数年前、両親共老人ホームに入所して誰もいない実家の正月に帰省して
郵便物を見てみたら兄宛ての年賀状が2枚ほど届いていた
送り主の住所を見てみると地元で無くて知らない日本海側の地名と関西の地名
きっと兄の大学時代の友人だろう
兄にも年賀状をくれるような友人がいたんだ
兄はその前の年に亡くなっていた
この友人の方は兄が亡くなった事を知らない
実家の兄とはほとんど話を交わしたことも無く
大学時代に何をしていてどんな友達がいたかなんて一切分からない
兄は生まれながら体に障害があって大学を出てからはひきこもりの様な生活を送っていた
両親が生活の面倒を見ていた
稀に不自由な体で山仕事を手伝ったりしていたみたいだけど
老いても両親は兄に仕事の強制はしなかった
兄の体の不自由なのは自分達のせいだと思っていたんだ
子供の頃はその障害を理由によくいじめられていて
僕はそのいじめをいつも見て見ぬふりをしてやりすごしていた
必然、家の中でも兄との会話は無くなった
兄が倒れたと言う連絡があった
救急搬送で隣の徳島の病院まで3時間かかった
都会の人は信じられ無いだろうけど過疎の町から脳外科のある病院まで救急車で3時間かかったんだ
助かる人も助からない
兄は植物状態になった
未婚だった兄に付き添う人とて無く高齢の両親には頼めない
姉と僕とで善後策を話し合ったが埒が明かない
その頃は二人とも仕事があって兄の事を押し付けあった
僕もたびたび仕事を休んで飛行機に乗り兄の入院や転院手続きに行かされた
心の底で・・
(何もこの俺に)
とベッドの上で物言わぬ兄を眺めて愚痴ってみた
結局1年半程病院をいくつかたらい回しにされた
そうせざるを得なかった
結局最後は高知の病院で亡くなった
死に際に間に合った
涙は出なかった
ふと思ったのは
兄の人生ってどうだったんだろう?
幸せだったんだろうか
そうじゃ無かったのか
亡くなったあくる年に兄に届いた2枚の年賀状を見つけて
けっこう人並みの人生を送ったんだと思って
何だかホッとした
ふぅ~~~ん
最近はいろんなもんが流行ってるんやな
今日は浅草の待乳山聖天さまの大根まつりで
中風封じ?にいっぺん、ふろふき大根をよばれに行かにゃと思っていたんだけど
SNSで聖天様の記事を読んだら関東いちのパワースポットなんだと
わし何度も行ったけど・・
そうか!
信心が足らなかったか
スピリなんちゃらがどうたらこうたら
他人さまの信心に批判はしたらあかん、なんちゃらは宗教とは違うそうだけど
わし自身人一倍信心深いし
お宮参りなんか毎日のように行ってるし
でもこれはある種の自己満足だな
神様仏様を一生懸命拝んでお金持ちになったり幸福になれたりしたら
これほど楽な事は無いもんな
拝んだだけで勉強しないでええ大学に入ろうたってどだい無理
やっぱ一生懸命精進して努力しないと