ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

大日本史の執筆の徳川光圀公は江戸時代の我が国を救った大功労者

2019年07月15日 | 徳川光圀公
江戸時代の儒学と林家とは我が国を否定する
ひどいものだった。
それを徳川光圀公が救ったといってもいい大功績である。
徳川光圀の執筆した大日本史である。

徳川幕府は幕府の正学である
儒学を司る「林家」に命じて歴史書「本朝通鑑」を編纂させます。

これは織田・豊臣に代わって
天下を掌握した徳川幕府の
歴史的な位置づけが必要だったからです。

ですが林家の儒学は合理的な
ところがあり、
日本書紀や古事記に記された神話を
否定し、
「天皇家を批判している内容で歴史ある
旧家の一つに過ぎない、
このように説く事で徳川幕府の正当性を著しました。

孔子や儒学や林羅山は国賊で売国奴
で国外追放だ

徳川家は外国の学問を使い天皇家を否定していたのだ

それを徳川家のなかの水戸家は違った

天皇の神格性が建国以来常識の我が国に沿った徳川光圀公は、
この本朝通鑑に反発し大日本史の編纂を始めます。

光圀は幕府の正当性を林家が
否定したものを長年伝統で常識の
日本書紀などの神話
に沿った。
「神聖な天皇によって政権を委ねられた幕府の存在は正当である」と
考えたのです。

なので大日本史編纂自体は、
徳川幕府成立の正当性を歴史(神話)に求めたものなので、
徳川幕府にも影響はない。

南朝に関しては、
後醍醐天皇陛下から南北朝に
別れてから
後亀山天皇陛下が後小松天皇陛下に
「神器」を譲るまでの
57年間は
血統上は問題ないので南北両朝を認める説もありましたが、
これとは別に「天に二日なし地に二王無し」の通り、
いづれがを正統すべきと言う意見もあり光圀が「神器のあるところをもって正統」としたので、
大日本史では南朝が正統となったのです。
全国の不正摘発の旅も貢献したが、
大日本史の執筆したことにより徳川光圀公は江戸時代の我が国を救った大功労者である。