ちょっと 遅すぎたが・・・私も 高倉健さんの追悼を
健さんの映画作品の終焉の地が長崎県平戸市だと言う・・・
ほんで、思い出すのだが、昔、小学生だった頃 クラスの友人6人位で 連れ立って平戸へキャンプへ行った事があった。引率は クラスで頭が良く、ちょっと変わった(妙に大人びた)O君の親父さんだ。故郷帰りついでに 僕らを平戸に連れて行ってくれるとの事だ。
なんと いっても 驚いたのは この親父さん、立ち姿・振る舞い・しゃべり方・高倉健さんに良く似ていたのだ。角刈りの頭にサングラスをかけ、ベージュ色のサマージャンバーのチャックを喉仏一杯迄閉めて ボストンバックを片手で肩に背負い 年老いた婆さん(彼の母)に「ばっちゃーん帰ったぞー」と低音の声で呼びかけるのだ
「うぉっ!シブい 健さんやがっ!」
「うぉい!おい マサカ 親父さん、渡世人じゃーなかろうな」とツイ口走る私・・・
「しっ!」と隣りの奴に肘鉄を喰らってしまった。
顔は厳ついが中々優しい方で何だか、健さん本人と旅したみたいで 今でも得した気持ちになっているのだ・・・O君のお父さんと健さんは、何処かで魂の繋がりがあったのかも知れない。
それにしても すげーファンだったんだろうな・・・雰囲気は其のものだったのを覚えている。
丁度 その頃の健さんの映画は役どころが変わり 「八甲田山」「幸せの黄色いハンカチ」「野生の証明」と健さんの魅力を最大に引き出した作品ばかりが登場した。どれも俊逸な作品で この短期間にいろんな高倉健を観る事が出来たのだ。
「八甲田山」では、知的で思慮深い寡黙な明治男。指揮官の重責を思い知らされた作品
「幸せの黄色いハンカチ」では、不器用で脛にに傷持つ無骨な元炭坑夫 健さんの不器用なイメージはこの映画の影響が凄かったのだろう それほどリアルで印象深かった。
「野生の証明」では ハードボイルドな唯唯カッコいいベストコマンド・・・この映画は不思議な空間に誘ってくれる作品だった。テンポが良い娯楽の傑作っちゅうか・・・仁侠映画とは違う健さんのカッコ良さが網羅されていたバイ!やっぱり佐藤純彌監督はすげー プロデュサーは言わずと知れた角川春樹氏、兎に角センスの良い方で手がけた作品は必ず大ヒットで「商売は掛け算で儲かって行く」と名言を残した怪物だ。この世界では神様的存在だったのだ。兎に角影響は凄かった。あれ観て特殊部隊に入った知人もいるくらい。
※健さんとは関係ないが映画監督の巨匠といえば野村芳太郎監督と深作欣二監督を挙げておく。こりゃ ワシのポリシー
どの作品も映画監督が凄腕だったので どれも大ヒットだった。この三作品は何回観たかな・・・確か映画館で 弁当を持ち込んで 友人達と一作品8回位は見直している・・・
健さんの俳優としての夏季の作品としてふさわしい映画だったと思う。
山田洋次監督が健さんを撮ったのが良かった・・・あの映画からは リアルな人間の息使いが感じられ生活臭が有り まるで演者さん達が隣に座り 同じ場所の空気を吸っているように錯覚した。銀幕という不思議な境界から始めてスターが飛び出した精神的3D映画と言えるだろう。。単純なストーリーなのに、あのように深い作品に仕上がるとは・・・何と言っても 驚くのは、その時代の情景と言うか空気の色が映りこんでいるのだ、画面見ただけで、あーあの時代だと一目瞭然。山田氏、天才じゃなかろうかと やっぱり真の芸術家だ。
増して大好きな武田鉄也氏と健さんが共演してる夢のような作品だ。最高に腕の良い絵描きのような巨匠が描く活動写真に自分の姿が永遠に残るってのぁー最高だろうな。って 本人じゃないからわかんねーか