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大平木の畑事情言って境目で境界してもらう

2013-02-18 22:35:13 | 日記・エッセイ・コラム

朝161-66-81夕方157-68-74今十時112-49-70背中暖かいから低い、朝六時半に目覚まし七時にお茶のスイッチ入れに行く、又布団に、下剤飲み八時に起きる、牛乳バナナ、パン納豆で朝食、薬、血圧測定記入で九時、新聞読み、こちらに来て呉服屋に畑の実状を話す、抵当権四社、それに精一が仮差し押さえしていると話し、大平木の石川が土井の畑を買って内の土地を取り込んだのが解ると抵当に抑えている会社に損害賠償するか、と話す、農地科に居た職員が段差が境、畑の途中で段差など付けない、し言っている、それを昨日話したが富田が無視して土井の畑ばかり測量して一応境決めた、富田何者か言わず計っていた、畑の関係者には身分明かすべき、出鱈目な土地測量士、十一時に木村屋に弁当買に行く、帰って十二時、下剤飲み一時前に昼飯、薬探すが血圧の薬見えない、昼飲む血圧の薬、有ったが見えない、四時半から頭のMRI有るので動けない、二時からパソコン開き一時間くらい座る、三時半に三豊に向い石川呉服に寄り畑の抵当権見せる、町が段差で境界としていると言っているから何か有ったら責任取れる、と言った、段差を境界にすると石川が言った、二十分くらい話して三豊に行く、四時五分に着く、放射線科の前に行くと直ぐ呼ばれる、四時半に頭のMRI終る、帰って五時、パソコン開き内容チェック、五時半に止めて晩飯に、六時過ぎに終わる、薬、血圧測定記入、七時半にマルナカに買い物に行く、帰って八時十分、風呂に湯入れて入る、出て八時五十分、東京に電話して九時過ぎにこちらに移る、そしてパソコンの前に足しびれるが座る


司法書士か家屋調査士か冨田では酷い

2013-02-17 22:11:09 | インポート

朝160-55-71夕方144-45-74今九時半120-50-70朝六時半に起きて母屋に行きお茶にスイッチ、また布団に潜る、八時半まで目閉じて寝ようとするが昨夜から寝られず夜が明けた、八時半に起きて牛乳飲み、お茶飲み、バナナ、パン納豆で朝食、薬、血圧測定記入で九時半過ぎ、新聞読み此方にきてパソコン開く、少し経つと胸重くなる、この半月ばかり食事して少し経つと胸重くなり心臓悪くなったかと思っていた、十一時半に木村屋に弁当買に行く、帰って十二時過ぎ、昼飯食べて一時過ぎ、二時に大平木の畑隣の畑の境界線決める事になっている、昨日も石川さん、慎ちゃんに農地の事役場でやっていたので境界線のこと聞いた、写真見せてこの段差が隣の畑の境界だといわれ、それで二時前に行く、隣の畑買うのが喫茶やっていた石川、不動産屋が呉服の石川、売るのが本村の土井、境界決める調査士が本村の富田、段差のとこが境界線と言ったがあちこち計るが解らず最後に道路沿いの土井の畑の端から段差まで計り、此処だと段差から三十センチばかり内に入ったとこに印する、まだ俺名義にしてないから余り言わなかったが、正確にはもう片方の内の方の畑の端からの距離も計るのが公平なやり方、両方の距離を計算して公正ににするのが調査士だと思うが片一方だけ計り此処だと境界を決めるのは失格、国家試験受けて資格取っているのだろうが取り消しのやり方、資格取り消すべき人間、三時に帰る、又パソコン開くが胸重くなる、中々良くならず五時半に晩飯食べだす、そしたら胸治る、胃がどうにかなっている、二十日ぐらいに陶に行き大原先生に胃カメラ頼んでみる、序に車検場に行き前の車のナンバー調べる、車変わってすると思う、何かダイハツがしている。七時半にマルナカに行く、帰って八時過ぎ、明日頭のMRIを取るから今夜寝て居なければいけない、此方に来てパソコン開いていると前屈みになるから胸重くなっている。


頭ボケたと思う

2013-02-16 22:35:13 | 日記・エッセイ・コラム

朝144-63-69夕方156-57-70今九時半131-48-70六時半に目覚まし、母屋に行きお茶にスイッチ、蒲団に入り八時半までうとうと過ごす、起きてお茶飲み、牛乳飲み、バナナ、ミカン、パン納豆で朝食、薬、血圧測定記入で九時半、新聞読み山本の産直に薩摩芋買に行く、芋二袋買う、六百十円、帰り調査会館により受付の女の子に関谷の綿屋が使っていてた綿弓、綿の資料館が受け入れるなら棉弓持っている人に言って寄付してもらうよ、と話す、受付西原の事を西原先生と言っていたが何をやって先生になったのかな。ちょうさ会館、綿の資料館を管理している科の電話教えてくれた、女の子も運営している科に連絡しときます、と言った、帰って十二時、下剤飲み、関谷の綿弓の写真コピーして又資料館に行き綿弓のコピー渡しこれが関谷で使っていた弓、と渡す、木で出来ているからびっくりしたいた、帰って一時昼飯食べる、終って一時半、少しパソコン触り、二時過ぎる、昨日引き取った車点検する、座席の下に落としていたバラ銭無し、後ろの座席の下にもない、右ドアー開き過ぎて牡丹の横に置いてある石臼に当っていたが殆ど開かない、前の車と違う、ダイハツともある会社がすり替えた、徹底的に調べてやる、小銭の件は所長、小坂が居る前で言っているしそれを録音してある、後は陸運局に行きナンバーを何台か調べる、何千円で出来る、陶病院に行った時に行けばよい、昨日大平木の畑都と行き写真撮った映像を何枚かコピーして石井の慎ちゃんに道路の境のコンクリートの段差などを示して隣の土井の畑の境界は段差にあると確認する、帰って三時半、お茶飲み少し歩く、七八百くらい歩いたか、足痺れ痛いので止めた、少しは歩く練習しないと筋力なくなる、寝たきりになる、五時にまたパソコン開き写真探してコピー、私の相続分家裁で決めた書類探す、箱の上の方に有った、富田に持って行った初めての書類、富田も居ない、六時前に晩飯食べる、薬、血圧測定記入で六時半、パソコン開き心臓関係見ると気が重くなる、高石さんが検査、検査としてくれるからこちらも用心する、七時半にマルナカに行く、帰って八時、八時十分に風呂場に行く、脱衣場の台の上にニトロ置いてある、昨夜風呂に入ってシャツ着る時命の次に大事な薬を置き忘れていた、最近二日に一回は置き忘れている、発作が起きたらどうなる、何時もペンダントに入れて首に掛けているが最近忘れる、それと此方に移りパソコンの前に座り、日記を書こうとすると朝からの行動中々思い出せない、完全に忘れている、朝新聞読み後何をしたかを思い出すと次々と思い出すが毎晩日記書く時頭真っ白、何も思い出していうない、少し家が広すぎる、それに家中ガラクタだらけ、その中から探し出すの大変、今日から寝るの十二時に早めると決心した、一時では身体が悪くなるばかり。


三時半に車引き取る

2013-02-15 22:37:06 | 日記・エッセイ・コラム

朝154-66-71夕方169-56-72今十時123-53-67朝六時半に目覚まし母屋に行きお茶にスイッチ、帰り布団に潜る、ゴミだし昨夜遅く置いて来たから九時に起きる、牛乳飲み、バナナ、ミカン納豆、パンで朝食、薬、血圧測定記入で十時、新聞読み、少しパソコン触り十一時半木村屋に弁当買に行く、帰って十二時過ぎ、下剤飲み、一時に弁当食べだすと都から電話、大平木の畑の境界線を決めたいと言って来たらしい、一時半に畑見に行く、隣の畑とは道路のコンクリートの高さが違う事に気付きデジカメで十枚くらい撮る、明日豊浜町の農業関係やっていた人に写真見せて段差の理由を聞く、日曜日昼から決めると都に言った、そのように電話で伝えるとの事、帰ってパソコンに入れていると携帯にダイハツから今から車検取り高松より帰ります、四時ころに取りに行きますと返事する、農協に行き上乗せの保険番号切り替えて来ますと小坂言ったので私自分でやのます、と返事する、三時半にダイハツに行くと番号変わっている、ダイハツの手違いでもどうして俺の名前で取った番号変わるか、おかしい、と思い全部録音、車検場に行き前のナンバーで持ち主調べてやる、十四五年前はよく高松の陸運局に行きよく調べた、千円ばかり要るだけ、ダイハツで引き取る時車の座席の下に何百何十円何銭か落としてある、と本当の事所長、小坂の前で言った、拾うの面倒だからそのままにしていた、車調べるのに役に立つ、無ければ車変わっている証拠、五時半過ぎに晩飯、終わり薬、血圧測定記入で六時過ぎる、七時半にマルナカに買い物も帰って八時、八時十五分に風呂に入り九時に出る、九時半にこちらに移りパソコンの前に足裏痺れ痛いが我慢して座っている。


足痛いが五百mくらい歩く

2013-02-14 23:04:49 | 日記・エッセイ・コラム

朝123-54-80夕方158-63-78今十時182-78-68寒いから高い、朝六時半に目覚まし薄暗いので布団の中に、うとうとすると身体怠くなり起きられないと思ったが時計見ると九時思い切って起きる、お茶沸し、牛乳飲み、バナナ、ミカンパン納豆で朝食、薬、血圧測定記入で十時新聞読み、少しパソコン触り、マルナカにウドン買に行く、帰って十二時、郵便局から不在表が有った。直ぐ観音寺の郵便局に電話して豊浜に置いといて夕方取りに行く、十二時半に昼飯食べる、終わり一時過ぎ、二時過ぎに三豊に行く、高石さん早く診察終わっていた、直ぐ呼ばれる、眩暈の薬七日出しい貰う、十九日ゴルフに行くと言ったら十八日頭のMRIを取りましょうと言われる、二十一日は下半身のMRIそれを取終り結果説明するからと言われる、最近直ぐに検査される、何処か悪いと思っているから検査ばかりするか、帰り郵便局により荷物貰う、帰って三時過ぎ、正身に心臓調べたかとメールする、四時に外に出て七福神まで歩いて回る、帰り携帯鳴り誰か解らず帰ると正身来ていた、泌尿器科で心電図取り泌尿器科の先生がこれなら大丈夫と言った、とユウが、オカシイ、弁当中に置いていると言った。三百五十円の何処かのコンビニの弁当、肉まんと置いてある、それと下着類持って来ていた、俺が肌着など着る物一杯持って置くとこ無いのでアズっている事知っていて持ってくる、家の中一杯着る物積み重ねてあるの知っていてしてくれる。晩飯に持ってきた弁当食べる、薬、血圧測定記入した青木に電話する、お前と太田治子連れて八坂峠に行った時の写真中学の同級生に渡し大田に会ったら渡してと渡したよと伝える、俺がニコンF買って初めてシャッター押した時の写真、お前あの時の写真持っていたのかと言われる、同窓会の件は無いと今日池田から話し来た、十四日栃木にゴルフに行くから出席するかどうか解らないと言った、そのころ臺灣にゴルフに行くからかち合わないようにしてい行った、七時半にマルナカに買い物に行く、帰って八時八時半にこちらに移りパソコンの前に居る、三豊の返り郵便局に行くと西村さんに会い、あの綿弓何時頃使っていたと聞くと解らない、唯家に有ったからとの返事、資料は横内さんの三貫拵えると麦飯の寿司これだけ、これを話したのは二代目の俊さんの奥さんか如何か確認今度会ったら取る。西村さんの言ったこと綿屋の歴史に書き加える、マイキリ入ったのは大正の初めころになるか。