HIROZOU

おっさんの夜明け

梅田物語2

2021-09-22 14:59:21 | メモリー

かくして18歳の夏、梅田の専門学校を辞めて同じ梅田の予備校に入り直した

田舎者がどう考えても繁華街近くの予備校に通って落ち着いた勉強が出来るのかと言うと・・

出来へんな

予備校へは授業料の安い夜間にした

休憩時間に同じクラスの浪人生に声をかけたら逃げられた

夜間の予備校生は苦学生が多くて少しでも勉強に集中したかったんだろう

お気楽な僕はそんな事は考えずに相変わらず勉強よりパチンコに熱中してた

一度田舎からの帰りにカーフェリーが遅れて深夜の梅田に着いたが

アパートのある京都線の最終に乗れずに梅田で始発を待つことになったけど

田舎者の僕には都会の夜の時間の過ごし方が分からず

曽根崎警察の入り口で始発まで待たせてもらった

そうしたら夜中に血だらけの人が運ばれて来た

やはり梅田の夜は怖かった

飲み屋に出入りするようになったのはあくる年の19歳からで

この頃は阪急電車のエスカレーター前に売られていた

紙コップ入りの生ビールはよく飲んだ

あくる年の大学受験はやはりダメだった

梅田の地下鉄御堂筋線には独特の臭いがあって

現在でも梅田に行ってこの臭いを嗅ぐと

ああ梅田や~

と思う


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梅田物語1

2021-09-22 08:53:58 | メモリー

もう40年も昔になる 1980年

大学受験に全滅したので梅田の専門学校に入る事になった

その頃の梅田は映画館のあるナビオ阪急が出来たばかりで他に阪急三番街や阪急コンコースなど

おしゃれなファッションのウィンドーが目白押しで

僕の生まれた町の洋服店と言ったらうちのばあちゃんの営む小さな洋服店だけだった

ばあちゃんの店の主力商品はもんぺと地下足袋だったから

隔世の感がしたな

そんなおしゃれな店で僕は洋服を買った事が無くて

高校時代から履いている安物のスリムなジーパンと

合成樹脂でできた革ジャンもどきなジャンバーをいつも着ていた

高校時代は追試小僧だったのに高校を出たてでまだ働きたくなかった

数打ちゃどこかに入れるだろうと安易な気持ちで受けた受験だったから

それで合格できるほど世の中は甘くなかった

無試験の指定校も落ちてしまった

専門学校は放送芸術系だ

放送芸術と銘打つとどんな学校でも自然と生徒が集まった

皆がテレビの華やかな世界に憧れた時代、そんな頃だな

詐欺的なひどい学校だった

学校は阪神高速の梅田出口近くのビルにあった

入学式に出ると周りの連中は田舎の高校にはとてもいなかった部類の生徒ばかりで

不安になって後ろを振り返ると入学式に出席した母の顔があった

4月に授業が始まるとばかり思っていたら教科書が出来て無いとの事で

授業が始まったのはもう6月を迎えようとする時だった

授業が始まったら始まったで授業中はお祭り騒ぎでとても授業を聞く状態では無かった

何人か友達も出来た

皆、テレビ局か映画関係に就職希望みたいだったけど

僕は何も考えて無かった、ただ学生と呼ばれる身分でいたかった

あの頃は毎日のように仲間と授業帰りに喫茶店に寄った

たまに女の子達も一緒だった、飛んでる子が多かった

タバコを覚えた、まだ飲み屋には入らなかった

梅田にスケートリンクがあってけっこう皆すべりに行っていたけど

どんくさい僕は行かなかった

僕がよく行ったのはパチンコ屋

アーケードのある阪急東通り商店街を知ってからはお金のある限りパチンコを打った

だから女の子とデートも出来なかった

なんせいつも文無しだから

あの時代、ディスコ流行で東通り商店街の中にラジオシティとボトムラインと言うディスコがあって

たまに行ってナンパもしたけど

それだけだった、デートする金もパチンコにつぎ込んだから

商店街の中に元禄寿司と言うお皿の流れる寿司屋があってたぶん回転寿司のはしりかな

パチンコで儲かると40皿以上食べた

(今はせいぜい5皿ぐらい)

もっと儲かった時は阪急百貨店でステーキも食べた、

でも女の子とデートと言うとお金が無かった

学校の行き帰りに阪急電車乗り場近くに地蔵横丁と言うガード下があって

その近くに紀伊国屋書店があって店の中から松山千春の‘旅立ち,が流れていた

今でもこの曲を聞くと何だか寂しい気持ちになる

ひとりぼっちで梅田の街をさまよっているあの頃の自分が思い出されて

そうだ同い年の松田聖子の歌う

すてきな♪エイティーン~♪

とか流行った頃だ

スターへの道を邁進する聖子ちゃん

同い年でいつも文無しの僕は

阪急三番街のおいしそうな食べ物屋さんが立ち並んでる前を肩を落として歩いてた

夏休みを待たずに僕は専門学校を辞めた

専門学校の道路を挟んだ向かいのビルにある予備校に入り直した

もう一度大学受験を目指した

(よしゃー良いのに)

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