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HIZAKURI

旧東海道踏破の覚書、ただし日本橋から箱根まで

紹太寺-目指せ春日局の墓所、そして衝撃の(?)ラスト

2014年10月07日 | 小田原宿-箱根宿

さて、一里塚を出発したHIZAKURI隊が次に目指すは紹太寺。春日局の墓所があるお寺で、一里塚から1キロ程度の距離です。
宗派は黄檗宗。春日局の孫、小田原藩主・稲葉正則が、それまで小田原城下にあった当寺をこの地に移しました(1669年)。かつて、寺域は1.1キロ四方、東海道に面して壮大な総門が聳えていたそうです。
現在、天然記念物「長興山のしだれ桜」が有名のようですが、季節外れのためパス。
それでは、3代将軍家光の乳母として、大奥で絶大な権力を振るった春日局の墓所を目指しましょう。

↑きれいに舗装された参道が続きます

↑総門の跡には案内板のみ

まずは、参道を進むとほどなく左手にある本堂にお参りします。此処は、かつては子院だったそうですが、幕末から明治にかけて、何度かの火災でかつての本堂や伽藍が焼失したため、現在は本堂となっています。

↑清潔感が漂う、そんな本堂でした

↑正面の扁額は、かつて総門に掲げられていた隠元禅師直筆のものだそうです

さて、本堂にお参りを済ませたら、いよいよ春日局の墓所へ向かいます。山内の案内図によると、本堂から随分と山奥へ歩かなければならないようです。さすが、広大な寺域を誇った紹太寺。いざ、参ろう!

↑300段と言われる石段もなんのその

しかしながら、さすがに300段の石段の不意打ちはキツイものがあります。もっと本堂の近くで、手軽に行けると思っていたので。
それでも、あの春日局の墓となれば、是非とも参らねば。一段一段、真夏に逆戻りしたかのような陽射しの下、登っていくHIZAKURI隊一行。

↑透天橋。夏草や兵どもが夢の跡…兵ではなく僧侶かな…

石段を登っていくと、このお寺のかつての壮大さを偲ぶ遺構を目にすることができます。透天橋は、かつて放生池とよばれた池(現在は涸れています)に架かっていて、橋を渡った両側には石柱があり、ここのあたりが楼門の手前にあたるようです。

↑主要伽藍跡

さらに進むと、主要伽藍の跡地に出ます。今では畑(蜜柑の木が植えてありました)となっているこの場所に、壮麗な伽藍が立ち並んでいたそうです。栄枯盛衰ですね。

そしてその奥、ついに到着!稲葉氏一門と春日局の墓所。

↑稲葉氏と春日局の墓所に到着

やっと着いたぞい、と思いきや、

何と!

墓所を目の前にして、「立ち入り禁止」の看板が…

ちょうど、上の写真を撮った場所から先へは進めないことに…。

もう、がっくり。

せっかくここまで登ってきたのに…。
立ち入り禁止なら、本堂辺りにその旨、告知してくれればいいのに…。

そういえば、途中から石段や参道に、手入れしてあるとは言い難いほど、夏草が生い茂っていたことや、人とまったくすれ違わなかったのは、そういうことだったのか…。

あやうく石垣山の二の舞になるところだったHIZAKURI隊ですが、まだ余力は残しています。それでも、膝を痛めているW隊員には、ちょっと(…というか、かなり)残酷な結末でした。

↑残念ながらここで断念


あとでネットで調べてみたら、7月に墓所の大木が根こそぎ倒れ、墓石などにもかなり被害を及ぼしたとのこと。その復旧遅れ(手つかず?)のため、やむを得ず立ち入り禁止としたようです。
最近サボっていましたが、やはり事前の下調べは必要だよね…と思った私なのでした。

ちなみに、これも後から知ったのですが、此処にあるのは春日局の「墓」ではなく「供養塔」のようです。

みんながっくりと肩を落としながらも、こんなこともあるさ…ってな感じで、もと来た道を戻ったのでした。まだ体力のあるうちでよかったですな、御一同…。

↑春日局。まさにお局様的な存在だったのでしょうね


-H-


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