花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

北京フォトエッセイ~その1「ユースホステルを利用して」

2010年07月19日 17時07分19秒 | 旅エッセイ④~北京
        

        
 
 私は、すぐ思いつきで決めるタイプである。
 今回も、たまたまNHKのニュースで、北京の再開発が進み、胡同と呼ぶ昔ながらの街並みが消えかけていることを紹介していた。以前から、胡同と万里の長城には興味があり、今行かなければとの思いがいっそう強くなった。

 北京の情報を雑誌やホームページで調べてみると、ユースホステルが安くしかも交通の便利なところに位置していた。口コミ情報も参考にして、遠東ユースホステルに決めた。

 旅立つ日は3月末までの39800円の中国東方航空の格安航空券を利用することに決めた。HISの担当者は、アジアのユースホステルはお勧めできないといわれたが、一泊1000円以下の安さに、私の意志は揺らがなかった。

 とは言っても、ユースホステルの予約ページは、英文で、デポジットと言う予約金をカードからの引き落としであった。私は、契約書を理解する能力は全くない。娘に頼んで言われるままに入力して、完了した。


 さあ、2010.3.31~4.7までの7泊8日の旅の始まりである。
 飛行機は、青島(チンタオ)経由で、そこで入国手続きをし、何もわからないまま日本人ツアー客の後について行った。青島から国内線になり、他の乗客も乗り込んできた。
 私の席は、前のほうで、すぐ近くに目が鋭く体格のよい怖そうな中国人が座っていた。その人は、青島からビシネスクラスに移動した。日本の警官にあたる公安に違いないと察した。

 空港を出てから、とりあえずシャトルバスに乗って街の中心部に行った。そこからはユースホステルまで、タクシーに乗ろうと決めていたが、ことごとく乗車拒否にあった。たまたまいあわせた警官に地図で示したら、親切にもタクシーの運転手に行き先を告げていただき、私は、目的地に着くことができた。警官のちからは強い。

 
 

北京フォトエッセイ~その2「八達嶺:万里の長城(英語ツアー)」

2010年07月19日 17時07分04秒 | 旅エッセイ④~北京
 

                        

             

 やっとの思いで、宿に着く事ができた。私は、安堵感を覚えた。

 さあ、明日からのスケジュールを決めるため、まず、宿の中にあるツアーデスクを訪ねた。その周りの壁には3箇所の長城ツアーの写真が飾ってあった。担当者は、私の体つきから判断したのか、発達嶺の長城ツアーをすすめた。実際、私も写真機材を持ってのハードな行程は無理かなと思っていたので、他の長城トレッキングツアーはあきらめた。

 今書いていると、担当者との英語でのやりとりがうまくできているように思うかもしれないが、実際は、平易な英単語を駆使しての会話?であった。さぞ、相手も疲れ果てたに違いない。

 次の日、ガイドさんが、予定より早く部屋まで迎えに来た。まさか、部屋にまで乗り込んでくるとは思っていなかったのでびっくりした。

 マイクロバスは、各ホテルを回り、各国の人が乗り込んできた。スペイン、ポルトガル、スリランカ、イギリス、ドイツ人と多民族であった。私以外の人に共通していることは、英語で会話ができることであった。しかし、私は、写真撮影が目的のため、そのことにはあまり苦にならない。ところどころでのバスの出発時刻のみが気にかかった。そのつど「come here time :  」とメモ書きをガイドさんに渡した。

 英語ツアーは、日本語ツアーに比べ安い。参加者の数からすればその料金体系は、当然かもしれない。
 ちなみに 私の知る範囲において、そのツアー料金は、日本語ツアー:380元、英語ツアー:260元、中国語ツアー:150元である。

 私は、英語も中国も話せないなら、一度、中国人のなかに身をおき、一緒に生活をしたかった。勇気を持って3日後に同じルートの中国語ツアーに参加した。その事については、次回に・・・。

 ツアーの途中、明の十三陵に立ち寄った。明代の皇帝たちの広大なお墓である。その中の歴代皇族の宝物が展示されている所を見学した。アクセサリーなどの造形は、素晴らしく緻密で、造り人の粋を感じた。

 その後、ヒスイ館に立ち寄り食事をした。そこは、建物の造りから内装まで高級感あふれんばかりの造りで、しかも案内人も美人だからこのうえない。どうも外国人専用のところであるようだ。そこで出された食事は、大変美味しかった。何も買うつもりもない私は、お得感でリッチな気分を味わった。
 
 食事を済ませて万里の長城(八達嶺)へ向かった。ガイドさんが、上るのに楽なロープーウェイにしますか?それとも観光用滑車にしますか?と聞いてきた。全員がロープーウェイの方と答えた。どうしてその時のやりとりが私は理解できたのか今となっては不明である。

 さすが万里の長城からの景色は、雄大である。山々の緑と空の色そしてそこに垣間見える果てしなく続く万里の長城の土色の帯に感動した。

 平日にもかかわらず、多くの観光客が列をつくったかのように、長城の石畳を埋め尽くしていた。たくさんの観光客の中から、かわいい女学生に英語で話しかけた。にこやかに英語で返答してくれた。私より流暢な英会話であった。記念に写真も撮らせていただいた。帰りの道はとても軽やかであった。

 
 

 

北京フォトエッセイ~その3「八達嶺:万里の長城(中国語ツアー)」

2010年07月19日 17時06分49秒 | 旅エッセイ④~北京
     

     

      

 小雨がふる夕方、 天安門広場に向かう途中、路上で旅行のパンフレットを配る人を見かけた。その中には片言の日本語や英語での勧誘も受けた。そのビラには、万里の長城ツアー100元と大きく書いてあり、私は、飛び付きそうになった。しかし、電話しようにも、会話が出来ないし、安さの反面、怖さがついてくる。

 前門にあるお客さんの出入りの多い中国旅行社の店を訪ねた。店員の一人が英語で対応してくれた。彼女は、「チラシの旅行社に行ったら、殺されるよ!」と大胆な事を言った。その旅行社の長城ツアーは、出発場所、時間も理解できたことで150元で契約をした。

 バスの中は、満員に近い約45人で、外国人は私だけであった。ガイドさんは、市内観光から延々と説明し続けた。当然、私は、チンプンカンプンである。時折差し出される手の方に顔を向けた。

 明の十三陵は、地下27m下にある皇帝の墓を見学するために、階段を下り続けた。国民性の違いなのか、それほどまでしてみたいとは思わなかった。英語ツアーで訪れた宝物殿には立ち寄らなかった。

 昼食の会場は、遠方にいる人の姿が小さく見えるぐらい体育館よりも広い場所であった。人の多さに中国人口13億人のすごさを感じた。テーブルの上の食べ物はみるみるうちにそれぞれの胃袋に入っていった。ゆっくり食べる余裕はない。帰りのバスを探すのも一苦労である。

 バスを降りてから、長城行きの観光滑車乗り場まで歩き、降りてから頂上までかなりの道のりがあった。私も歩くのは早い方と思っているが、それよりも皆早い。とうとう最後尾になった。途中、日本人観光客に写真を撮ってもらった。ツアー客がかぶる旅行会社のロゴ入りの真っ赤な帽子をかぶった日本人の私に、後になって、さぞ驚いたことであろう。

 帰り道、バス旅行の定番である、おみやげやさんに立ち寄った。試食をしながら、100m以上出口方向に水の流れのように導かれた。たくさんのみやげ物を買う人たちもいた。バスの中に持ち込めない人は、バスのトランクルームに積み込んだ。遠方から訪れる方も多いようだ。

 私は、部屋の同居人であるイギリス人のジョイシーさんとビールのつまみにしてナッツ入りのおかしを食べた。

北京フォトエッセイ~その4「胡同の中のホステル」

2010年07月19日 17時06分33秒 | 旅エッセイ④~北京
                

  

  

  

                   
                 

 遠東ユースホステルは、天壇公園と天安門広場の中間に位置しており、観光するのに便利なところである。しかも、昔ながらの下町情緒あふれる胡同と呼ばれる地区に存在するため、朝食は地元の人たちに混じって、外食できる。肉まんのような小包子は、1元からと安い。

 胡同内には、公衆トイレがやたらと多い。慣習なのか家の中にトイレがないのかもしれない。朝早く、赤いバケツを持った人たちがトイレに入っていく姿を見かけた。中に入ってみると、やはり仕切りはなく出入れ口に向かって、用を足していた。しかし、北京の中心部、水洗であった。

 路上駐車と犬が多い。駐車中の車には、タイヤにダンボールや板でおおわれたものもある。犬のおしっこ予防のようだ。

 観光客向けの胡同をめぐるツアーの企画もいくつかある。私は、そのツアーに参加した。しかし、トイレは整備され、道は石畳、中庭のある立派な四合院造の見学ツアーである。昔の上流階級の人の住んでいた地区と言う。人力車に乗ったり、あまりにも観光地化されており、私の胡同の思いとはかけ離れたものであった。

 胡同地区は、北京市内にたくさんあり、足でかせいで見て回ったほうが、思いもかけない光景を目にするかもしれない。
 

            

北京フォトエッセイ~その5「ユースホステル内の出来事:こんなことあるの!」

2010年07月19日 17時06分07秒 | 旅エッセイ④~北京
  

  

                  

 部屋には、2段ベットが三つ、デスクが一つ、各自のロッカーが備わっていた。
宿泊時には、中国、イギリス、カナダ人と私の四人暮らしから始まった。

 2日目に台湾から来た男女ふたりが部屋に入ってきた。片言の日本語を話す気の合いそうな雰囲気であった。彼女は、ベットの周りを布で覆った。女性として寝姿を見られたくないとの思いだろうと推測した。

  しかし、夜遅くなってもアベックは一緒にベットにもぐっている。どうも一緒に寝るようだ。私は、パブリックスペースでは問題であると言うと、彼は、二人分の料金を支払っているから良いのではないかと返答した。筋向いのベットにいる中国人にこれはちょっとおかしいのではないかと聞いたら、同意見であった。

 私は、事務所に出向き、担当者にその旨を述べたら、5分後に部屋にその状況を見に来た。担当者は、正規の料金を払っているから、我慢しなさいと言うような様子であった。私は、久しぶりに頭にきた。私は、大声で「ルーム チェンジ」と連発した。深夜の出来事で、駆けつけたイギリス人のジョイシーさんに私の部屋に来るように誘われ、移動した。彼もその台湾人と他のトラブルで移った人である。

 翌日、マネージャーがその経緯を聞きに来た。英語をうまく話せない私に代わって、ジョイシーさんが説明した。英語が話せないもどかしさをつくづく感じた。

 日本に旅立つ日、日本語が話せる従業員から、楽しい旅行なのに不愉快な思いをさせて申し訳ないと謝罪され、50元返金された。

 このことをきっかけに、ジョイシーさんとの思い出もでき、いろいろあったが何だかすがすがしい気分になった。