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あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

木霊発つ深き山に母ありて  あきオジ

2010-12-11 17:35:06 | 日記
雪ちるやしなのの国の這入口  一茶

木がらしにぐすぐす豚の寝たりけり  一茶

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最近は毎日、更新を終えて
喫茶店に出かけたときが
唯一の読書の時間
しかも、その本に小説が入っていない。
これじゃ時代から遅れますね。

夜は夜で、更新のためのネタ本をせっせと焦って拾っている。
とても熟読玩味しているとはいえない。

それでいいのかどうか分からないけれど
勉強はしてないことも確か。

いずれにしても
まあ、いいか!

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跡もなき雲にあらそふこころこそなかなか月のさはりとはなれ  一遍

(妄想を払おうとするからまと妄想が生まれる。こんな内容だと思うのですが、このような難解な内容を平明な言葉に置き換える発想が素晴らしい。一遍さんも普通じゃない人ですね。詩心をもった宗教家なのですね。憧れる宗教家のひとりです。)

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あるサイトに一遍の和歌を年代順にならべたものがありましたので拝借します。
一遍の言葉は単純明快で心に迫るものがあります。
一遍聖絵に魅せられた私は和歌のファンになりました。

38歳

すてやらで こころと世をば歎(なげ)きけり 野にも山にもすまれける身を

41歳

はねばはね 踊(おど)らばをどれ春駒(はるこま)の のりの道をばしる人ぞしる (江州守山閻魔堂)

ともはねよ かくてもをどれ心ごま 弥陀の御法(みのり)と聞(きく)ぞうれしき(江州守山)

こころより こころをえんと心得(こころえ)て 心にまよふこころ成(なり)けり (ある僧にお返し)

法(のり)の道 かちよりゆくはくるしきに ちかひの舟にのれやもろ人

いはじたヾ こと葉の道をすくすくと ひとのこころの行(ゆく)こともなし(播州弘峰の八幡宮)

42歳

ゆく人を 弥陀のちかひにもらさじと 名をこそとむれ しら川のせき

はかなしや しばしかばねの朽(くち)ぬほど 野ばらの土は よそに見えけり(奥州江刺郡)

世の中を すっる我身も夢なれば たれをかすてぬ 人と見るべき(奥州江刺郡)

43歳

身をすつる すつる心をすてつれば おもひなき世にすみ染の袖(奥州江刺郡)

のこりゐて むかしを今とかたるべき こ ゝろのはてをしる人ぞなき(武州石浜)

44歳

さけばさき ちるはおのれと散る(ちる)はなの ことわりにこそ身は成り(なり)にけれ (相州片瀬浜の地蔵堂)

花はいろ 月はひかりとながむれば こころはものを思わざりけり(相州片瀬)

曇(くもり)なき 空はもとよりへだてね ばこころぞ西にふくる月かげ(公朝僧正へ御返歌)

こころをば 西にかけひのながれゆく 水の上なるあはれ世の中(駿州井田)

45-46歳

をしめども つひに野原に捨(すて)てけり はかなかりける人のはてかな

皮にこそ をとこをんなのいろもあれ 骨にはかはるひとかたもなし

46歳

とにかくに 心はまよふものなれば 南無阿弥陀仏ぞ西へゆくみち

ほととぎす なのるもきくもうたたねの 夢うつゝよりほかのひと声(京都因幡堂)

おのづから 相(あい)あふ時もわかれても ひとりはいつもひとりなりけり (京都市屋道場御化益の頃)

48歳

いつまでも 出入(いでいる)ひとの息あらば 弥陀の御法の風はたえせじ(兵庫光明福寺方丈へ御返歌)

49歳

となふれば 仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏なむあみだ佛 (由良の法燈国師が印可を与へし歌)

書(かき)うつす 山は高根(たかね)の雲きえて ふでもおよばぬ月ぞ澄(すみ)ける

よにふれば やがて消(きえ)ゆく淡雪(あわゆき)の 身にしられたる春の空かな (書写山にて)

とにかくに まよふ心をしるべにて 南無阿弥陀仏と申(もうす)ばかりぞ(備中軽部の宿)

51歳

おもふこと 皆つきはてぬうしとみし 世をばさながら秋のはつ風(阿州大島の里河辺)

消(きえ)やすき いのちは水のあはぢしま やまのはながら月ぞさびしき(淡州福良)

主(あるじ)なき 弥陀の御名(みな)にぞ生まれける となへすてたる跡の一声(淡州福良)

名にかなふ こゝろは西にうつせみの もぬけはてたる声ぞ涼(すず)しき(淡州二宮の社)

旅ころも 木の根かやの根いづくにか 身の捨(すて)られぬ処あるべき(淡州遊行)

阿弥陀仏は まよひ悟(さとり)の道たえて たヾ名にかなふいき仏(ぼとけ)なり(観音堂)

南無阿弥陀仏 ほとけの御名(みな)のいづる息 いらば蓮(はちす)の身とぞなるべき (御往生近づき給う時詠める)  

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急ぐわけなくてさみしき冬深し  あきオジ

2010-12-11 17:23:51 | 日記
便所の落書が秋となりゐる  放哉

片つ方の耳にないしょ話しに来る  放哉

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さあ、気合をいれないと怪我するぞ
最近は、そんな気合を入れてます。
どうなっているのでしょうかね。

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最近はエッセー風にものを書くのも面倒になりました。
メモして捨ててしまう
そんな気分ですね。
気取って、それらしい文を書いても似たりよったり
妙に難しいことを書いてもどうこうってない。
そんな感じですね。
ノーテンキ
それでいいや。
そん

駄菓子屋に立ち食いしている我が姿   あきオジ

2010-12-11 16:58:51 | 日記
炎天の影濃くして鉄鉢も  山頭火

枕がひくうて水音がたえない一夜  山頭火

どこまでついてくるぞ鉄鉢の蠅  山頭火

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けっこう粘り強くアップしたので山頭火や放哉はけっこうの数になると思います。
山頭火、放哉に関する本も結構たまるしネタ本でもある「折々のうた」も新書版、豪華本など
何種類も集まりました。
俳句も始めて半年くらいになりましたが
「俳句もどき」から抜けでませんし、その気もありません。
どうしてでしょうかね。

専門家風の人が苦手だという思いでしょうか。

それと
古文的文法が難しいですね。
まだ「○○や」とか「○○哉」などちう言い回しは気恥かしくて使えませんしね。
まあ、その気にならなくても、いつか、その気になっていくでしょう。

やはり日本人だなと思います。

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あれもこれも流れに浮かべる冬深し  あきオジ

2010-12-11 07:08:13 | 日記
朝早い道のいぬころ  放哉

山寺灯されて見て通る  放哉

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放哉な淋しさは内に籠っているので「きりきり」する痛さを感じますね。山頭火のようにしたなくも「寂しい」と泣きだすような感じは感じられませんね。同じように朱家した二人なのですが、資質のさなのでしょうか大きく違いますね。山頭火と放哉。逢わないでよかった。そう思います。

雪のない秩父の山がとおく見ゆ  あきオジ

2010-12-11 07:03:06 | 日記
山のしづけさは白い花  山頭火

なるほど信濃の月が出てゐる  山頭火

(山頭火と馴染んで何年か経ちますが、難しいことを考えず、考えられないので、そのまま独り言を聞いているよう気分で読んでいます。それでいいのか、そうでもないのか分かりませんが、最近は、そんなことはどうでもいいことなのです。)

流れ去る枯れ草さえも美しき   あきオジ

2010-12-11 06:51:57 | 日記
そんな日々でありたいですね。
御嶽の細道の写真です。

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わんぱくや縛れながらよぶ蛍  一茶

リンリンと凧上りけり青田原  一茶

(凧上げは正月ばかりではないのですね。それにしてものびやかで美しい風景が浮かぶ句ですね。当たり前の生活が湧き出る一茶の句の魅力は深くなります。)

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