ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

こどもの日に兜を飾る意味

2019年11月25日 | 日記
こどもの日に兜を飾る意味

子どもの日に兜を飾るのは、
武家社会の風潮が基礎となっています。

大きく分けて2つの理由があります。

1つは、鎌倉・室町時代の武士が
毎年5月頃、座敷に甲冑を座敷に出していたことが由来します。

これは梅雨前に武士たちが甲冑の手入れを行うために行っていました。

2つ目は、神社にお参りする際に甲冑を奉納するしきたりの影響です。

鎌倉・室町時代の武士たちは、
身の安全を祈願するために神社に
甲冑を納めていました。


わが日本では五つの節句があります。

2019年11月25日 | 日記
わが日本では五つの節句があります。

端午の節句はその一つで大事なものです。

日本には「五節句」といって季節ごとに健康や繁栄を祈念する行事があります。

お節句の由来を知っていただき、季節の行事として楽しむとともに
ぜひ家族の健康やお子様の成長と
一族の繁栄を祈念するきっかけにしてほしいと思います。

◎わが祖国日本の五節句

★人日(じんじつ)/陰暦正月七日「七草がゆ」

★上巳(じょうし)/陰暦3月3日「桃の節句」

★端午(たんご)/陰暦5月5日「端午の節句」

★七夕(たなばた)/陰暦7月7日「七夕祭り」

★重陽(ちょうよう) /陰暦9月9日「菊の節句」

9月9日の重陽の節句はなくなりましたが、
他のお節句は現代まで伝わる行事です。

端午の節句

2019年10月01日 | 日記
午の節句について

端午の節句の意味

端午とは「月のはじまり」
を意味する「端」と
「午の日」を意味する「午」が合わさった言葉です。

従って、端午とは本来、
月のはじめの午の日を表す言葉でした。

しかし、「午」と「五」の音が同じだったことから5月5日を指すようになったと言われています。

また「節句」とは、
季節の折り目を表す言葉で、「節供」とも表現されます。

神様に食べ物を供える行事を指すようになりました。

われら日本国では5つの節句があり、端午の節句はその一つです。

中国から伝わった端午の節句は、
奈良時代では菖蒲(しょうぶ)の薬草を摘んで邪気を払うといった宮廷行事でした。

しかし、鎌倉時代の武家政治の影響を受ける中で菖蒲(しょうぶ)が、
武士道を尊ぶことを
意味する尚武(しょうぶ)へと変遷していきました。

その中で兜や甲冑を送る
文化が成り立ち、
男の子の日という風潮に

なったと言われています。

ヤマトタケルはわが国古代の英雄である。 大功労者でスーパースターである。

2019年03月22日 | 日記
ヤマトタケルはわが国古代の英雄である。
大功労者でスーパースターである。

いまの我が国を築いた
天照大御神や神武天皇陛下や大国主命神様とともに尊敬のお方です。

ヤマトタケルを尊敬している方は皇族、貴族、武将、平民まで古代からいままでたくさんいますね。

尊敬しているし、勇ましいしかっこいいです。

(やまとたける、景行天皇2年 - 43年)は、記紀に登場する皇子である。
ヤマトタケルノミコト(やまとたけるのみこと)とも呼ばれ、諱は小碓尊(命)(おうすのみこと)。

第12代景行天皇の皇子・第14代仲哀天皇の父

皇紀2679年

わが国の信条は和の国で大和(やまと)は聖徳太子がはっきり導いた

2019年03月06日 | 日記

わが国の信条は和の国で大和(やまと)は聖徳太子がはっきり導いた

わが国はひとことでいうと
和の国です。

わが国の和の団結力はわが国の歴史的や文化的発展みてもそうです。

体育(スポーツ)国家代表でも団結力の和が強さを発揮しています。

大きい和、つまり大和(やまと)です。

聖徳太子は和、大和の国に
導いた大功労者です。