
今は亡き近鉄バファローズが球史に残る死闘を演じた、あの「10.19」から、今日でちょうど30年になる。
10.19についてはこれまでもさんざん語り尽くされているし、セルビデオもあるしYouTubeにも沢山落ちているので是非ご覧いただきたいのだが、かいつまんで言うと1988(昭和63)年のパ・リーグ最終戦、川崎球場でのロッテ対近鉄のダブルヘッダーである。
首位・西武は既に全日程を終えていたが2位の近鉄が猛追。天候不順で9月以降は連戦ばかりになり、最終の対ロッテ戦もダブルヘッダーとなってしまった。
このダブルヘッダーを、2つとも勝てば近鉄の逆転優勝。負けはもちろん、1つでも引き分ければ西武の優勝となる、これ以上ない壮絶な1日であった。
私は当時大学3回生、残念ながら巨人ファンだった。パ・リーグが競っている事は知っていたが、当然パ・リーグファンとは温度差がある。
その当日はサークル活動であったが、後輩に熱心な近鉄ファンが居て
「先輩、今日はちょっと帰らせてもらえませんか…」。
聞くと、家で野球中継を観たいからだと言うので、私も早めに切り上げて自宅で観戦となった。
第一試合を辛勝し、いよいよ逆転優勝を賭けた第二試合の途中にはTVに間に合った。
朝日放送の中継は無情にも22時前に一旦打ち切られたが、「ニュースステーション」が始まると同時にキャスターの久米宏が
「今日はお伝えしなければならないニュースが沢山あるのですが、まず皆さんにはこちらをお伝えします」
と、再び川崎球場にカメラを戻したのである。
お化け番組であり、テレビ朝日としてもドル箱である「ニュースステーション」を中断しての中継は、テレビ朝日編成の世紀の大英断として語り継がれている。
ロッテ・有藤監督の執拗な抗議による中断。
当時のルールでは、パ・リーグは4時間を超えると新しいイニングに入らなかった。
10回表、近鉄の攻撃が最後となってしまった。
羽田の力のないゴロがセカンドに転がり、ダブルプレーでチェンジ。
この瞬間に近鉄の勝ちはなくなり、西武のリーグ優勝が決まった。
しかし、勝負の残酷さはこれで終わらなかった。
既に優勝がなくなった近鉄は、ビジターのため10回裏の守備につかねばならなかった。
あの選手達の悔しさを超えた無表情は、とても言葉では表現出来ない。
試合後の故・仰木彬監督の
「悔しいが、悔いはない」
というコメントに、全てが凝縮されている。
私は近鉄が「パ・リーグのお荷物」と呼ばれた時代を知らない。
むしろ私にとって近鉄とは、これほどまでにドラマティックな戦いを見せてくれる集団なのである。
それは翌年10/14の本拠地・藤井寺でのリーグ優勝や、2001年の北川の「代打逆転満塁サヨナラ優勝ホームラン」などのドラマに、全て受け継がれたと言える。
私も1990年以降は巨人ファンを捨て、近鉄ファンとして生きてきた。
今は、支持球団はない。
あれから今日で30年。
近鉄バファローズも藤井寺球場も日生球場もなくなったが、あの時共に夢を見た「猛牛魂」は、決して滅びる事はない…
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