花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

スペインフォトエッセイ~その1「予期せぬ出来事」

2011年02月17日 11時23分39秒 | 旅エッセイ⑤~スペイン
              

 2010年9月14日から9月24日までの10泊11日

 今回の旅は、暖かい地中海側にある白い村とはどんなものか?
また、ピカソやガウディーを生み出したアートに溢れた街を散策することである。

 とは言っても、英語の話せない私にとっては、期待よりも不安の方が大きかった。
まず大きな荷物を持ってのひとり旅は、食事やトイレなどちょっとした事でも、身動きが取りづらい。
そのため、バルセロナ、グラナダそしてマラガで連泊をして、そこを拠点に旅をした。
その間の移動は、トランクルームがあるバスを利用した。

 中部国際航空からヘルシンキに向かった。

 ヘルシンキでの入国手続きは、大勢の客で溢れかえっていた。窓口がひとつ増え、人の波がそちらに移動した。
私も、それにつられて動いた。
 その窓口の係官は、お客との会話を楽しんでいるようで、ちょっとも進まない。
日本の老夫婦が質問をされていた。しばらくの沈黙と戸惑いがうかがえた。たまりかねた英語の話せる日本人が手助けをして何とかその場は収まった。私の番がきた。想定した質問がされた。しかし、私は、流暢な英語とは程遠い最低必要な単語を言って、「サンキュー」と手を上げその場を立ち去った。

 バルセロナから、シャトルバスに乗って、市の中心であるカタルーニャ広場に向かった。降りてからの方向が全くわからない。
近くにいた警官に地図を見せながら方向を教えてもらった。どこの国でも警官は頼りになる。19時を過ぎようといているが、まだ明るい。
 今日宿泊する「センター・ランブスYH」は、その広場から歩いて20分ぐらいのところにあった。迷うことなくたどり着けたことに我ながら感心した。部屋は、8人部屋で非常に狭かった。しかし、繁華街に近いことの人気の高いホステルである。
 早速、スーツケースを開けた。焼酎のにおいで充満していた。日本から持っていった2L入りの紙パックが破れ、その周囲にあった、Tシャツやタオルが麦焼酎の芳香につつまれた。ベッドの周りに、まずTシャツをハンガーにぶら下げ乾かした。周りの人にとっては、迷惑なことであっただろう。

 後になって思えば、麦焼酎でよかった。「芋焼酎だったら・・・」 

 

スペインフォトエッセイ~その2「眠らない街:バルセロナ」

2011年02月17日 11時23分23秒 | 旅エッセイ⑤~スペイン
        
  
                      

 宿に荷物を置いて、早速バルセロナの繁華街であるランブラス通りを、ぶらりと散歩。
旅行客や地元の人であふれていた。夕食は、ビールとパエリヤ。ビールのジョッキは大きく両手で支えて飲んだ。
さすがに全部飲み干せなかった。もったいない。

 ストリートの至る所でいろいろなパフォーマンスに出くわした。、地球儀を背負った人や怪獣に変装した人たちは、無理な体勢でじっと静止している。人にからかわれても額から汗が流れ落ちても動じない。ときどき水を補給し休んでいる姿は、ピエロのおもての姿とうらの姿を見ているようで、悲哀さを感じる。

 バルセロナの夜は、とても長~い。12時を過ぎても人の波である。ヨーロッパの9月は、バカンスの時期であるため、なおさらである。世界の人々が集まってくる。私の向かえのベットを利用している10代のハンサムな人は、ドイツからバカンスでやって来ていた。彼は、昼間は海水浴をし、夜は午前様である。若い人にとっては、過ごしやすいのかも・・・。

 私にとっては、バルセロナと言えば、サクラダファミリアを代表とするアートの街で、石畳も石ころ一つもアートに見えてくる。この街に、2日間過ごしたが、時間が足りない。街そのものが素敵であった。現地で出くわした日本人は、イタリアの建築学の研修のつでにバルセロナを観光しに来たそうだ。彼は、最低でも4日間ぐらい費やすに値する程、街全体が見ごたえがあると言う。私も同感である。

 カタルーニャ音楽堂は、特に良かった。そこは、ガイドツアーによる見学である。スペイン語によるツアーで、何を言っているかはさっぱり解らなかったが、天井からぶら下がっているように見えるステンドグラスは特に印象的であった。曲線を描く木の調度品など100年前の美意識の高さが伺えた。有名な音楽家がそこを利用したようだ。その重みがなんとなく目に映るようだ。

 私は、次の日の予定を考えて、夜12時頃帰宅したが、8人部屋には、インド人ひとりがいた。1時過ぎになってぞろぞろ戻ってきた。私のベッドの上段は、若い女性であった。私は、微笑みを浮かべて無言で挨拶を交わした。相手も微笑み返しをした。言葉は通じなくても、相手の表情で充分通じ合えるものだ。


スペインフォトエッセイ~その3「ちょっと足を伸ばして聖地モンセラットへ」

2011年02月17日 11時23分08秒 | 旅エッセイ⑤~スペイン
                 

 カタルーニャの聖地モンセラットへは、カタルーニャ鉄道で行く方法を選んだ。やはり旅はきままにするのがよい。とは言っても、どのようにして行けばガイドブックとにらめっこ。

 カタルーニャ鉄道で、昼食と美術館の入場券がセットになったものを購入した。駅で売り場を捜し求めて、3回目でやっと買えた。駅員さんが親切に乗車時刻を記入してくれたが、私は、いざ駅に着くとあわててとまっている電車に乗り込んだ。どうも様子が違う。たまたま乗り合わせた日本人に私の行き先を知らせ、何とか目的地に行くことができた。
 
 困っているときには、やはり日本人がたよりになる。外国では同じ民族だと言うことで仲間意識が働くのかもしれない。それと、現地の警察官も親切である。

 モンセラットとは、のこぎり山という意味だそうだ。その山上に、修道院、教会、美術館とレストランが建っている。それを展望台から見渡すと、橙色した瓦屋根と黄土色の外壁が周囲の緑、岩肌と調和して、3Dの絵ハガキを見ているかのようである。

 セルフサービスレストランで昼食をとった。チケットを見せたら、相手が早口で答えてくるから、英語かスペイン語なのか全く理解できず、再度聞き直しても同様であった。私は、トレイにチキン、ジャガイモとサラダの皿をのせ、ドリンクの方へ向かった。そのやり取りの様子から、食べ物の数に限定があるようだ。ドリンクコーナーで、ビールを注文した。追加料金を支払うつもりであったが、ビールもドリンクの1種類でチケットに含まれていた。私は、店員さんににこやかにあいさつを交わした。料理は、ボリュームがあり、美味しかった。

 帰り道、ケーブルカーに乗って下るつもりであったが、乗客の後を付いったら、延々と歩きつづけて、洞窟の教会にたどり着いた。カメラバックを担いでの道のりはきつかった。まぁ、これもハプニング・・・。
 

スペインフォトエッセイ~その4「長距離バスにてグラナダへ」

2011年02月17日 11時22分53秒 | 旅エッセイ⑤~スペイン
 
                    

 2日目、サクラダファミリアの帰り道、バルセロナ北バスターミナルに寄った。明日の深夜に出発するグラナダ行きのバスチケットを購入するためだ。飛行機や鉄道は、日本の旅行社で買えるが、バスに関してはそうではない。

 バルセロナ~グラナダ~マラガ間の往復チケットを購入した。帰りは、予定していた帰りのバスが満席であったため、飛行機に間に合うように早めに着くバスを選んだ。しかし、係員が手配したチケットをよく見ると、グラナダでの乗り継ぎ時間が10分ぐらいしかなかった。もしそのバスが遅れるようなことがあれば、飛行機のチケットもパーになってしまう。
 私は、再度受け付けにそのことを言って変更してもらった。そのやりとりは、スムーズに伝わらなく、お互い声を張り上げた。相手の表情は怒っていた。熱い、ラテン系の女性である。

 バスに乗る前、軽食券を2枚渡された。それは、その絵柄から判断できた。しかし、その使い方は解らない。他の乗客のみようみまねで軽食券を手渡し、パンとコーヒーを得た。グラナダへの約13時間は長い。トイレや食事休憩も適当にバスが出発するから周りに気を配りながら行動した。深夜でも運転手はラジオをガンガン大音量でかけている。日本では考えられないことである。国民性の違いである。

 グラナダの宿泊先であるオアシスユースホステルへは、市中心部行きのバスに乗って最寄り駅で降りた。そこから、アラブ街の迷路のような路地の先に宿はあった。その周辺は、下町の良さを残している。宿のベランダからの景色は、橙色の屋根瓦の家並みがつづき、異国情緒を漂わせている。そのベランダで、本を読んでくつろいでいる客もいた。そこは、人気のホステルで、何人かの日本人とも話ができた。スペイン語の勉強のため、あるいは仕事を止めて一ヶ月間の旅の途中と、それぞれいろいろな想いがあるようだ。

 そこもバルセロナのホステルと同様、深夜まで遊びにふける人が多かった。私も、午前様。旅の間は、睡眠時間が短い。それでも気の高まりなのか早く目覚める。

 グラナダは、地中海から少し離れたところに位置するが、昼間、1時間以上かけても泳ぎに行く人も・・・。ヨーロッパ人は、日焼けに関して気にかけないようだ。太陽の恵みに感謝しているように思う。

 朝早く、アルハンブラ宮殿のチケットを購入するため、宮殿行きのバス停に行ったが、開園前のためなのか、なかなかバスが来ない。わたしは、とうとう歩いて入場口に行った。しかし、その現場は、チケットを求める人たちが列を作って人だかりが出来ていた。そんな中、日本語で1枚チケットが余っているけど、欲しい人はいないかと探している日本人観光客の姿が目に入った。私は、それを安く譲ってもらった。その人たちは、チケットを前もって、インターネットで購入したそうだ。もし、その偶然がなかったら、私は、宮殿の中を見ることは出来なかったことであろう。

 宮殿内は広く、出口に迷った。係員に言っても、よくわからない。英語が通じそうな外国人に「エグジット」と発音しても全く通じない。アクセントが違うようだ。電子辞書を見せ、やっと理解してもらった。その事を友達に話したら、「ゴーアウト」でいいよと。その辺の頭の切り替えができない。私は、何年英語を勉強してきたことか?
 
 

  

スペインフォトエッセイ~その5「グラナダ近郊の白い村:カピレイラへ」

2011年02月17日 11時22分38秒 | 旅エッセイ⑤~スペイン
  
                  

 カピレイラは、シエラ・ネバタ山脈のふもとに位置する白い村である。グラナダから2時間半で行けることもあって、ヨーロッパでは知られた観光地である。

 私は、バスに乗る前に見知らぬ人に声をかけて、私と一緒のところに行く人を探した。運転手の案内は理解できないため、その人が席を立ったら私も降りようと考えたからだ。その作戦は、成功した。今後も、バスに乗る前には、声かけするように勤めた。

 昨夜の大雨がうそのように晴れ渡り、夏空、高原のすがすがしい風、そして日差しを浴びた山々、絶好のロケーションである。山登りに出かけるのだろうかリュックを担いだ人もかなり乗っていた。小さな村をいくつか通り越したところに目的の白い村があった。

 地図があるわけでもなく、まず小さな村をくまなく歩くことにした。白い部厚そうなごつごつした壁に周囲を彩る花と緑の調和は、そこで暮らしている人々の心意気を感じた。特に、各家いや各部屋かもしれないが、とんがり帽子をがぶった白い煙突は、メルヘンの世界に出てきそうなかわいらしさがある。公衆トイレにも煙突? 

 昼食は、駅前のホテルに併設したレストランにした。そこは、2ヶ月前、私が通っているデッサン教室の先生が訪れた所であり、オーナーは片言の日本語でしゃべりかけてくる。壁には日本の画家が描いた絵が飾ってある。日本びいきである。料理は美味しくテラスからの眺めは最高である。

 帰りのバスまで待ち時間があったので、隣町のブビオンまでゆっくりと歩いた。小高い稜線に建つ白い家並みは、遠くから眺めるとあたかも山が雪化粧しているようで、感動した。