ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

織田信長公の兜の意味

2019年09月25日 | 織田信長公の兜の意味
織田信長公の兜の意味

「楽市楽座」や「関所の廃止」など
斬新な発想に基づく改革を
積極的に行なった戦国武将の
織田信長公。

織田信長公の兜は家紋である「木瓜紋」と「御簾」が特徴的です。

「木瓜紋」は、地上の鳥の巣を
表しており、鳥の巣から卵が孵化し小鳥たちが飛び立つことから子孫の反映を意味しています。

また、「御簾」とは
宮殿や寺院で用いられる
「すだれ」のことで、
神の御加護に対する期待が込められています。





太閤の後編 室町時代以降

2019年09月23日 | 太閤の後編 室町時代以降
太閤の後編 室町時代以降

豊太閤

しかし近世以降、
「太閤」といえば関白を

甥の豊臣秀次に譲った後の
豊臣秀吉公のことを指すこと

が専らで
このことから
「大師は弘法に奪われ、
太閤は秀吉に奪わる」という格言までできるほどだった。

秀吉のことを史家はその姓
から豊太閤(ほうたいこう)
と呼ぶことが多い。

その秀吉が行った全国規模の検地は古くから太閤検地と呼ばれている。

また秀吉が大坂城を築いて天下に号令した大坂の地は
やがて江戸時代になると「天下の台所」と呼ばれるまでの経済発展を遂げたが、

地元大阪では今日でも
その最大の貢献者である秀吉を敬愛して「太閤はん」と呼び親しんでいる。


太閤(たいこう)摂政または関白の職を子弟に譲った人の歴史の前編

2019年09月23日 | 太閤(たいこう)摂政または関白の職を子弟に譲った人の歴史の前編
太閤(たいこう)
正式名称太閤下は、
摂政または関白の職を子弟に譲った人物を指します。

敬称は「殿下」であり、
呼びかけの場合は

「太閤殿下」となる。

摂政・関白を子弟に譲った者が「太閤」と呼ばれた例は平安時代からあった。

例えば藤原道長は後一条天皇陛下の
摂政を息子より頼通に譲り、
続いて任じられた太政大臣の職も辞任した後は
「太閤」と呼ばれていた。


鎌倉時代の関白
二条良美

は弟の
一条実経
に関白の地位を譲った後に
引き続き内覧に任じられたことから
「太閤」の名乗りを用いた。

その子孫である
二条良基
は13年にわたって
関白を務めた。

直接の血縁関係にない他家
の当主が関白になった後も
「太閤」を名乗って内覧
として権勢を振った。

その後3度も摂関に再任された。

後編に続く

豊臣秀吉公がキリシタンから我が国を守った

2019年09月20日 | 豊臣秀吉公がキリシタンから我が国を守った
豊臣秀吉公が天下統一の少し前に
九州平定のまえであった。

豊臣秀吉が九州に上陸して驚いたのは、外国への玄関口でもある重要な港町の長崎が、

キリシタン大名の大村純忠によってイエズス会に寄進されていたことだった。

大村純忠は我が国の裏切り者ですね。

我が国古来の領地を外国の所有に委ねることは、ありえないですよね。

宗教はこわいですね。

天下統一を目指してきた秀吉にとっては
もちろん許せない
同時にその裏ある
スペインの領土的野心にも気づくことになる。

さらに秀吉を驚かせたのは、
キリシタン大名の領地にある神社や寺がことごとく焼かれていました。

キリシタンは我が国伝統の神社などを破壊するのはひどいですね。

キリスト教は一神教であり、キリスト教以外の神の存在を認めない。

秀吉にとっては我が国の伝統や文化を破壊する許せない行為であった。

さらにポルトガルの商人が
多数の同胞日本人を奴隷として強制連行している事実を知ったのである。

キリシタンによって
日本人を奴隷として売り飛ばしていたのは教科書に載せるべきでもっと日本人が知るべきですね。

有色人種を奴隷扱いするのは白人にとっては当然のことであった。

国民の生命や財産を守る使命の
太閤豊臣秀吉は我が国を乗っ取り
子女を奴隷として売り飛ばしたキリシタンを禁止にして
我が国の守ったのである。


天皇陛下の和風名「すめらぎ」後編

2019年09月20日 | 天皇陛下の和風名「すめらぎ」後編
□天皇陛下の和風の呼び方「すめらみこと」より「すめらぎ」が良い

「すめらみこと」と読むと、
特定の天皇、もしくは今上天皇を指すのに対し、

「すめろき」と「すめらぎ」は、皇祖もしくは皇祖から続く皇統を意味し、
古より続く皇統の連続性を含んだ文脈で用いられる。

 例えば「すめらみこと」だといずれも特定の天皇か今上天皇を指す場合に限られる。

「すめろき」は八世紀後半に編纂された万葉集の福麻呂(さきまろ)
歌集に「日本国(やまとのくに)は皇祖(すめろき)の神の御代より敷きませる国にし有れば」とある。

また同じ万葉集の大伴家持(おおとものやかもち)の歌に

「ひさかたの天(あま)の戸開き高千穂の嶽に天降(あも)し須売呂伎(すめろき)の神の御代より」と見えるほか

「すめらぎ」は十九世紀の良寛歌に「すめらぎの千代万代の御代なれや花の都に言の葉もなし」
と特定の天皇ではなく、
連綿と続く皇統を指す言葉として用いられている。

すめらぎが皇統の全体を指すのでよいですね。