４月１日 小野湖のサギ

宇部市には小野湖という湖がある。

宇部市と山陽小野田市の市民の大切な水瓶であり、工業用の貯水池でもある。

その小野湖のほとりに住んでいる劇作家のわたしだが、数年前、演劇有志とともに、水上に仮設の渡し場を作り、そこで芝居をやることを計画した。もちろんわたしの新作書下ろし戯曲だ。

有志ともども入念に計画を練り、国や県や市に助成金を依頼し、地元の舞台美術会社に水上舞台の設営も発注して、準備を整えていた。

わたしの執筆も、小野湖を利用した大掛かりな演出も想定して、小野湖名物のカヌーボートのカーチェイス（？）シーンも劇中に取り入れ、また小野湖に住むマーメードと地元大学漕艇部主将とのロマンスなども織り込み、予想以上の仕上がりとなった。

稽古は市民参加の演者と地元出身のプロの役者も交え（時折、東京往復のスケジュールが取れないと某俳優から稽古キャンセルが続いたりしたが…）おおむね順調に進んだ。

本番一ヶ月前から、小野湖のレクリエーション施設のボート乗り場の隣りに大規模な渡し場を設営し、照明を吊り込み、音響設備を配置し、簡易の、けれど水上とは思えないほどの舞台を設営した。

前日リハーサルでは、直前まで某俳優が到着しないというハラハラドキドキがありつつも、滞りなく終えることができた。そしてまた、市民参加の芝居ではよく起きることだが、奇跡のようなゲネプロとなり、演出席で見るわたしは感動に包まれた。

本番の日の天気予報も晴れ。チケットは予想以上の売れ行き。県知事、県議会議長、市長も観劇に来る。

しかし、ゲネプロを終えたその夜、わたしが一日の疲れを落とそうと風呂に入っていると、コツコツと風呂場の窓を叩くものがある。わたしはビックリして立ち上がった拍子に湯船の底で足をすべらせ、あやうく尻餅をつきそうになった。

「だれ…？　だれですか…？」

窓に影が映っているが返事はない。わたしは濡れたタオルで股間を隠しながらそっと窓を開けた。

するとそこには用心深さでは小野湖一と言われるシロサギとアオサギが、これまた小野湖を占領していると言われるブラックバスを手に（正しくは翼に）捧げ持つようにして、そのサギ語でもって確かにわたしの耳にこうささやいた。

「どうかわたしどもの湖で芝居をやらないでください。わたしどもはとても臆病なのです。水の上で大声を出して戦ったり、きらきら明かりを当てたり、（少し恥ずかしそうに）口を吸い合ったり、船の櫂でバシャバシャ水を叩かれると困るのです。わたしどもには生存権というものがあります。（あなたがたには芝居権というものがあるのかどうか知りませんが…）この湖に住めなくなると、わたしどもはどこに行けばいいのでしょう？　どうか芝居権の行使をお控えください。代わりにアオサギと一緒に獲ったブラックバスをあなたに差し上げます。こいつは外来種だから生存権がこの湖ではないのです。あなたも芝居の執筆料がお入り用でしょうから、どうぞブラックバスで一杯やってください」

わたしは腕の中にまだ跳ねているブラックバスを抱えながら、サギたちが平身低頭して、薄ぼんやりと輝く夜の小野湖に去っていくのを呆然と見送った。

わたしはその夜から高熱を出し、朝が来てもどうしても起き上がることができなかった。

後日、わたしはブラックバスの切り身を関係者の人数分に分けて宅配便で発送した。県知事にはお頭の部分を。

わたしは多額の借金を負うことになったが、借金の督促状はそのまま小野湖のサギのもとに送るべく、水に浮かべて流している。

きょうまで借金の取り立てが来ていないところを見ると、シロサギとアオサギは借金取りのもとにも平身低頭ブラックバスを届けに行っているのだろう。