幻の姫谷焼

幻の姫谷焼を現代に再生

九谷焼と姫谷焼

2019-09-29 21:00:42 | 日記
九谷焼と姫谷焼の共通していることをあげると、
どちらも色絵磁器で有名で、同じ時期に始まって、短期間で終わっている。
ここまではよく知られていることであるが、九谷焼の色絵窯跡がある場所が、九谷坊で浄土真宗本願寺派本願寺と関係がある。蓮如と関係している。
姫谷焼の窯跡の場所が、浄土真宗本願寺派正福寺の土地であります。
色絵磁器はおそらく江戸初期は最先端の技術で、憧れの陶磁器だったと思う。
大名だけでなく、西本願寺も憧れのまとだったと思う。
九谷焼や姫谷焼もおそらく西本願寺が関わっていたと推測します。

現代の姫谷焼

2019-09-29 20:22:13 | 日記
江戸初期の姫谷焼は色絵磁器が有名であるが、
姫谷焼の特徴は前回も言ったが、すべて型作りであります。
まずは型の原形を作ることから始めなければならない。
丸い皿はロクロ作りだと、てっきり思っていたが、今まで勘違いしていた。
作品の設計図を描かなけれならない。

仏にささげる陶器

2019-09-26 22:27:16 | 日記
姫谷焼は浄土真宗本願寺派の陶器の器であるので、仏にささげる陶器の器と言ってもおかしくない。
学者の中には、姫谷焼は水野藩の御用窯と言う人もいるが、材料や意匠から考えると、水野藩の御用窯ではありえない。
水野藩の文献に姫谷焼の記述はない。

姫谷焼はお寺のデザイン

2019-09-24 22:21:36 | 日記
姫谷焼の色絵皿をじっと眺めていると、皿からうける感じがお寺のデザインである。工芸家の見る眼から考えると、前回も言いましたが、飛雲文がおかしいのです。飛雲文がなくてもいいのに、あえて描いている。
飛雲文は日本では仏教的装飾文様であります。
姫谷焼の窯跡の土地の所有が江戸初期まで、浄土真宗本願寺派正福寺であります。
浄土真宗本願寺派正福寺の本山は、名前からわかるように、京都の世界遺産で有名な西本願寺であります。
姫谷焼は西本願寺の焼き物と言ってもおかしくありません。