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日曜日になると家族連れがスーパーに集まります
その賑わいは縁日のようで楽しい
そこでは、
日ごろ接客商売をしている人も
コンピューターを操作している人も
荷物を配達している人も
工場で自動車を組み立てている人も
レッドソックスのジャージを着たり
ジーンズに無精ひげのまま
下駄履き、サンダル履き
どこかで日常生活をむき出しにしている。
半ズボンになって
妻と手を握り合っても
子と手を握り合うのはまだまだ
ぎこちない若夫婦が多いけれど
それでいいじゃないの?
そんな気がします。
こんな風景を見ていると
金を得るということはどこかで日常性を切り離している
日常生活を切り売りしている。
そんな気がします。
それが仕事の一面だと思うのです。
子がギャーギャーわめき
おねだりし
父親の手を握って離さない
それが日常だとすれば
仕事をすることは
金を得るために日常を売りに出しているようなものでしょう。
そんなことを考えると
仕事とは残酷なものなのだと思う。
生活と仕事が交じり合った時代が過ぎて
職場が遠くなり
どこかで日常生活がぎこちなくなっている
父親を見ることができない子が
どうして、父親を尊敬できようか
何となくそんなことを考えながら
店内を歩いていた。
わめき散らす子を殴り倒している母親がいた。
その周辺には父親はいない。
そうするしかできない母親が気の毒だと思っても
どうにもならない。
それで間に合っているならそれでいい
そうでない方向に進んでいったら
そのつけは自分立ちで負っていくしかないだろう。
仕事で得るものもあるけれど
失うものだって同時にあるのだと思う。
日曜日になると家族連れがスーパーに集まります
その賑わいは縁日のようで楽しい
そこでは、
日ごろ接客商売をしている人も
コンピューターを操作している人も
荷物を配達している人も
工場で自動車を組み立てている人も
レッドソックスのジャージを着たり
ジーンズに無精ひげのまま
下駄履き、サンダル履き
どこかで日常生活をむき出しにしている。
半ズボンになって
妻と手を握り合っても
子と手を握り合うのはまだまだ
ぎこちない若夫婦が多いけれど
それでいいじゃないの?
そんな気がします。
こんな風景を見ていると
金を得るということはどこかで日常性を切り離している
日常生活を切り売りしている。
そんな気がします。
それが仕事の一面だと思うのです。
子がギャーギャーわめき
おねだりし
父親の手を握って離さない
それが日常だとすれば
仕事をすることは
金を得るために日常を売りに出しているようなものでしょう。
そんなことを考えると
仕事とは残酷なものなのだと思う。
生活と仕事が交じり合った時代が過ぎて
職場が遠くなり
どこかで日常生活がぎこちなくなっている
父親を見ることができない子が
どうして、父親を尊敬できようか
何となくそんなことを考えながら
店内を歩いていた。
わめき散らす子を殴り倒している母親がいた。
その周辺には父親はいない。
そうするしかできない母親が気の毒だと思っても
どうにもならない。
それで間に合っているならそれでいい
そうでない方向に進んでいったら
そのつけは自分立ちで負っていくしかないだろう。
仕事で得るものもあるけれど
失うものだって同時にあるのだと思う。