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社長のつぶやきブログ

早島町探訪 鶴崎神社

2011-01-13 13:26:18 | 日記

  次なる行く先は鶴崎神社です。

 ここは長寿、安産育児、産業、学業の神様として地元民から崇敬されている神社で、

 所謂パワースポットに該当するのでしょうか。

  お参りを終えて何だかパワーを戴いたような気がします。

 多分気の所為だと思いますが、物事は良いように解釈すれば幸せです。

  写真のように境内に今年の干支である巨大な兎の絵馬ならぬ折り紙を飾っています。

 赤白一対の兎で、赤が高さ2・6m、白が高さ1・8mとなっています。

 一度ご覧になるのも一興かとぞんじます。

  有りがたく頂戴したパワーを追い風にして鶴崎神社を発ちました。


早島町探訪 歴史民俗資料館

2011-01-13 11:52:20 | 日記

  次は早島公民館の敷地内にある歴史民俗資料館に行きましが、扉が固く施錠され

 閉じられていて、公民館の事務所に問い合わせるよう貼り紙で指示していました。

  そこで事務所の職員に資料館の解錠を願いでましたが通常はアポイントがないと

 開ける事が出来ませんとの返事でした。仕方なくパンフレットだけ頂戴して帰ろうと

 していたところ、当該職員の方がどこかに電話をしてOKを取ってくれました。

  当然喜んで資料館内部を見学させていただきました。そして皆様がたご存知のように

 早島といえば藺草(いぐさ)があまりにも有名ですが、至極当然の如く資料館内部は

 藺草関連の展示物で埋めつくされていました。

  早島の藺草で織られた畳表は既に江戸時代から有名で、当時代を代表する作家である

 滝沢馬琴の著書「夢相兵衛胡蝶物語」の一節にその名が登場しますが、早島表の愛称で

 全国のファンに親しまれていたそうです。

  上方に花筵織機と、その作品群を写しています。ゆっくりご鑑賞ください。

  尚花筵といえば磯崎眠亀が有名ですが、彼については後ほど詳述することにいたします。

  資料館をわざわざ開けて下さった職員の方にお礼を述べて、そこを発ちました。


早島探訪 いかしのや

2011-01-13 10:07:22 | 日記

  戸川家記念館を出て次に直ぐ近くのいかしのや(五十橿舎)に行きました。

 この建物は畳表,経糸の問屋として栄華を誇った寺山家が明治末期に建築した代表的町家を

 改修しています。

  五十橿舎(いかしのや)の名前の由来ですが、明治期の歌人で岡山市に在住した

 岡直廬(おかなおり)がここを訪れた際命名したそうです。意味は「盛りに足りて厳か」と

 言う事ですが、その解釈は皆様にして戴きたいとおもいます。

  上方写真に全体の模型を写していますがその広大さというかスケールの大きさに

 目を奪われるのではないでしょうか。

  目を奪われるといえば、二階に上がると目の前に太い柱と梁が忽然と姿を現します。

 特にその梁の太さには吃驚するとともに、当時の栄耀と繁栄ぶりを見せ付けられる

 おもいがしました。そして畳はといえば豊後(大分県)の藺草(いぐさ)を使っており、

 24・5畳の大広間を形成しています。そして見る者を剥き出しの小屋組みと畳が織りなす

 野生味溢れる情緒的空間へと誘(いざな)うような気がし、そこには自ずから感動している

 自分自身を発見するのではないでしょうか。

  中に往時を偲ばせる電話機が有ったので写真に収めています。ご覧下さい。

  其の他喫茶店や茶室そしてミニ音楽ホール、街角美術館等があり早島町の

 多目的文化ホールとして町民に利用されているそうです。