●祭を調べる中での間違い
屋台やだんじり、太鼓台を調査公表していく中で必ず出くわすのが「間違い」です。どの分野でもそうだと思いますが、特にこの分野では、今までプロの方には見向きもされなかった面もあり、手探りの段階で、いくら注意しても間違いは避けられません。また、プロの方でも屋台やだんじりの祭に携わったり、担いだり引いたり、現場の方と友達になったりできていない場合だと、簡単に気付くようなことでも見落としているなんどということも多々見られます。
ここでは、管理人が間違えたことのある例を紹介し、どのような点に気をつけてもらうかの参考にしてもらいます。そして、最後は、間違えた時はどうするかを考えていきたいと思います。
●嗚呼、多すぎて書ききれない管理人の間違い記録
ここでは、星の数ほどある管理人の間違いの中から、主だったものを厳選して紹介します。厳選してもここまであります。
明石町の欄間(ここに間違えた記事)
管理人説--->
a高倉天皇に臣下が報告している場面
b馬場信春と本多忠勝の長篠の合戦
結果--->
a仁徳天皇の民の竈門(粕谷氏の本から)
b今のところ不明(t氏のご指摘で、本多忠勝と馬場信春の組み合わせで、馬場信春が馬で駆けている場面なら一言坂の戦いかもしれないとのこと。本多忠勝が撤退をしようとしている様子が見られるのでこちらが正しいと思います。)
三木市吉川町若宮神社の神輿製造年
若宮神社の神輿製造年を戌(いぬ)を戊(つちのえ)と読み間違えました。お先だんじり(屋台)の創建が文政元年(1818)で戊寅(つちのえとら)の年だったことから、神輿も同じ年に作られたと報告書で書いたり発表したりしてしまいました。
小野市久保木の神輿
これは、幸い制作年代を書かなかったのですが、文政期の墨書を見事に見落としていました。
神戸市灘区都賀の、だんじりはねずみのいない十一支と書いたけど、、、
(ここに間違い記事)
都賀のだんじりはねずみのいない十一支だと書いたけど、ちゃんといました。
あきらかに女性ものっておらず、竹之内宿禰もいない水引幕を、神功皇后の三韓征伐としていました。
そのほかにも、、、
・今上天皇を年号と天皇で呼ぶ、記述。
・不明の彫刻師を、別の有名な彫刻師と記述。
などなど多すぎて全ては覚えきれません。
●このような間違いへの対応について
☆指摘してくださる方に感謝^_^
幸いにも管理人は、間違っていたら優しく指摘してくださる方がまわりに沢山います。なるべく早く訂正していくといいと思います。
☆祭関係者に訂正を伝える
若宮神社の場合だと、管理人は報告書を祭関係者の方々にもお渡ししていました。みき資料館の方に指摘を賜ったので、今年の祭に修正したものをお渡ししました。
その時に「間違いを恐れずにこれからも頑張りよという温かい言葉も」かけていただけました。
☆間違いはあって当たり前、その後が大事
もちろん、間違いをたとえば、本を出版する前に書ければ問題ありません。しかし、この分野は医学のように検証実験をするような時間もありません。なので、間違えたまま文章が出てしまうことも多々あります。
なので、そこに気づいた時に、正誤表を読者に配るのが難しいのであれば、ホームページに記述するなどの配慮は必要かも知れません。
次号からは間違いについて
播磨鑑の間違い記事とそこから見えるもので一本の記事を書きます。「もしかしたらもう一つ別の間違いについても書くかも知れません」と書いたのですが、無理そうです。。