ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

修身に載っている代表的な和歌

2019年09月17日 | 修身に載っている代表的な和歌
修身に載っている代表的な和歌

明治天皇御製

目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり


野村望東尼

くれなゐの 大和錦も いろいろの 糸まじへてぞ あやはおりける

もののふの 大和心を より合わせ ただ一すぢの 大綱にせよ


上杉鷹山

なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり

大伴家持

剣太刀 いよよとぐべし いにしへゆ さやけく負ひて 来にしその名ぞ

『尋常小學修身書』の代表的人物二宮金次郎は孝行と勤勉と学問の模範

2019年09月17日 | 『尋常小學修身書』の代表的人物二宮金次郎は孝行と勤勉と学問の模範
大正中期から昭和初期まで長期間使用された第3期『尋常小學修身書』
の検討を通して
修身教育の内容を明らかにする。

低学年の教科書では

ウソヲイフナ
ギョウギヲヨクセヨ
ジブンノコトハジプンデセネバナラヌ
キソクニシタガヘ

等、規範や躾を命令口調で指示し
挿絵や身近な例話を添えている。

 中・高学年の教科書は
「立派な人物の逸話集」だ。

3年用には
修身の代表的人物二宮金次郎が
孝行・勤勉・学問の課目に登場、

谷干城=忠君愛国、
本居宣長=整頓、
上杉鷹山=尊師、
春日局=遵法、
木村重成=勇気・堪忍、
徳川光園=倹約、
貝原益軒=寛大・健康、
毛利元就父子=共同等の逸話が載っている。

 次に4年~6年用に登場する主な歴史上の人物を列挙する。

渡辺華山、豊臣秀吉、ジェンナー、
円山応挙、楠木正成・正行父子、
ナイチンゲール、ソクラテス、
コロンブス、吉田松陰、勝海舟、
新井白石、西郷隆盛、橋本左内、
加藤清正、高田屋嘉兵衛、
中江藤樹、佐久間勉、
フランクリン、乃木希典、伊能忠敬

等々、当時の子供達の憧れの人物が勢揃いしている。

 負薪読書少年像―。

薪を背負い本を読みながら道を歩く、不思議な少年像だった。

二宮尊徳は 「リンカーンに比肩する人物だ」との声も出たという。

立派な人物であることが

 昔の子供は修身の学習の上に、朝夕見慣れた金次郎少年像から無言の感化を受けた。

その修身の象徴が次々と撤去された。

同時に孝行、勤勉、倹約、向学、克己、謙譲、報恩等の文字が消えた。

言葉を失えば当然、言葉に対応する実践も低下する。
道徳教育は難しい。 

だから行動の「模範」が必要なのである。

徳川宗春の『温知政要』

2019年09月17日 | 大和魂と大和心
徳川宗春の『温知政要』

21か条の内容は

上に立つ者は「慈」と「忍」を
心がけよう。

倹約のしすぎは人々を苦しめる。
←!?自分の好みを下の者に押し付けてはいけない。

規則を増やしすぎると違反者が増えるだけ。←!?人は適材適所。

個性を生かして能力発揮。
精神圧迫しないで元気にいこう


徳川宗春の信条は、

「政治で大事なのは締め付けじゃなくて、愛だでよ」

この政策『温知政要』を
必死な思いで質素倹約に耐えていた将軍・吉宗にも贈呈した

幕府が質素倹約を掲げていたが

尾張名古屋の
宗春はどこ吹く風と言わんばかりに、とんでもないことを次々にやらかします。

「ぜいたく禁止」により制限されていた芝居の興行を奨励。

年に1回だった芝居興行を

年に100回に爆増

禁止されていた藩士の芝居見物も解禁。

さらに「風紀が乱れる」
として認められていなかった
遊郭の営業を公認。

結果、名古屋には3つの
遊郭ができました。

さらに
「倹約のため派手な娯楽は控えろ」と幕府が命じていたにもかかわらず、盆踊りなどのお祭りを盛大にやりました。

ある盆踊りに至ってはなんと1カ月半も盆踊りが続けられたというからスゴイ。

また、女性や子どもの夜間外出を解禁した。
夜でも女性や子どもが安心して町を歩けるように多数の提灯を城下に設置する、なんてこともしたそう。
ホント、至れりつくせりです。

よく遊び、よく働く。

幕府の締め付け政策に対し
宗春は解放政策をとることで
人々に楽しみと生きる元気を与えた

全国から

「今名古屋が熱いぜ」

と全国から歌舞伎役者や遊女、
また商人や職を求める人がドシドシやってきて名古屋の人口は激増、

空前の名古屋バブルが巻き起こりました。

その繁栄ぶりは
「名古屋の繁華に興(京)がさめた」とまで言われるほどだ

徳川宗春時代の華やかな名古屋を
描いた『享元絵巻』より。

盛り場は遊郭や芝居小屋を
目当てに訪れた人々でごったがえした。

飲食店や見世物小屋もたくさん

そのほか徳川宗春は“治安のよい町づくり”にも力を注いだ。

藩士を巡回させて町の警備にあたらせるなどしました。

おもしろいかっこうの宗春公ですが、中身もイケイケでしたね。

江戸中期の徳川宗春公によって名古屋だけのバブルが起きた

2019年09月17日 | 江戸中期の徳川宗春公によって名古屋だけのバブルが起きた
江戸中期の徳川宗春公によって
名古屋だけのバブルが起きた

尾張徳川家のお殿様

江戸中期である。

徳川吉宗の時代です。

尾張家というのは水戸藩、紀州藩
とともに「御三家」と呼ばれる特別の大名

徳川将軍家に次ぐ家格。
もし将軍家に跡継ぎがない時は御三家から将軍を出す、
というとっても偉いお家。
吉宗も紀州藩の出身です。

尾張徳川家の殿様の
徳川宗春公の衣装が凄い

ど派手

そもそも駕籠に乗ってない。

またがるは漆黒の馬。

服装は、馬と同じ黒で統一。

黒い着物は、めくると裏側が真っ赤。

頭には見たこともないような
巨大な異国風の笠。

「こりゃ、どえりゃ~お殿様が来たがね」

名古屋っ子たちは異様ともいえる格好の「我が殿様」に衝撃を受けます。

白馬ならぬ白牛にまたがる宗春

牛に乗って参上

その日の服装は真っ赤な着物に
お気に入りの異国風の巨大笠。

そして手には長さ3.6m(2間)という
超長い煙管(きせる)を持っていた。

周囲のざわめきなど気にもとめず、
優雅にプカリ、プカリ

かっこいいね。

江戸時代の儒学の林羅山はいらない。

2019年09月17日 | 江戸時代の儒学の林羅山はいらない。
江戸時代は
やは儒学が徳川家のもとで
さかんでした。

売国奴の林羅山やほかの儒学者もそうです。
儒学や朱子学というのは
簡単にいうと中国が一番という考え方。

和風やわが日本の伝統を否定している。

さらに天皇家も批判しているし、
天皇家の正当性も否定している。

徳川光圀公が大日本史をつくって
天皇家の正当性は守った。
さすがご老公さま

湯島聖堂なんかいらないよね
孔子なんていらない。

こんな日本人を侮辱したやつはいらない。