花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

タイフォトエッセイ~その1「さぁ、チェンマイへ!①」

2009年11月26日 22時14分29秒 | 旅エッセイ③~タイ
        

        

 私は、2009年9月30日、チェンマイへ旅に出た。

 個人旅行は、今回で2回目である。そう言うと英語が話せて旅慣れているのかなぁと思われるでしょうが、実際英語は流暢どころかまったく話せない。
 英会話講座では「the pen on the desk]の段階で、大変不安な気持ちと新しい発見(未知との遭遇)のワクワク感が交差していた。

 飛行機の中は退屈なもので、身近にいる日本人に声をかけた。タイの島に一ヶ月間のロングスティする夫妻に出くわした。年金暮らしでもいろいろな楽しみ方があるようだ。

 私にとっての最初の難関は、入国手続きとバンコクでの飛行機の乗継である。
 出入国書と税関の申告書は、タイ旅行本の記入例を参考に事前に赤ペンで宿泊所も書いた見本を見ながらしたのでOK。

 飛行機の乗り継ぎは、近くの係りの人にチェンマイと言って人差し指で方向を指し進んだ。途中、日本人のギャルが、プーケットに行きたいんですがと話かけられた。外国で一人でいると英語が話せる人と勘違いをしたのだろう。世間話の中で、無職でチェンマイ4泊バンコク2泊の旅だよと言うと、おじさん、金持ち!と喚声がとんだ。
 その彼女たちが方向を間違えてもどってきた。私も同じ様にもどった。私は、彼女たちにどうか会わないように願っていたが、そうはうまくいかない。
 
 

タイフォトエッセイ~その2「さぁ、チェンマイへ!②」

2009年11月26日 22時14分15秒 | 旅エッセイ③~タイ
        

         

 チェンマイへの搭乗まで、2時間ぐらい暇であった。
 今回の旅行のスケジュールは、飛行機の便とホテルの予約以外はまったく立てていなかった。ただ、バンコク郊外にある線路市場とはどんなものなのか?また、チェンマイ北部で暮らす山岳民族、特に首長族の女性に興味があるため、その目的を果たす旅でもあった。
 とりあえず、明日の予定を考え情報収集のため電話をかけることにした。コインを入れても繋がらない。四苦八苦してテレホンカードを購入しても同様であった。タイでは、日本のようにダイアルを押してもピィ、ピィと音がしなく、もたもたしていると時間切れになって繋がらない。結局電話をかけるのをあきらめた。

 えんじ色のパスポートを持ってる婦人に声をかけた。日本語で誰かにしゃべりたかったからだ。
 彼女は、チェンマイに住んでいて東京からの帰りであった。チェンマイのゲストハウスを舞台にした、9月中旬に封切した「プール」という映画について聞いてみた。その映画について彼女も知っていたが、残念ながら観る暇がなかったそうだ。
 彼女は迷惑そうに「映画どうだった」と聞き返した。母と娘のナイーブな心の移り変わりをとらえた内容で、私には難しくて解らなかったと答えて、その場を去った。

 家を7時に出て、12時時間後に、やっとチェンマイの地に降り立った。
 名前を書いたプラカードを胸のあたりにかざした人や、プラカードを頭上に持ち上げ左右に動かして必死にお客さんを探している人など、迎えの人々が私の目に飛び込んできた。その光景は色鮮やかであった。その中には日本人のネームも。
 
 

 
 

タイフォトエッセイ~その3「カタコトジャパニーズドライバー」

2009年11月26日 22時14分03秒 | 旅エッセイ③~タイ
        

        



 空港でキョロキョロしながらタクシー乗り場を探していると、「お客さん、どこ行くか。ホテルまで送るよ」とぎこちない日本語で声をかけられた。私は騙されてはいけないと思い、タクシー運転手にいくらかを聞いた。前払いでタクシーのりばカウンターで支払う良心的なシステムであるにもかかわらず、120バーツ(360円ぐらい)を110バーツに値切った。しかし、タクシーの置いてある場所へ、かなりの道のりを二人で歩いた。私の心に多少不安がよぎった。かもに引っかかった日本人のような雰囲気で、周囲の目が気になった。

 同じカタコトジャパニーズタクシーをチャーターして、エレファントキャンプと山岳民族のを見学した。

 エレファントキャンプは、英語の教科書でも照会されるような世界的に有名な所で、ゾウが絵を書いたり、サッカーをしたり、ハーモニカを吹いて観客を喜ばせた。欧米の家族連れが多く、特にスペイン人が増えてきているようで、運転手さんも、スペイン語を勉強したいと言っていた。日本人は、言葉の壁もあって団体行動することが多く、見当たらなかった。
 私が見学している間、運転手は冷房をきかせた車の中にいたためなのか、バッテりーがあがり、5,6人のひとに車を押してもらって、やっとエンジンがかかった。車は、トヨタ製で走行距離25万Kmであった。バンコクで乗ったワンボックスカーは、54万Kmと、タイでは、想像を絶するくらい乗りつぶす。

 案内された山岳民族のは、タイの旅行雑誌に照会されてない観光村だった。 観光客は、山岳民族と山岳ゲリラとのつながりが強く、限られた村のみ入村できる。村内では、機織をしている人、子供をあやしながらゲームを楽しんでいる様子、子供たちの無邪気な遊びをする姿など、村の暮らしが垣間見れた。タイ、ミャンマー、ラオス、中国南部の部族が集まっているが、その区別はなかなかできない。年齢と共に真鍮のの首輪を巻く「首長族」のみ判った。

 

 

 

タイフォトエッセイ~その4「イングリィシュ・スピーキング・゛ツアー」

2009年11月26日 22時13分47秒 | 旅エッセイ③~タイ
         

                
        

 チェンマイのナイトバザール近くの2800円の安宿であるdowntown innに泊まった。部屋は広々として清潔で住み心地は良かった。しかし、私は英語での対応に戸惑った。
 私が話しても相手に通じない。文章力に問題があるのか、それとも発音に問題があるのか定かではない。相手と向かって話している最中には、常時ポケットにある電子辞書を活用するわけにいかない。キーになる単語を3,4個述べるのが私にとってはベストのようである。

 ホテルの近くには、小さな旅行社が点在していた。その中のゴールデントライアングルツアーの立て看板がある店に入った。日本のオプショナルツアー料金の2~3分の1ぐらいであった。店員は、ほとんど英語が話せないといっても、「OK、OK」と言ってにこやかに対応してくれた。気を良くした私は、同時に、ディナーショーも申し込んだ。

 ホテルを6時30分に出発し、さあ、ゴールデントライアングルへ。マイクロバスにはすでにお客が乗っていた。その前の座席に座った。運転手の後ろである。
 後ろの夫婦と思われる人に「where do you go? what country?」と声をかけた。香港からと答えた。男性は、片言の日本語が理解でき、いろいろ話しかけてきた。仕事で日本人に会い、その時に覚えたそうだ。
 私の横の座席に誰が座るのかワクワクしていたら、若い二人の女性が乗り込んで私の横に座った。私は、心の中で「ヤッター!」と叫んだ。二人の会話は、どうも英語ではなさそうだ。「where do you go? what country?」と話しかけた。「mexco]と。私は「oh!spanish」「mexican beautifui cute garls!」と叫んだ。私の周りでは中国語、スペイン語、英語が飛び交っていた。日本語が使いたい。

長旅の途中、名所をめぐり(温泉の噴出し、ホワイトキャッスル、山岳、市場など)を回った。ガイドさんがその説明をし休憩時間を言うが、会話の流れでの説明では全く解らず、そのつど、香港の人に聞いた。

 ゴールデントライアングルでは、川を船で渡り、ラオスの地に足を踏み入れた。20バーツでパスポートに入国印をガイドさんがあわただしく押した。公の人じゃなくガイドさんですよ。私は、刻印に日付もなくどうしても不可解に思い、そこを観光した日本人に聞いてみた。そこはパスポートが必要なくいける所だそうです。

 世界から見れば、日本語でのツアーは計り知れないほど少ない。ヤフーやグーグルの英語バージョンで検索をすれば、もっと格安で旅行ができるかも・・・。

 

 


 

  

タイフォトエッセイ~その5「懐かしの日本語会話」

2009年11月26日 22時13分32秒 | 旅エッセイ③~タイ
        

           

        

        

 チェンマイ4日目、今日は町の中を「ぶらり歩き」をしようと決めた。若いふたりづれの女性に声をかけた。私は、現地の方とただ会話にはならないかも知れないが話をしたかったために。しかし、そううまくはいかない。変な外人に思われたのだろう。完全に無視された。

 ソンテウという乗合タクシーに乗った。乗客は、私のみである。つぎに誰が乗り込んでくるかと楽しみであった。セーラー服の女学生がひとり乗ってきた。待ってましたと言わんばかり、片言の英語で「I am Japan]、手振りでカメラの格好をして「OK」サイン。

 路地に入ったところで、良い香りがしてきた。店の前で料理をし、客を誘っているように思えた。うまそうなにおいにさそわれて私は、食堂に入った。店の中は2,3のテーブルと、おじいさんがテレビを見ていた。おじいさんは、愛想よく笑顔で迎えてくれた。客はふたり。テーブルの上にはボトルに入った水が用意されて、私は一口飲んだ。たいへんまずい。どうしたらよいものかと困っていたら、入ってきた客がペットボトルを持参していた。早速、私も持っていた水を飲んだ。料理は、具沢山の焼きそば風でおいしかった。帰り際、料理人に、親指を立て、オーバーアクションで「Good thank you!]。

 雨が強く降って来た。いく所もなくまたもやタイマッサージ店に入った。1時間600円くらいと安いのが魅力である。。もともと膝が悪いのに今日で3日連続になる。自分ながらあきれる。やはり、膝は悪化した。

 夕方、民族舞踊を観ながら伝統料理が楽しめるイベントに出かけた。ホテルに手配のマイクロバスが来た。その中には、ひとりのきれいな日本人女性がいた。年のころは30歳ちょっと過ぎに・・・。久しぶりに日本人に出会った。あまりのうれしさで私は、舞い上がりしゃべり続けた。当然、食事の席はいっしょにしてもらった。後で判った事だが、40歳過ぎとのこと。彼女は、私を同じくらいの年齢と思っていたらしい。私の頭の中は、バラ色の花園である。早速、彼女に名刺を渡し、帰ったらまた旅の話をしようねと言って別れた。その後、全く連絡なし。旅は、非現実の世界である。