花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

マレーシアフォトエッセイ~その1:部屋の鍵がかからない?

2014年03月23日 10時02分46秒 | 旅エッセイ⑫~マレーシア
                                 

 2014年2月11日(水)から新マレーシア縦断6日間の旅に参加した。その旅は、阪急交通社の東南アジア方面の人気ツアーで、名古屋から週に2,3回出発している。それは、5泊6日で、デラックスホテルに泊まれて旅行代金総額が97250円と安いからだ。
 初めは二人で参加する予定だったが、ちょっとしたことから絵の仲間に伝わり7人のグループになった。私と一緒だと何かハプニングが起こるのではないかと期待しているようにも思える。

 ホテルには、夜の9時頃に着いた。早速、ガイドさんに明日の夕食後のことで相談した。というのはこのホテルの場所がクアラルンプール(KL)から車で40分ぐらい離れたプトラジャヤ地区にあり、夜のKL観光には適していないため、KLで夕食をするなら、そこからタクシーで目的地に行こうと考えていた。しかし、夕食するところは、KLのはずれにありタクシーをつかまえるのは難しいとの説明であった。

 そのホテルは、ゴルフ場を併設した広大な敷地にあった。その近くにはコンビニもないという。あげくにホテル内のビールは一杯約900円もする。踏んだり蹴ったりである。ツアーの宿命か?私にとっては、デラックスホテルじゃなくてもダウンタウンにある庶民的なホテルで充分である。

 部屋の鍵が内側からも外側からもかからない。おかしい。とりあえずフロントでカードの検知がいいかどうか確認してもらったがOKの返事であった。でも鍵がかからない。友達のドア部分を見て解った。ドアの壁側のへこみがない。その部分にカードが貼り付けてあった。おそらく前に利用した客が、オートロックしないようにしたのだろう。部屋で宴会するときには、ドアがロックしないようにスリッパをかませたりする。子供がいればなおさらである。

 さぁ、旅のはじまりである。何事も前向きにがんがえよう。 

    

マレーシアフォトエッセイ~その2:華やかな街・マラッカ

2014年03月23日 10時02分30秒 | 旅エッセイ⑫~マレーシア
                                          
                           
   
                        

 マラッカに行く途中に、ドライブインに寄った。店の前に果物の屋台が並んでいた。ガイドさんは、到着する前にパック詰めのフルーツは衛生上買わない方がよいと言っていた。確かにパック詰めのものが冷蔵庫にぎっしりあった。中国人らしき観光客はそれを美味しそうに食べていた。
 私は、それでもせっかく南国に来たのだからと、その場で調理していた新鮮なマンゴーを食べた。安いしみずみずしくて甘く美味かった。

 最初にマラッカ海峡が見渡せるポルトガル広場に行った。あまりきれいとはいえない海が広がっているのみで、海峡の雰囲気はなかった。浪打ちぎはにムツゴロウが岩にへばりついていたことが印象に残った。私たち以外だれひとり観光客はいなかった。その周りの立ち並ぶ店も空き家が多かった。その地は開発から取り残されたところのようだ。
 以前マレーシア観光した人から食事はおいしくないと聞いていたが、昼食でいただいたニョニャ料理はとても美味しかった。味付けが日本人向けなのかも?

 オランダ広場は、やたら朱色のヨーロッパ的な建物が多く、すぐ近くには川もあり景観がよかった。片言の英語で聞いてみると、大学生のグループでマラッカに遊びに来ているという。その女性の写真を撮らせてもらった。それをきっかけにその人たちと、のりのりで写真に納まった。

 イスラム世界で女性が頭に巻くスカーフをクルドゥンと言うらしい。色とりどりのクルドゥンで着飾った若い人がやたらに目につく。ファショナブルである。私達日本人には、異国で出会った風情が新鮮に映る。また、ときたま街角で目にする、信仰心の高い女性が身に着けると言われる黒服ずくめで目のみしか見えない姿は、肌を隠しているがゆえに神秘的であり、近寄りがたい。しかし、一方で神秘的なベールがゆえに、それををはがしたいと思う気持ちの高まりは、どうしようもない。どうしても旅行中にその姿の写真を撮らせてもらおうと心に誓った。どう言われようが私は、ちっちゃな男なのだ。

 マレーシアは、マレー系、インド系、チャイナ系と多民族である。マレー系と言っても、色の白い人から黒い人など肌の色だけでは区別がつかない。宗教にしてもしかりである。イスラムの黒ずくめの服をまとった人が、寺院にお参りをする光景に出くわしたことがある。お互いの宗教を尊重しているようだ。何事にも寛容でならなければならない。私は、前述したように、まだまだ未熟である。

 夜は、オプショナルツアーでKLのチャイナタウンとKLタワーそしてペトロナスツインタワーを巡った。チャイナタウンは、これでもかと思うくらい偽物ブランドの店が所狭しと並んでいた。この国は、偽物ブランドに対しノーチェックのようだ。作りとデザインがよければあえて偽物を作らなくても、その方が買う気になるかも・・・。
 

 

 

 

                   

マレーシアフォトエッセイ~その3:高原リゾート・キャメロンハイランド

2014年03月23日 10時02分15秒 | 旅エッセイ⑫~マレーシア
                              
                        
                                       
               
               

 KL市内観光(国立モスク、独立広場、ペトロナスツインタワーの絶景ポイント)をし、KLセントラル駅に向かった。駅は、各路線の集まるところでにぎわっていた。私が乗った鉄道(ETS)の車掌さんは、とてもきれいな人でどうみてもファッショナブルな制服から車掌とは思えなかった。快く写真を撮らせてもらって握手までしてもらった。
 スリムリバー駅からバスに乗り換え、延々と峠越えを繰り返した。夕方、やっと標高約1500mに位置するキャメロンハイランドに着いた。今までの湿気を伴う暑さから解放された。日本て言う蓼科、軽井沢のようなリゾート地である。

 私たちが宿泊したヘリテージホテルキャメロンハイランドは、その高台にあり、部屋からの眺めは最高であった。しかし、私は、観光の途中に寄ったホテルがたまたま良かっただけで、リゾート気分にリラックスしている暇はない。さぁ、夕食だ。今日はスチームボード。日本でいう水炊きである。鍋が、二つに仕切られ、辛いスープとふつうのスープに分けられている。私たちは、我先にと食いまくった。あげくのはて仕切り版の上にしらたしきがまたぎあい、スープは混じり合い区別がつかなくなった。何せビールはがぶがぶと飲んで、大笑いをしまくった。周りはさぞ迷惑だったことでしょう。

 このホテルのロビーにある掲示板には、キャメロン会という日本人会の絵画サークル、テニスサークル等活動の予定表が掲示してあった。時折それを覗きこむ住人に出くわした。私たち旅人にも気軽に話しかけてくる。そのなかには20年ぐらいこの地で暮している人もいた。
 このホテルの上の階は、ロングステイ、ショートステイ者専用の住まいになっていて、旅行者の一部の人たちは、その部屋の中を見せてもらったり、話を聞いていた。
 私には、いくら年金で生活できるといっても、1週間ぐらいならまだしも、どうみてものんびり過ぎて、飽きてしまいそうである。

 ペナン島に向かう途中に、クアラカンサーにある黄金色のドームをもつウブディアモスクに立ち寄り、ブッキメラにあるオラウータン保護島に行った。

 ガイドの呉さんが、マレーシア観光の最初の頃、皆さん「ひろし」にあいにきたかと問いかけていた。わたしは、何の事だかさっぱり解らなかった。そして、やっと理解した。日本の姉妹都市である福岡市長が当地を訪れた時に、オラウータンの赤ちゃんが誕生し、それにちなんでそのオラウータンの名前を市長の「ひろし」からとったとのことである。
 
 呉さんは、周りもびっくりするような声で、「ひろし!」「ひろし!」「ひろしあいにきたよ!」「今日はバナナ持ってこなかったけど、またもってくるからな!」と連呼した。係員も苦笑いするさなか、それに応えて私たちの近くに寄ってきてポーズをとったのだ。さすが呉さん。お互い分かり合えている。


                

マレーシアフォトエッセイ~その4:アートの街・ジョージタウン

2014年03月23日 10時01分56秒 | 旅エッセイ⑫~マレーシア
   

           
   
                                                   
      

 夕食は、ジョージタウン内のレストランで海鮮中華を食べた。インド人のウェートレスがとてもかわいかった。眉と眉の間に赤丸が付いていた。それは、ヒンドゥー教信者がする「ビンディ」と言うらしい。赤色は既婚者、黒色は独身者、白色は信仰心の深い人や儀式でするという。街角では、年配のご婦人でも黒のビンディをよく見かけた。はじめはピンとこなかったが、後でなるほどと解った。分かりやすいが個人情報そのものだ。彼女は、まだ若いのに既婚者である。我々は、写真を撮りまくった。ガイドの呉さんにそのわけを通訳していただき、彼女に日本でもらったポケットティッシュをお礼に渡した。と言うのは日本のテレビで、日本に来た外国人のお土産で喜ばれる物のひとつとしてポケットティッシュをあげていたからである。街角で見かけるポケットティッシュ配りは、日本特有である。

 翌日、ジョージタウンにある名所(コーンウォリス要塞、涅槃仏寺、ペナン州博物館など)を巡った。コーンウォリス要塞で、ガイドさんがドリアンのアイスクリームがおいしいよと言うと、皆こぞって食べた。特有の臭みもなくこれが本当にドリアンが入っているのかと疑った。その店の横に置いてあったごみ箱はたちまちその包装紙でいっぱいになった。宝石店でも民芸品店でも、日本のバスツアーでよくみかける買い物ツアーののりである。

 昼食後、ジョージタウンの街を歩いて、壁画・針金アートを探し巡った。NHKの「世界ふれあい街歩き」感覚である。途中、インディアナストリートの表示板があって行きたかったが、仲間のひとりが体調を崩していたので寄り道せずに先に進んだ。そもそも、私は、最初に食事したところをきちんと把握しなかったため、方向音痴になった。
 ショッピングに向かう途中の現地の3人連れの若い女性に、ガイドブックに載っている壁画の写真を見せ道を尋ねた。英語での説明では理解しないと思ったのか?彼女たちは、ちょっと遠いが歩けますかと聞いて、一緒に目的地まで連れて行ってくださった。一つ間違えば、私たちは路頭に迷うところで、大変ありがたかった。お礼にチップを渡そうとしたが、かたくなに断った。その親切は、私たち日本人の忘れかけている「おもいやり」を感じた。それからは、ガイドブックやネットで紹介されなかった壁画アートも鑑賞することがで大満足である。

 今日の街歩きの最終目的地である水上生活をしている集落に行った。各桟橋ごとに一族が暮らしており、その中でも一番大きい周一族の桟橋を観光した。ちょっと異臭の漂う中をとおって、桟橋の先端部分で一休みをした。周囲を見渡しも我々のみが、汗だくであった。Tシャツの汗ジミが、まるで地図のように浮き上がった。あまり汗をかかない現地の人からすると、その光景は異様に思えたに違いない。

  

                

マレーシアフォトエッセイ~その5・一度は試したい屋台食!

2014年03月23日 10時01分40秒 | 旅エッセイ⑫~マレーシア
                   

 水上生活者の暮らしを垣間見て、フェリー埠頭にあるバスターミナルまで歩いた。途中、私たちが乗る101行のバスが目の前を通り抜けた。残念。
まず、どこから乗ればよいかを尋ねた。その聞いた相手が、たまたまペナン島に遊びに来たインドネシアのジョグジャカルタからやって来た娘さんで、私たちと同じ系統のバスを待っていることがわかった。私たちは、いわれるままについて行った。彼女が乗ったバスに20分ぐらい乗ったであろうか、ビルが立ち並ぶ所で、乗客の大半が降り、彼女や私の横に座っていた青年も降りた。私たちは平然と座って窓の外を見た。ところが、彼女と彼が早く降りなさいと言わんばかりに目で合図してきた。私たちもあわてて降りた。そこは、コムターと言う大きなバスターミナルであった。そのバスは101行のバスではなく、ガイドブックに載っていたジョージタウンの観光名所を回る無料バスであることを数分経ってやっと理解した。
 そこのバスーミナルは、出発までの待ち時間が電光掲示板に表示されている。待つ側にとっては、とても便利である。マレーシアは、日本以上の高層ビルがあるかと思うとほったて小屋があり、あまりにも都市と田舎の差がありすぎる。 

 口コミ情報では、運転手さんにホテルの名前を知らせれば、降ろしてくれると書いてあったが、あまりにも混雑していてそれどころではなかった。すしづめのバスにかれこれ20分位揺られたであろうか、ホテルの近くにさしかかったところでブザーを押し降りた。前日、ホテルの周辺にある屋台村に飲みに行った事で、その周辺の景色が何となくわかり、その事が今回、役に立った。

 今日の夕食は、その屋台村である。中央にテーブルがあり、まわりに色々な店が囲むように配置されている。私たちは、暑い最中、ジョージタウンの街を歩き、汗は浴びるよう出し,疲れきっていた。そのため、屋台で飲んだビールはとてもおいしく、じゃんじゃん飲んだ。見渡しても、これほど飲んでいるグループは見かけなかった。

 最後に、マラッカでオランダ統治時代の異国情緒たっぷりな建物、クアラルンプールでは、ぺトロナスツインタワーに代表されるビル群、キャメロンハイランドでは、のどかな田園風景や朝市、オラウータンの保護活動現場そしてジョージタウンの街中アートを観光した。また、マレーシアは、マレー系、中国系、インド系など多民族国家でいろいろな場面で一時のふれあいが持てた。そして、宗教は、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教が混在して、何事も受け入れようとする国民性を感じた。