2021年2月記事
花と死の文字は良く似ていると思う・・・
死という文字を部分入れ替えて
草冠とにんべんで 花になる
死の中にある「タ」という文字は月からきたらしい
(とアルブログから引用させていただいた)日が沈み、
月が東の山から出てくる時間が夕方だ。だから、月の半分。
それで横棒が1本だけ。という事だそうだ・・・
月は静かな常夜灯 死は眠りの時間
ところで 女性は花が好きだ・・・
我、母の為に 娘と妻がトアル 花売り場で
お別れの花を選んでいた。
私は唯、気が抜けたように ずっと突っ立ったまま
花を見つめていた・・・
気性の荒い男(私)は 花の良し悪しが分からない・・・
女性は子供を産むから 慈しむ心で 花が好きなのだろうか
昔、庭を花だらけにする母を見て
父と「花ばっかし 喰えもせん物を・・・芋を植えろ、芋を!」
と呆れていたが
今にして思えば 花を愛する人=母性愛が強い人
なのだろうと思う。
花市場には 大勢の女性で賑わっていた。
そこで 妻と娘が ああでもない こうでもないと
眠った母の為に花を選んでくれている・・・
俺達子供を 慈しんでくれた母はもう居ないが
妻と娘が母の後を継いでいてくれる。
俺の心の太陽は消えない。
嗚呼、俺は幸せな男なのだな・・・と 少しウルッと来て
しまった。
女性にしか分からない 花の良さ・・・
花を慈しむ人達は太陽のような存在なのだ。
ps 母を支えてくれた人達は女医さん 介護士 看護師
我家族 皆 女性だった・・・死も生も女性が寄与する
功績は大きいんだなぁ~ 口じゃ「女性の世紀」だって言っているが
世の為政者共や宗教屋共は本当に分かっているのだろうか・・・
唯、感謝もせず 利用しようとしているだけなんじゃないかな・・・
母は強しそして女性も強し
私は通夜と火葬の時だけ元妻(次男の母親)
と葬儀を上げましたが後の納骨から毎月の命日参り三回忌と私一人で気持ちを強く持たないと進めなかった
三回忌を済ませて気が抜け何をするにもやる気が起きませんでしたよ
母親の時はお袋は東京で私は仙台と離れていたしましてや私の身体の麻痺痺れで中々母親の所へ見舞も行けなかった
母親ともっともっと話をしたかったのが悔やまれます
今は辛いお気持ちは最もですが
時間の経過と共に母上様のご冥福を穏やかにお参りできると思います
いつまでも心の中で生きていくでしょう
ご冥福を祈ります。
カワムラはお身体ご自愛下さいね。
致します。たまに思い出して こみあげる
物がありますが 不思議な事に気丈です。
母が食べられなかった分 不思議と腹が
減って 飯も食べています。未だに
母さんが「大丈夫よ~」と答えてくれて
いるような気がして・・・
ps 弟 妹が気丈なので 有難いです。
俺は こいつらの兄で良かったと
感謝しております。
私は30歳のときに母をなくしました。
父も7年後に他界しました。
心から寂しいと気づくのは仏事のあれこれが終わってからでした。
ほんとうに寂しく思うのは、半年とか、一周忌後とか、3年後とかひとは言いますが、わたしは一年後でした。
今思えば、煩わしいほどの仏事が救ってくれていたんだと思います。
まぁ もっと早く離別された方達は
大勢いらっしゃるでしょうが、そうですよね
後から じわ~っと来るので 不安です。
ただ、大病をした後の10年間は 別人格
になっていました 僕の中の母親とは
違っていて イヤ だからと言って
母への想いは変わらないのですが、
きつかったんだろうと・・・・
母が楽になった分 安心しているというか
・・・