先週、新幹線で広島市に行き、「河」の公演を観てきました。
地域演劇の劇作家の大先輩、故土屋清さんの名作戯曲「河」の、30年ぶりの広島での公演です。
なので、わたしは観劇は初めて。(けど、一度戯曲は読んだことがあるようで、冒頭の肖像画を描くシーンは、手書きの印刷した台本を読んだ記憶が…)
土屋清さんは、わたしの所属する西日本劇作の会を立ち上げられた方です。わたしは一度もお会いしたことがないのですが、「河」の戯曲のことと、その人となりを、お噂では耳にしていました。
横川シネマの会場は、補助イスを客席の倍も出したかに思えるほどの大盛況。客席に、熱気と集中力がありました。
劇作家という者は、どうしても、名作戯曲と呼ばれる作品の秘密を探ろうと分析的に観てしまいます。
主人公峠三吉を核に据えて、1950年前後の、広島の青春群像を描いています。
まだ原爆についてのあれこれが、占領軍のプレスコードに引っかかる時代の、息苦しさと、それでもあふれてやまない、生と文学への思い。政治的情勢に左右されながらの、芸術と市民活動の相克。
峠三吉の苦悩を描きつつ、政治的プロパガンダ劇にならないようにウエルメイドに作劇してある気がしました。
不思議なのは、芝居の筋を越えて、作者土屋清と、また峠三吉と、書くこととは、今の時代に表現することとはを、会話している気がしてきたことです。
「おい、広島君、君は創作っちゅうもんを、どう思うちょるんじゃね?」
「僕にとっては、書くことは……」 といった具合に。
舞台成果としては、稽古不足、役者の力量のばらつき、配役の年齢の高さ(30代のはずの峠三吉がわたしより年上に見えた)、演出の古さ等、課題はいっぱいのような気がしました。
「それでも」、と応援したい気が、おこがましいけれど、するのです。
時代を超えて戯曲は創作は、劇作家は、生き延びていけるのか?
土屋清さんと峠三吉を思いながら、宇部に帰ってきました。