9日(日曜日)茶屋町に有る妻の母の実家を久しぶりに訪ねましたが、その途中早島町と
茶屋町の記念館等を訪問しました。
先ず最初に早島町に有る戸川家記念館に行きました。
恥ずかしい話、戸川家とは豪商かその類かと思いましたが、実際は戦国大名の分家でした。
戸川家の略歴を紹介します。元々は宇喜多家の重臣で常山城を預かっていたのですが
宇喜多家のお家騒動のため備前を去り、徳川家康の計らいによって関東に下り蟄居して
いましたが、それを機縁に東軍としてあの有名な関ヶ原合戦に加わりました。
そこで戸川達安は西軍の実質的な総大将石田光成の重臣の島左近の首を討ち取る等の武勲をたて、
その論功行賞により庭瀬藩29000石の藩主と成りました。
その時島左近の着用していたかぶとの緒を上部写真に収めましたのでご覧下さい。
勝って兜の緒を締めよという諺がありますが、実際それを目(ま)のあたりにするのは初めてなので
新鮮な驚きでした。但し今でもその緒には島右近が討たれた時の血痕が付着したままです。
思わず彼のあの世での安寧を祈らずにはおられませんでした。
戸川家本家は絶家したものの分家は旗本として早島、帯江、撫川、妹尾、中庄の知行所を支配し、
明治維新を迎えています。
この記念館は興味を惹く展示品が多いのも特筆すべき点です。
その中でも龍を飾った珍しい兜があったので写真におさめました。
それと戦国武将が装着した鎧兜も写真に撮りました。
こちらの兜は見て下さい。何と今年の干支の兎を飾っているではありませんか。
他愛ない事ですが、縁起が良いとつい妻と一緒に喜んでしまいました。
それから上部写真のように天井に巨大な幟(のぼり)を発見してシャッターを
切りました。幅1m以上長さが優に10mはあろうかと思われます。
書いてある字は残念ながら判読出来ませんが、戦国の戦場(いくさば)に林立したり
大名行列の時に活躍したのではないかと勝手に想像しました。
上方の写真に戸川家の家紋入馬印(纏)とカザグルマを写しています。
戸川家の家紋は2種類あって、そのうちのひとつが三本杉の家紋でもう一つが梅鉢です。
梅鉢は見た目には梅の花柄のようです。
最後に屏風絵のようなものを写していますが、多分領民が招かれてだと思うのですが、
正月と盆に領主に挨拶に訪れる場面が描かれています。
興味深い事に、何故か判りませんが、女性ばかりが描かれているそうです。
詳述するととても長くなるので今日はここで筆を置かさせていただきます。
今回非常に丁寧に説明をして戴いた案内の方にこの場を借りて厚くお礼申し上げます。