幻の姫谷焼

幻の姫谷焼を現代に再生

古九谷と姫谷

2018-08-07 22:35:54 | 日記
姫谷焼の色絵は、古九谷様式を作っていた陶工が、有田から姫谷にに来ています。
正福寺が直接に呼んだのか、正福寺の本山の西本願寺経由で呼んだのか、わかりませんが、 姫谷焼のデザインはお寺のデザインであります。

粘土の発見

2018-08-07 22:10:57 | 日記
400年前の茶碗の粘土を発見して、姫谷焼の成り立ちがわかってきた。今までの姫谷焼の定説は、全て変えなくてならないでしょう。
私の推測で言うと、文禄 慶長の役の時に、神辺城主 毛利元康が朝鮮出兵した時に、朝鮮陶工を連れて帰り、備後国で御本手茶碗を作る粘土が姫谷の笛木山にあるのを発見して、すぐ東側の傾斜の斜面に窯を築いて、姫谷焼を始めたのでしょう。
笛木山は以前、松茸がたくさんできる所でありました。江戸初期の頃は松林で燃料には事欠くことはなかったでしょう。
松茸がたくさんできる所に、陶石があるといわれます。