花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

ほんわか昭和ストーリー~その1「はじめに」

2010年01月03日 09時44分57秒 | ほんわか昭和ストーリー


   

 昭和レトロという言葉は、昭和の時代、特に昭和30年代の暮らしぶりをさすようだが、定まっていない。今、その昭和レトロは、ちょっとしたブームになっている。
 それは、戦後まもなく生まれた昭和20年代のいわゆるベビーブーム世代の人たちが、自分の歩んできた道のりを振り返る余裕ができたことと、今の世の中では得られないものを追い求める若者たちが増えたことによると思われる。

 その間の科学の発達は、すさまじいものである。洗濯ひとつとっても、たらいに洗濯物をいれて洗濯板でごしごしと半日かかりでしていた仕事が、時代とともに、ローラーで洗った洗濯物をしぼる装置つき洗濯機、脱水装置のついた二層式洗濯機、全自動洗濯機そして乾燥までできるドラム式洗濯機へと技術革新はめまぐるしく進化し変化した。

 昭和という時代は、生活するうえで便利なものがどんどん市場に出回り、それを買い求めるためにがむしゃらに働いた時代でもあった。

 今回、私は、「ほんわか昭和ストーリー」というテーマで、子供の頃に使用した生活雑貨やノスタルジックな建物や風景などを写真と文で表した。

 

ほんわか昭和ストーリー~その2「真空管ラジオ」

2010年01月02日 15時59分49秒 | ほんわか昭和ストーリー



      

 自宅にあった昔の真空管を使ったラジオは、現在も使用可能である。それは、横46cm、縦23cm、幅20cmとかなり大きい。約50年前、私が小学生の頃、父が購入したものである。その頃の家屋は、アメリカ人にウサギ小屋と言われたように非常に狭い。我が家も、4,5畳の部屋にホームコタツを中心に置き、家族5人が暖をとりながらラジオを聞いていた時代である。私も、花菱アチャコのドラマをかすかに記憶している。ラジオを聞くことが、夜の唯一の娯楽であった。

 そのラジオ前面には、音量つまみ、選局つまみ、音質つまみの3種類がついている。しかし、それぞれの部品が違う。ひょっとすると、壊れた箇所を街の電気屋さんで修理してもらったのではないだろうか。それだけラジオは、貴重なものだったかもしれない。

 このラジオは、スイッチを入れてもすぐには音がでない。10秒ぐらい経ってからやっとザ~ザ~と鳴り始める。電気が、いくつもの真空管をとおり、流れていく様子が光として見える。あたかも生き物のようだ。ちょっとぼんやりしたところが、今の私に似ていて愛着を覚える。


ほんわか昭和ストーリー~その3「4枚羽の扇風機」

2010年01月01日 03時28分11秒 | ほんわか昭和ストーリー

        

 昔の扇風機は、羽が4枚ついており、市場で出回っている物の2倍以上の重さがある。黒光りした鉄の塊である。

 いかつい首振り装置や、鉄の羽根が風を切るダイナミックな音は、まさしく蒸気機関車を連想させる。モーターが故障しない限り数十年は使える。実際今でも動く。家電販売の店員さんによると、今日では、次から次えと新商品が発売され、それに見合った寿命の部品が使われていると言う。人と人のかかわりも、そうならないように願っている。

 扇風機の底には、厚さ2.5cmの丸い板がねじでとめてあり、土台になっている。畳に傷をつけないように配慮が伺える。

 私の家では、扇風機は高嶺の花で、うちわで扇ぐ時代が続いた。夏は、もっぱら氷り売りから買った氷で、一日の涼をとった。

 
 


ほんわか昭和ストーリー~その4「手回し蓄音機」

2009年12月31日 15時23分29秒 | ほんわか昭和ストーリー

       

 その当時、蓄音機は私の家の生活水準からすると、見分不相応な代物であった。両親は、子供の情操教育の為にと思ったのか、さぞ無理して購入したことであろう。その時代は、一流大学に就職をすれば、その人の人生は安泰であると皆信じていた。

 それに反して、私は蓄音機を畳の上でまわし、周りで飛び跳ねて蓄音機の針がレコード盤の溝からずれて変な音のつながりを楽しんだものだ。結局、蓄音機はおもちゃのひとつになっていた。

 傷のついたレコード盤は、雑音がいっぱいである。それでも何とか音楽を奏でる。完璧でないところがまたよい。


ほんわか昭和ストーリー~その5「柳行季(やなぎごうり)のトランク」

2009年12月30日 15時06分28秒 | ほんわか昭和ストーリー

       

 柳行李は、2世代前に一般に使われていた収納ケースのことである。今はプラスチック製のもの、その前は、ブリキ製のもの、そして、その前のものであった。
 柳行李の特徴は、通気性があり、軽く、かさばる物にもある程度対応できることである。今日でも、その愛好者のために細々と作られている。

 この柳行李のトランクは、フーテンの寅さんが愛用した皮製のトランクよりも前に日本で使用していたもので、和製のトランクと言うべきかも知れない。

 それは、戦中、戦後のいざという時に持ち運びしやすいように、丈夫な皮のもち手がついている。ちょっとした生活の知恵がかいまみえる。その編みこんだ縫い目にしみこんだススやシミをみていると、その時代の荒波を生き抜いた歴史を感じる。
 実際、父から戦後の食糧難のとき、トランクに着物を詰め込んで、買出しに行ったと聞かされた。