今日は寒いね、雨が降ってるし
つい最近まで暑い暑いと言った猛暑だったのに
寒くなると思い出すのが大阪で初めて一人暮らしを始めた最初の冬
布団に包まって寝ていたんだけれどもう寒くて寒くて寝ていられない
それで寝付かれぬまま朝気が付くと部屋の中の台所が凍りついていた
へたをしたら室内で凍死するところだった
三畳一間で家賃8千円のボロアパートは隙間風がぴゅーぴぅー吹き込んでた
そこで隙間と言う隙間にビニールで目張りをしたらようやく寝られるようになった
それで一計を案じて安い電気ストーブを手に入れたんだが
パチンコ屋に出かける以外部屋の中に四六時中いたので電気代が1万円程かかった
8千円の家賃に電気代が1万円になったので管理人のおばさんに
「爆弾でも作ってるのとちゃう」と言われた
何年か後、東京に上京して、とある国家試験を前にした年の冬
アルバイトも辞めて試験に集中した
やはり大阪で住んでいたようなボロアパートだったけど
場所が超高級住宅地だったので一挙に家賃が3万円程になった
しかし傾斜地の1階だったので窓を開けると隣の家の壁で陽が射さない
昼間でも電気をつけないと暮らせない監獄より暗い部屋だった
その冬は一日中ガスストーブを炊いて過ごした
直ぐ上の2階の部屋に一人暮らしのおばあさんが住んでいて
ある時、そのあばあさんが
「この冬、私の部屋は異常にあったかくて暖房もいらないのよ」
とおっしゃった
当たり前じゃ下の部屋から一日中暖めてるんだから・・
たそがれの御堂筋~坂本スミ子
今日は雨が降っています。
冷たい秋の雨です。
町中に知らない人が誰もいない
5時を過ぎると真っ暗な通りに狸ぐらいしか歩いていない、ど田舎の高校を出て
向かった先が大阪の梅田でした
赤いネオンに喧騒の町、百花楼蘭の品物が溢れるデパート
田舎者には刺激的でそれでいて少し怖くて
御堂筋を女の子と二人で歩いた記憶はありません
御堂筋はいつもひとりぼっちで歩いていました。
何もあてもなく何の希望も無くただいつもひとりぼっちで歩いていました。
窓を開けるとどこからか金木犀の微かな匂いが漂って来る今日この頃です。
金木犀の香りって何だか郷愁を感じますね
僕の出た小学校の外便所の際にこの金木犀が植えられていました。
外便所の男性便器はまっ黄に赤茶けていて、とてもちょっとやそっとの掃除では落ちない程汚れていました。
校舎は古びた木造建てで廊下を歩くと所々板が沈むんです。
屋根のある渡り廊下を渡ると講堂があって一番端の建物が音楽室でした。
その頃、オルガンに合わせて習ったのは‘郷愁,とか夕空晴れて~♪秋かっぜぇ~♪吹く~
とか習いましたね
題名は忘れましたけど・・
僕は教室の中では授業中、前の黒板を見るより外の大根畑とかを見てる事の方が好きでしたね
肥かつぎのタゴやんが一日中集めて来た肥を畑にまいているんです。
そんな時、ふと殺気を感じて気が付くと
鬼の様な顔をした担任の〇〇先生が上から目線で僕を見下ろしながら
「ひろ造、そんなに肥かつぎが好きやったら手伝うてきたらどうや?」
「わしの授業がちゃんちゃらおかしいて聞けんちゅうのか、おう!」
とか言いながら
僕に殴る蹴るの制裁を加えるんです。
現代だったらワイドショーを賑わすような事が平気で日常的に行われていた時代ですね
昨日も手賀沼に行ったけど最近は運動をするのがおっくうでおっくうで・・・
この花は・・・マンジュサカ?
うちの田舎では昔、この花の事を「幽霊花」と言っていました。
お墓の周りにあったからでしょうか、現代の様にこのお花を愛でるなんてとても・・
あやふやな僕の小さい頃の記憶に残る光景があります。
母と二人でバスに乗って県境を超えた隣町の
海辺に面した松林の中のサナトリウムだか小さな病院だか忘れてしまったけれど
白い建物があって誰かのお見舞いに行ったんです。
その人は女性だったと思います。
その建物の周りにはところどころ、この赤い幽霊花が咲いていたのを覚えています。
そしてその晩は祖父と祖母の暮らす離れの隠居部屋に泊まったんですが
ふと夜中に目を覚ますと僕の枕元に白いまるで透明の様な着物を着た女性が立っていたんです。
きゃー!と泣き叫ぶ僕は母屋から両親に迎えに来てもらった思い出があります。
まだ感受性の強い幼少期にはこう言う事もあるんでしょうが
誰かにこの花の名を幽霊花と教えられたせいもあるのかも知れません
何故だかこの記憶はずっと僕の心の中に残っていて
何年か後、僕が高校生になってから
その白い建物があった松林の前の国道が高校の通学路でした。
自転車をこぎながらその白い建物跡を見るとそこに白い建物は無くてそこは墓地でした。
ただこの時期に赤い幽霊花は咲いていました