな些細なことでも、私には嬉しかった。
 狭いながらも内装はきれいであった。部屋もネットで見た写真と一緒で、日本の中流ホテルなみの設備を要していた。ひとまずこのホテルを選んだ私は安心した。

 ホテルから歩いて5分ぐらいしたところに文具店がある。街の散策をしていた仲間が、その文具店で小筆1本10円という格安な物を買ってきた。その話に驚いた私たちは、夜半にもかかわらず、さっそくその店を訪れた。

 話のとおりおじいさんが店番をしていた。彼は、大勢の客に目を丸くして慌しく応対した。お客の顔を見てもっと品揃えをしなくてはと思ったのか、商品の補充のためはじごのような階段を登り、手にいっぱい商品を持ちフラフラしながら降りてきた。その姿に見かねた友は手助けをして難を逃れた。その店にとっては、久しぶりの活況にちがいない。
 支払いに戸惑っている私に、紙きれに素早く計算書を差し出し、私の財布から勝手にお金を取り出した。彼の体と脳の能力のギャップに驚かされた。彼は、何らかな障害があるのか最初から最後まで一言も声を出さなかったことが印象的であった。

 

ハノイフォトエッセイ~その3:どしゃ降りのバッチャン(焼き物の里)

2011年06月01日 10時47分32秒 | 旅エッセイ⑥~ハノイ
                  

 今日も、どしゃ降りである。例年よりちょっと早めに雨季になったのでしょうか?
絶え間なく降り続く。
美濃傘のようなべトマム特有な帽子と雨合羽を組み合わせたスタイルの人をよくみかけた。オートバイは、車体ごと雨合羽でおおって走っていた。

 ホテルで手配してもらったタクシー2台で、バッチャンに向かった。

 タクシーで降ろされた所は、おそらくバッチャンの中心部と思われるが、人の往来はなく、バス亭やタクシーの車も見当たらない寂しいところであった。私たちは、さてどちらに行けばよいものなのか右往左往した。雨で冷えた体を癒すために、みやげ物店で雨宿りをし、周辺を散策した。

 路地から何気なく入った所に陶芸教室があった。そこでは中学生ぐらいの団体がひしめきあって作陶していた。その一人が日本語で話しかけてきた。彼女は、日本語の勉強の成果を試したくて仕方がないようで私に寄り添ってきた。若い人は、英語や日本語など学習意欲が旺盛である。今のベトナムの成長の勢いを感じる。

 店の方がバッチャン観光の記念に絵付けをするよう声をかけた。当然、言葉じゃなく手振り身振りでの会話である。皿一枚の絵付けが100円である。安い。さっそく先ほど出会った可愛い少女を皿に描いた。私にとっては上出来であり、周りから注目を集めていることが判り、私はルンルン気分であった。その皿も、傘をさしながらのカメラ撮影時に、道に落とし粉々に割れた。どうも素焼きになってなく、5人中4人の作品が割れた。どしゃ降りの雨でより割れやすくなったようだ。

 帰りのタクシーが見つからない。店員さんに聞いても、英語がなかなか通じない。そうこうして道を歩いていたら店先でにこやかに中華鍋を振って、チャーハンを作っていた食堂に出くわした。私たちは、そのうまそうな匂いに誘われて店に入った。ホーを作っていた英語の話せる女性にタクシーを頼んでもらった。帰りの交通手段が決まってひと安心したためなのか、そこで食べたチャーハンとホーは、たいへんうまかった。

 その後、それを食べたひとりが腹痛になって、そのときの雨入りチャーハンが原因ではないかと言う人もいたが、定かではない。

ハノイフォトエッセイ~その4:ノスタルジックな村「ドゥンラム」へ

2011年06月01日 10時47分18秒 | 旅エッセイ⑥~ハノイ
                          

 2011年度版地球の歩き方「ベトナム」の中に、ノスタルジックな村ドゥンラムが紹介されていた。その本の中で、その地がのどかで、日本の昭和を思い起こす情緒あふれた田舎であると書かれており、私は、興味が湧いた。

 現地のツアー会社で、8人乗りのミニバスを1日貸切(100ドル)と日本語ツアーガイド(60ドル)を申し込んだ。8人で割るとひとり20ドルであった。思っていたより安かった。グループ旅行の強みである。

 そこは、ハノイから西へ50キロ行ったところにポツンと集落があった。村と言っても、道が石畳であったり、家のつくりが立派なところもあり、ちょっと観光地化されているのかもしれない。そこは、ハノイの旧市街のようなあわただしさはなく、タイムスリップしたかのように、ゆったりとした時間が流れていた。どしゃ降りのせいか、あまり人影も見かけなかった。

 再度言いますが、私たちは、スケッチをしに来たはずなのだが、まだ一つも描けていない。カメラでアングルを探せば、至る所が絵の題材になるロケーションである。雨を悔やんだが、しかたなく写真とその場の雰囲気を脳裏に納めて、日本に戻ってから絵に挑戦しようと誓い合った。
 そのような中でも、道端で出会ったたおじいさん、おばあさん、牛の散歩をしているおばさんなど快く写真に撮らせていただき、ベトナムに親しみを感じた。

 私は、露天で肉をさばいている所をみると、見慣れていないせいか目をそらしてしまう。私は、決して衛生的ではない様に思うが、それがべトナムの日常で、それで問題なく皆生活をしている。
 一方日本では、いくら衛生面でしっかりとした手順書があっても、ユッケによる食中毒事件が起こったり、うなぎやハチミツなどの産地偽装が問題になっている。ベトナムとの違いは何であろうか。どんなに生活が豊かになろうが、人それぞれが、人として生きる倫理感の欠如、相手の立場になって物事を考える事の稀薄さによるものか?
 世の中全体がちょっとおかしな方向に向いている。偉そうなこと言ってすみません。

 旧市街、バッチャン、ドゥンラム巡りは、天秤棒を担いだ行商の人、牛飼い農婦、牛車など、急成長のベトナムから失いつつある生活スタイルが垣間見れて、おおいに満足した。

 
 

ハノイフォトエッセイ~その5:一度は訪れたい「ハロン湾」

2011年06月01日 10時47分00秒 | 旅エッセイ⑥~ハノイ
                    

 最後の目的地であるハロン湾に向かった。やっと雨もあがり傘から解放された。港には、観光船がひしめき合って停泊していた。ガイドさんを見失うとはぐれそうになるくらい乗船客で混雑していた。波止場には外国からの旅行者が多く、さすが世界遺産のハロン湾である。

 私たちの乗った船には、日本人客が多かった。私の座った席のとなりには、東京から遊びに来ていた若いOLがすでに座っていた。挨拶がわりに交わした話題では、3月11日の東京の大混乱に話が盛り上がった。彼女たちも、3時間歩いて帰宅したそうだ。私がニュースで目にした帰宅に急ぐ一群に彼女もいたかもしれない。

 友に進められ、私は彼女の似顔絵を描くはめになった。初めての経験で失敗は許されないし、もし本人が気に入ってくれなかったらと思うと不安でいっぱいであった。私の下手さ加減を少しでもカバーしようと、筆の勢いと紙の余白を活かし、5分ぐらいで描いた。それをプレゼントした時の彼女の笑顔は、かわいらしかった。私は、絵を描くことの楽しさと同時に、人に喜ばれる快感を得た。

 ハロン湾では、水上生活者の為に小学校も浮かんでいた。それは、おそらく世界中探してもない光景である。彼らは、魚の養殖と観光で生計を立てている。今では、若者がふるさとに戻り、水の浄化など環境破壊をなくす試みもされつつあるとガイドさんが説明していた。確かに水はきれいとは言いがたい。観光船の周りでは、たくさんの果物を積んだ小船が往来し、その売り子が携帯電話でおしゃべりをしていた。その光景が、特に印象的であった。

 私が次回訪れる時には、旅先で出会った光景は、さぞさまかわりをしていることだろう。