月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

218.萬福寺趾-韓国の石仏文化-南原市の石像の特徴2/3(月刊「祭」2019.11月3号)

2019-11-03 20:15:00 | コリア、外国
●韓国南原市の観光名所
 今回は韓国南原市(詳しくは、ウィキpディア)内にある二つの観光名所-廣寒楼苑と萬福寺跡-の石像の特徴についてです。石像をいきなり出す前にそれぞれの観光地の簡単な紹介をします。今回は萬福寺趾の紹介です。基本は案内文の日本語訳になります。

1 萬福寺趾、만복사지、マンポクサジ
(アクセスウェブページともに同じサイト)
 うえのリンク先は簡潔に分かりやすく萬福寺跡の概要が書いてあります。下の文章を読んで分かりにくい方は上のリンクへ^_^  とりあへず、管理人は案内板を訳してみます。である体はですます体になおしました。
 訳の部分は---これより---線と---これまで----の間とします。また、各宝物に関しては、全訳ではなく要約とします。

---これより----
●萬福寺趾
史跡第349号 
全羅南道南原市 ヴァンジョン洞
 ここは高麗の文宗帝(1046-1083)の時代に、初めて萬福寺がつくられた場所です。
はじめてつくられた時、境内には銅製の仏像を安置した二層の法堂と五重木塔があったと伝わっています。近年の発掘調査によると、朝鮮時代に萬福寺は中心に木塔を擁し、東、西、北側に法堂を擁する一塔三金堂式の配置だったことが分かりました。この寺刹は、金シスプの小説「金鰲(日本語読みだとキンゴウ)新話」に載っている「萬福寺樗浦記(日本語読みだとチョホキ?)」の舞台としてもよく知られています。朝鮮中期まで繁栄した萬福寺は丁酉再乱(慶長の役・1597)で灰塵に帰しました。長い年月を経ても残った石塔と石の遺物いくつかが、寺院の面影を残しており、断片的に当時の面影を窺い知ることができます。

境内の国家指定文化財
五重石塔(宝物第30号)
石造台座(宝物第31号)
幢竿支柱(宝物第32号)
石造如来立像(宝物第43号)
---これまで---

 一塔三金堂形式の伽藍配置は、日本では飛鳥寺(法興寺)がかつてそうだったと発掘で判明しました。韓国では慶州市などいくつか例が残っています。
 三金堂ではかつての興福寺がそうでしたが、興福寺は三金堂二塔もいえる東西に塔がたっています。




↑看板越しに北側を見ました。

↑寺院の立地については日を改めて。

●五重石塔(宝物第30号)
---これから---
高麗時代に作られたもので、背の高い基壇のうえに五重に屋根が連なっています。屋根の最上部は長い年月で落ちてしまいました。1968年の修理の時に一層目から仏舎利用の箱が見つかりました。高麗時代らしい簡素な作りですが、二層目より屋根と各層の間に石板があるのが特徴的です。





●幢竿支柱(宝物第32号)
 

---これより---
 幢は寺院で行事を施行する時に門前に掲げる一種の旗で、そこには仏の功徳を称える絵を、描いていました。幢竿支柱は旗の竿を支えるためにつくられた柱です。
 この幢竿支柱は高麗時代に巨大な石を飾り気なく打って整え、どっしりとしながら素朴な味わいを漂わせています。地中に埋まっている部分も考慮に入れると全高は5mほどになると思われます。
 巨大な幢竿支柱から旺時の萬福寺の様子が思い浮かぶようです。
---ここまで---



●石造台座(宝物第31号)
---ここから---
この石座は仏像を安置していた六角形の土台で、萬福寺の創建と共につくられたものと考えられています。下の部分は花の装飾を含む象の目模様(眼象)があしらわれ、その上に蓮華が彫られています。中間部は下部より幅が狭くなっていて、各縁に短い柱模様が彫られています。上部は再び幅が広がり、側面は蓮華で飾られています。上底面には仏像を固定するための穴が開けられています。この石座は高さ1.4mほどの一つの岩から作られており、六角形が特徴的です。
---ここまで---
 建物の中心あたりと思われる場所にありました。つまり、その建物の中心仏の台座が石でできていたことになり、木製や漆喰、銅がおもな材料となる日本の違いが見れて面白いです。
 また、次に書く石仏のことを考えるとこの台座上の仏像も石仏の可能性は高く、建物内の主尊仏が木や漆喰などで作られることが多い日本との違いがより際立ちます。







●石造如来立像(宝物第43号)
 この仏像は高麗時代に萬福寺が創始された時に作られたもので、岩に仏像なの立っている作品です。仏像の背部には体から発光している様子を表した光背が彫刻されていますが、うえがの一部は欠損していますす。頭部の輪郭ははっきりしており、巻髪は簡略に表現されています。顔は温和で慈愛に満ちており微笑みを浮かべ、まるで生きているようです。肩から柔らかに流れる衣装とスムーズな曲線を描く体つきとよく似合い、自然体でありながら優雅な雰囲気を醸し出しています。後面には仏の立ち姿が線刻されています。








🇰🇷韓国の仏教文化と石🇰🇷
 韓国の仏教文化には日本より多く石を利用しています。
 たとえば、日本では塔は木造の建造物を好んでつくるのにたいして韓国では、石塔でそれを表したりしています。また仏像でもその堂の主尊となるのは、日本では木造仏であるのに対して韓国では石造台座に見られるように大規模な建造物の中心仏として石仏が用いられることもあったようです。
 萬福寺趾は、日韓の仏教文化のちょっとした違いも教えてくれます。



217.金物神社の村の鍛冶屋(月刊「祭」2019.11月2号)

2019-11-03 01:24:00 | 旅行案内
●金物神社
 三木金物物販協同組合の呼びかけで、昭和十年(1935)に建てられたそうです。

↑神社境内に金物資料館もあります。

↑昭和九年にできた手水鉢。神社創建に先立ってできたようです。

↑本殿は現在工事中でした。

↑古式鍛錬を毎月第一日曜日に行っているそうです。

↑村の鍛冶屋の歌詞碑


↑金物神社を出るとこんなかんじで「村の鍛冶屋が流れます。
 悲劇の青年君主がいらっしゃった三木城の跡に、復興の象徴の音楽が流れます。

金物まつりについては↓




216.三木金物祭と秋月会カレンダー(月刊「祭」2019.11月1号)

2019-11-03 00:38:00 | 旅行案内
●三木金物まつり

↑巡回バスが出ています。



↑スケジュール

 三木は金物の町、それだけあって毎年11月2、3日に金物祭が行われます。この記事が書き上がった頃には、あと1日残っています。
 古式鍛錬や展示即売会などは、金物の町たる様相を見せてくれます。また、三木金物だけでなく、山田錦などの生産物の啓蒙・普及ブース、ダンスなどの発表会、子どもが遊べるブースなどが用意されています。





↑また、三木が誇るの名だたる飲食店がお手頃価格で出店してくれています。管理人はたこ焼きを食べました。美味でした。

●金物まつりに合わせた展示
 金物まつりにあわせて近隣の博物館で特別な展示も見ることができます。

みき歴史資料館
 大宮八幡宮の祭で屋台が通るには狭すぎるあの道の家のお話です。前挽きのこぎりは、京都をもしのぐ生産量をほこったことなども紹介されていました。



金物資料館
今年は小刀。もともとは専門業者はなく、合間に作っていたものから、明治期に専門業者が生まれたことなどが紹介されています。日は違いますが、17日には五寸釘からペーパーナイフをつくる体験もできるそうです(13:00-16:00)。




●秋月会のブース
 カレンダーも一枚ものだけでなく、卓上のものも売られていました。また、オリジナルの模型も売られています。


 さて、今回のカレンダーはスペシャルなことが起きています。秋月会のカレンダーは毎年発行されて20年を超えていますが、管理人が見る限りでは初めてのことがありました。
 それは、「現在」の城山屋台がのっていることです。10月22日の今上天皇の即位を祝って屋台を飾り付けした時の写真です。1999年のカレンダーには城山屋台がのっていますが、休止前の姿です。屋台が休止してから、現在のものが載せられているのは、今回が初か、20年以上ぶりかのことになります。
 カレンダーは、「買い」です。買いそびれた方は、おそらく三木市観光協会で買うことができるように例年はなっています。