蓮の道

日々の暮らしの中で気がついた事や、感じた事などを書いています。

感情への名前付け

2007-12-01 01:56:59 | Weblog
哀しいとか、嬉しいとか、怒りとか、「感情」を表現する言葉はたくさんありますが、本当に自分が感じている事は、その言葉に当てはまるんだろうか?

(何年も前の読んだ本なので、なんだったのか忘れてしまいましたが、
憎しみを感じるのと愛を感じる場合、同じような事が身体に起きていると書かれていたような気がします。)

ザワザワと感じ、発散したい衝動があるとき、それをなんと名前付けするかは
人それぞれ違うし、置かれた状況によっても違うのかも知れませんが、
なんらかの普段とは違う反応が起きているのが感情なのだと思います。

それに名前をつけるのは、学習によってではないかと、昨日考えました。



赤ちゃんの時、何か不快な事や欲求があると、とりあえず泣き叫びますよね?
それに対して、お母さんなり世話をしている人が「お腹がすいたのね」とか、
「寂しかったの~?」とか、「甘えたかったのね」などと、名前付けをします。

赤ちゃんは、そうか、こういう感じは「お腹がすいた」という事か、「寂しかった」という事か、などと心身におきる衝動に名前をつける方法を学んでいくのだろうと思います。


もう少し大きくなると、心がムズムズするとき、お母さんに「イライラして怒るのは止めなさい!」と言われる子と、「どうしたの?何があったの?」と聞かれ、
「それって、どんな気持ちだろうね?」とか「何がそうしているんだろうね?」と
尋ねられて一緒に感情の出所を探し、イライラしていたのは、眠かったからなのか、寂しかったからなのか、思い通りに行かなくて、こうしたかったのでできなかったとか、細かな、最初に感じた事に近い言葉を捜す作業をする事を教えられて育った子は、同じ言語を持っていて、同じ事を感じていたとしても、違う事を言うようになるような気がします。


キレル子供、キレル大人。そんな人は感情が湧き出ても、それに自分が納得する言葉付けをする事ができず、そうじゃないのに~!ってキレテしまうような気がします。

似たものが似たものを癒すとホメオパシーでは言われますが、自分の感情に似た言葉を見つけられたら、気持ちに起こった事を解放する事ができ、それほど、キレルほどに感情が爆発しなくて、ある程度は穏やかにいられるのではないでしょうか?

それに、もしも自分の感じた事にもっとも近い言葉を人に伝える事ができたなら、
誰かは共感してくれたり、理解しようとしてくれたりするものなのだと思います。


感じた事を自分なりの表現方法で表す事を大切にするように育った人と、言わなくても分かるよ、同じなんだからって言われて、人と同じになるように育った人とは、感じている事は同じだったとしても、表現の仕方は全然違い、感情のあり方を表現する方法が薄ぼんやりとしてしまって誰かや何かと混合されてしまい、セッションしても、個別化された個人の感覚を言葉にするのは難しいような気がするので、ホメオパシーの従来のセッションの仕方では正確なレメディーをマインドから探すのは至難の業のような気がしています。