ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

天皇陛下の京都御所ときは塀一枚でも安心だった民との信頼関係

2020年04月21日 | われわれの天皇陛下
今の皇居
はもともとが徳川幕府の江戸城で、武士の城です。

明治新政府では
のちになかに
皇居のなかに宮城がつくられました。

周りには深い堀があって堅固に守られている造りです。
京都の御所はただの塀一枚です。

古今東西の皇帝や王様や君主の中で
こんなに無防備な宮殿の人はまずいないでしょう。

 短く数えても千数百年の歴史の中で、天皇家そのものを滅ぼして自分がとって代わろうとした人はいませんでした。

天皇陛下ではないけれど
その土地の有力者で権力者になった人、将軍や大臣などは色々いましたが、
わが日本は王朝が交代することなく、
ずっと皇室が続いています。

われわれ日本人は世界一の皇室を大切に守っていく必要があります

大御宝(おおみたから)」われら日本の国を民は大切にされてきた

2019年12月02日 | われわれの天皇陛下
われら日本には大昔から
「大御宝(おおみたから)」
という言葉があります。
われら日本の国の民のことです。

 天皇陛下にとって、民は「大御宝」だとずっと言われてきました。

 第十六代の仁徳天皇陛下の時
(五世紀前半頃)、

朝、御所から周りを見渡すと、村々から竈かまどの煙が上がっていないのを見て、

仁徳天皇陛下は

「煙が上がっていないということは、民は食べるものがなくて炊事をしていないということだ。

民は飢えているのだ」

とおっしゃって、
三年間、税を取らないことにしたという話があります。

三年経つうちに
民の暮らしはずいぶん楽になり、竈から煙が上がるようになりましたが

「いや、もっと民が豊かにならなければ」と天皇はおっしゃって、さらに三年、税を取りませんでした。

御所の建物が傷んできても、そのままにしておられたので、
民のほうから押しかけて
「税を受け取ってください」
「御所を修理させてください」と言ったと伝えられています。

仁徳天皇陛下の民をおもう気持ちは
世界でもなかなかいません。
素晴らしいこころを持っています。
その国民がわれわれ日本人なのです。

民衆を「大御宝(おおみたから)」と呼んで大切にしてきた天皇陛下

2019年06月14日 | われわれの天皇陛下
われわれ日本の天皇陛下は

初代の神武天皇陛下以来、
民衆を
「大御宝(おおみたから)」と呼んでいます。
大切におもってきました。

民は奴隷として搾取する相手の
当時の海外の王侯から見たら考えられないことです。

宝として大切にするのです。

仁徳天皇陛下はその後も民を思う心、
気持ちで政治を行い土木工事、
困窮者の救済、病者慰問、
孤児や寡婦を扶助したと
日本書紀にも記されています。