ほしちゃんの「続・なるようにしか、ならん」。

安くてウマいもんと料理と旅行と音楽と競馬が好きなサラリーマンの暮らしを、ありのままに綴ります。

マヤノトップガン、天国へ…

2019-11-05 21:00:00 | 競馬


1995年の菊花賞・有馬記念を勝った名馬マヤノトップガンが、老衰のため3日に亡くなっていた。27歳だった。

ナリタブライアンらと好勝負を演じた名馬としてマヤノトッブガンはよく知られているが、当時ど素人だった私にとってトッブガンは
「競馬の面白さを教えてくれた馬」
だった。

トッブガンを語るうえで外せないのが、田原(たばら)成貴騎手の存在だ。
長身のイケメンゆえ女性ファンが多く、大胆な騎乗スタイルと歯に衣着せぬ言動で絶えず注目されていた。
当初はブライアンズタイム産駒らしい粘りを活かした先行スタイルだったが、現役最後は追い込みに脚質転換し観る者をアッと言わせた。

トッブガンが3歳時は1995年、世の中が阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件で真っ暗だった。
競馬の世界でも6月の宝塚記念でライスシャワーが競走中止になり予後不良の措置が取られ、多くのファンが悲嘆に暮れた。
そんな1995年の後半の競馬界を大いに盛り上げたトッブガンは有馬記念でも古馬を一蹴し、被災した田所オーナーに勲章をプレゼントしたのだった。

そして私を競馬にのめり込ませたのが1997年の天皇賞・春だった。
その当時の古馬中長距離戦線は、東のサクラローレルの1強だった。前年の有馬記念、最後の直線で武豊マーベラスサンデーを置き去りにした末脚は際立っており、まるでマーベラスを子ども扱いしたかのようだった。
関西の競馬界を挙げて、打倒サクラローレル!の機運だったと記憶する。

打倒ローレルに燃えるトッブガンと田原は、天皇賞の前哨戦である阪神大賞典でなんと再後方からの競馬を試み、見事に差し切って脚質転換に成功した。

そして本番。
2周目の向こう正面で、なんと横山典弘サクラローレルがかかってしまい、先団に取り付く。コレをみて武豊マーベラスサンデーも追走。
田原トッブガンは、そんな2騎を前に見て気持ち良さそうに後方を追走。
4コーナーを回って直線。早くもローレルが先頭。
400㍍以上に及ぶマーベラスとの叩き合いになるかと思われたところ、一番外からトッブガンが華麗に抜き去る。その瞬間、私も含めた関西のファンは東の雄・ローレルを倒した歓喜に包まれた。
淀にこだまする「タバラ!タバラ!」の大コール。
「競馬って、オモロい!気持ちいいっ!」
と感じた瞬間であり、以後私はスポンジが水を吸うように競馬にのめり込んで行った。

あの黄色と緑の縦縞の勝負服を見るたび、それが単なるマヤノのトレードマークに過ぎないのはわかっていてもついついそこにトッブガンと田原がオーバーラップする。
病気や怪我ではなく、老衰でこの世を去ったのは彼自身にとっても良かったのではと思う。
トッブガンよ、天国でもナリタブライアンやサクラローレルと名勝負を演じてくれ…