あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

雪溶けてどうでもいいと歩きだす  あきオジ

2008-03-09 17:56:48 | 日記
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何もない静けさの中に身を置き
こころ穏やかでいられる

微かな風の動き
梅の香りを楽しめる

何にも頼らず
寄りかからず

目を閉じて
内なる声を聞ける

あーあ
そんなこととは程遠い日々

とりあえず
とぼとぼと水のほとりを
歩いてみましょうか

どうなのだ

2008-03-09 08:02:31 | 日記
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「ある知人の治療、そして葬式・・・・」

延命治療を求めるのは
時には、本人ではなく、家族ということもある
生き続けたい人もいれば
生きていてもらいたい人もいる
生きることも大切だが
生きていて欲しいという思いも大切なのだという人がいる
治療を受けるのは、本人だけはない。
治療を受けさせる人のいるのだということなのだ
「あなたの命はあなただけのものではない」
そんな思いにつながる。
何か、周囲の人に振りまわされた
その人の人生そのものに見えるけれど
それを自分が求めているようでもある

何が何でも生きたいと願った人もいるだろう
ここで死ぬのは、無念だと思った人もいるだろう
でも、本人には何の相談もなく
生きているだけを求められた人もいる
生きているだけでも意味があると言われることもある
誰のために生きているのか分らないこともある

葬式の大きさにこだわったのは
時には、本人ではなく家族だった
そんな「金に糸目をつけない」姿を見せたかった。

何が何でも多くの人に悲しんでもらい
自分がいたことを思い出してもらいたいと思った人もいるだろう
でも、何の相談もなく
存在を知らしめる。
それだけの理由で大きな花輪で飾られた人もいる
天国、極楽の入り口には、この花輪が運ばれているのだろうか

自分で自分の命の幕引きをし
自分で自分の死をデザインする

それも楽しい人生の結末のつけかたであり
最後の自己表現である。
そんな言い方をする人もいる

そんなことを言ったら、おかしなやつ
さからわず、残された者の
パフォーマンスの場を邪魔するなと言われる。
あらゆることに説明が必要なのだ
残されたものにも説明の場が必要なのだ

命のあり方は意味がいっぱい与えられてしまい
ことのほか複雑になってしまった。

私は自分の与えられた命であり、人生であることにこだわりたい